※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
診断時:15歳
インタビュー時:26歳(2018年8月)
追加インタビュー時:28歳(2020年12月3日)
北海道在住の女性。一人暮らし。高校1年の時発症しすぐに診断がついて3か月入院した。大学1年から2年になる春休みに小腸の切除手術を行い、その結果大学時代は寛解が多かったが、卒業して看護師の仕事に就いてから病状が悪化し、2度目の入院の後退職勧告で夜勤のない職場に移ったが、やはり休みが多いということで退職。今は契約社員として働いている。2020年に結婚し北海道内の別の都市に引っ越しし、それに伴い仕事も主治医も変わった。
語りの内容
――ご自身で感染対策っていうのは、特に何か特別なことって何かされてますか。
特別なことは特にしてないですね。いつも、免疫抑制剤とか生物学的製剤を使い始めてからずっと心掛けてることとして、手洗い、うがい、マスク。あとは、よく寝るのと、必要な、うーん、できるときにしっかり栄養をとるっていうのは心掛けていて。まあ、ほんとにそれがベースで、それしかできることはないのかなって思っていて。あとは、人混み避けるとかですかね。そのくらいかなって思います。うん。
ただその、コロナも気になるんですけど、自殺者数の増加もすごい気になっていて。それこそ経済的にショックを受けてる人も多分多いだろうし。何だろう、すごく不安とかが大きくなって、精神的に追い詰められてる方もいると思うし。多分IBDの方の中には、すごい免疫抑制剤とか使っていて、あの、不安が大きくなって、ずっと何か陰鬱としたような気持ちで過ごしてる方もいるんじゃないかなと思って。うーん。何か、そういう方に向けた支援みたいなのは、あってもいいんじゃないかなって思うんですけど。(2020年12月追加インタビュー)
インタビュー29
- 病気になったことで諦めなきゃいけないこともあるかもしれないけれど、道は一つではないので、遠回りしてもやりたいと思っていることは、いつかはできると思うので諦めないでほしい
- 検査の説明をするときなどは、より具体的に説明することができることもある。また仕事をしている患者さんで辞めようかと悩んでいたりする人には相談に乗ってあげることもできる
- 今同病の人と繋がっているのは主にTwitterで、お互いつぶやきが見れるようになっているのは40人くらいいる。また、オフ会もあるのでそこで同病の人を紹介してもらうこともある
- 患者会に入ると何らかの役割を与えられてしまうのは面倒という思いもあって入るのを躊躇している。SNSで得られる情報は確実ではない場合もあるので、鵜呑みにはできない
- 両親は難病という言葉を聞いて絶望感を抱いた。母親からは「そんな体に産んでごめんね」と言われたが、慰められるっていうよりもすごく傷ついた記憶がある
- 父には「働くのは無理だから一生養ってやる」といわれ、親との間に確執が生まれたが、一人暮らしをするようになってから何となく軟化してきた
- 看護師の仕事は体力的に続けられなかったので、無理の少ない臨時職員として保健師に転職した。今の仕事は定時で終わるので収入は減ってしまったが、体力的には楽である
- 高校は入学して1か月で入院してしまったが、学級委員長の子が気にかけてくれて、その子のグループに入ることができ、病気のことも色々聞いてくれたので話しやすかった
- 診断がついたのが高校1年の5月で、夏まで入院していたので「不登校」じゃないかといううわさまで出た。その後も毎年入院して、点滴の針を刺したまま学校に行ったこともあった
- 将来子どもはほしいと思っているので、今飲んでいる薬を飲みながら妊娠しても大丈夫かと心配していたが、最近薬を継続しても大丈夫だという指針(注)が出たようなので少し安心している
- コロナで精神的に追い詰められて自殺者が増えている。IBDの患者も感染への不安を抱え陰鬱として過ごしている方もいると思うので、そういう人への支援が必要だと思う
- ヒュミラの効きが悪くなったので、ステラーラとエンタイビオを試したが効果が出るまで待てずに、今はまたヒュミラと免疫調整剤のアザニンとステロイドというフルバージョンでやっている