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診断時:15歳
インタビュー時:40歳(2017年8月)
関東地方在住の女性。一人暮らし。中学3年で確定診断が出てから、30歳までステロイドによる治療を続けていた。その間ムーンフェイスなど、ステロイドによる副作用に苦しめられたが、10年前にステロイドを止めてレミケードを使い始めてから劇的に良くなった。入院は7回したが、手術の経験はない。最初の会社では通院などで配慮はしてくれたが、それでもキャリアアップは難しいと思ったので大学教員に転職した。
語りの内容
中学の時は、その、病気がそこまでひどくなるまでは、私はものすごく学校のどちらかというと中心として生徒会もやっていたくらいなので、そういうことにやりがいを感じていたタイプなので、それが全部なんかできなくなってしまった、部活ですらもちょっときついという状況で、で、まあ、それなりに一応進学校ではあったので勉強だけでもものすごくきついので。本当は自分の理想としては勉強もやって部活も充実させて文武両道みたいなのが理想だったんですけれど、それがやっぱり叶わなくなってしまったというのが自分の中ですごく納得が行かなくて、常に自分が嫌い。
―― この納得がいかないところまではよくわかるんですけれども、それがこうなんで自分が嫌いっていうふうに向いてきたのかなっていうところがね、ちょっと難しいかもしれないんですけれど何かこう、うまく説明できるようなことってありますか。
うーんそうですね。多分、ま、病気が嫌いっていうのが恐らく、みなさん何か思うことで、自分も多分そういう風に思っていると思うんですけど、たぶん長く病気と付き合っていく中で、あの、病気がある自分っていうのが段々こう当たり前になってくると、何か、なんでしょうね、病気と自分ってそんなに切り離せるものじゃないというか、だから、病気のことが嫌いということは、何か自分のことが嫌いみたいな、なんかそういう不可分のところがあって、で、なんか、だから、そういうこう自分が嫌いっていう言い方に自分の中でなってきちゃったのかな、段々と。最初は病気が嫌いだったのが、何かその、病気があることが当たり前になってくるにつてれ、うーん、何か自分が嫌いになっていっちゃったのかなっていう気がしますね。
―― なるほど、はい、わかりました。
はい、わかりますかね。
―― うん、なんとなくわかるような気がします。
表現として、病気やだやだって言っていたのが、うん、そうですね。自分が嫌だ、にいつの頃からか変わって行ってしまったのかもしれないって、今気づきました。
インタビュー01
- 中学3年の夏に腹痛や下痢、体重減少が始まった。数か月後には毎日40度の熱が出るようになり、近医から都内の大きな病院を紹介され、クローン病の診断がついた(音声のみ)
- 地図状舌といって、ベロに地図状のクレーターみたいなものがたくさんできたが、レミケードを使ったとたん消えた(音声のみ)
- 病気になって自分の理想が叶わなくなり、いつの頃からか「病気が嫌い」から「自分が嫌い」に変わってしまった。病気と自分が切り離せなくなってしまったのかもしれない(音声のみ)
- 教科書に載っていない症状を訴えるとすぐにメンタルの問題にする先生がいて、それが嫌で、言えなくなり、先生の期待するような症状を言うように気を使っていた(音声のみ)
- 最初の主治医が病気のことばかり気にするのは良くないと患者会を勧めなかったので、あまり関わらずに来たが、今後機会があれば若い人の役に立ちたいと思っている(音声のみ)
- 結婚を考えるお付き合いをしたこともあるが、相手が子供を望んだり、その親が病歴を調べたりすることがあって、話が進まなかった(音声のみ)
- もともと裕福な家庭ではなかったし、がつがつ稼ぐような仕事は体力的にできないので、今は生活できているが将来の不安はある(音声のみ)
- 一般企業の場合有給を取らないと病院にも行けないし、それが評価にも影響するので、もう少し裁量度合いの高い自由な形で働きたかったのと、元々研究職に興味があったので、転職した(音声のみ)
- 中学時代は病名もわからなかったので、症状があっても我慢して友達にも先生にも言えなかったが、高校に入って病名が分かり、先生に病気のことを伝えられて気持ちが楽になった(音声のみ)
- 病気を抱えて結婚して子どもを産むとなると、仕事を続けるのは難しいだろうと思い、今は仕事を取るべきと考えた(音声のみ)
- 二十歳になって難病だということを聞かされたが、「難病患者」というイメージと自分の間に乖離があった。体調はすごく悪いけれど自分が難病患者であるという実感はなかった(音声のみ)
- 中3のときに診断がついたが、医師から詳しく知らされておらず、診断と自分の状態が結びついていなかった。ただ目の前の受験や学校生活をどうやって乗り切っていくかを危惧していた(音声のみ)