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診断時:12歳
インタビュー時:39歳(2018年9月)
九州地方在住の男性。一人暮らし。小学校6年の時に痔ろうの手術を2回受け、中学1年でクローン病と診断された。高校卒業後、看護師を目指して看護学校に通っている時に2回手術をして小腸と大腸の一部を切除した。その後看護師として5年間働いた後、看護学校の教員になったが、その頃にも3回目の手術をして、現在小腸は2メートル弱、大腸は四分の三が残っている。その後研究職につきたくて大学院に進み、現在は大学の教員をして、クローン病の患者の研究もしている。
語りの内容
で、あの、看護学校で(教員として働いているときに)まあ、その手術3回目をして、その後、まあ、復帰をしたんですけど、3回目の手術のときに、まあ、入院自体が3~4カ月ありましたので、いろいろちょっと考えまして、このままで自分の人生はいいのかって、本当にやりたいことは何なんだろうというふうに考える、まあ、機会にもちょっとなりまして。
そこで元々ちょっと私、あの研究というか、あの、だい、看護の大学院のほうに進学をしたいという思いはずっとあって。で、やっぱりやるべき、この人生でやるべきことをやったほうがいいんじゃないかっていう思いに決意が固まって、えー、まあ、看護学校をちょっと退職させていただいて、その後は、あの、本当に無職というか奨学金を受けながら、看護の大学院の修士課程に進学をしました。
で、修士課程では、あの…、最初はクローン病の研究っていうふうには思っていなかったんですけれども、ちょっといろんな重なりというか、まず指導をしていただいた先生自身がクローン病の研究を以前されたことがあったという出会いがあったことと、あの、その大学院自体の関連施設で、あのクローン病に関する研究をちょっとされているところもあって、で、自分自身もクローン病ということで、そういう重なりがあって、何か、まあ、これは、まあ、運命なんじゃないかなって思ってですね、テーマをクローン病ということで研究をいたしました。
その研究に関しては今も、まあ、続けてはいます。で、大学院自体は2年で卒業しまして、その後、まあ、大学の教員として今は働いているというようなことです。
インタビュー32
- クローン病の人はまじめで几帳面な人が多いと思う。しかし病気の療養を続けて行く上では、手を抜いたり妥協して折り合いをつけるということも重要なポイントではないかと思う
- 小児科の看護師さんが親身になって話や悩みを聞いてくれた。医療者は患者の病気を見るのは勿論だが、その人の全体を診なければならないと思う。自分はそういう人に出会えてよかった
- 発症時は小児科で診てもらったが高校3年の時に内科に移った。もともと小児科のときから同じ病院の内科の医師と相談しながらやっていたので移行に際して問題はなかった
- 両親は私のことをとても心配して、民間療法や宗教のところに相談に行ったりしていた。それはやはり息子の病気を治したいという思いが強かったからだと思う
- トイレに何度も席を立ったりするので、変に思われないように女性と付き合うときは最初から病気のことは伝えるようにしている
- 結婚となると、男性なので責任を負わないといけないところがあって踏み込めないでいる。今付き合っている女性とも、結婚ということではなくてパートナーとして付き合っていこうと思っている
- 障害者と認定されることには戸惑いがあったが、主治医から「こんなに大変な思いをしているのだからそれを受ける権利はある」と言われ15歳の頃に小腸機能障害4級を取った
- 自分は病人扱いされるのはいやだったので、元気な時にはできる限り周囲をサポートすることで、自分の体調が悪くなった時にサポートしてもらえるような人間関係を築く努力をしていた
- 3回目の手術の後、自分が本当にやりたいことは何かと考えた時、研究の仕事をしたいということで、大学院に進学し、今は卒業して大学の教員として働いている
- 病気を開示して就職しようとしたが、全て落とされ、やっと受かったところも非常勤だった。しかしその後、病気でも調整が利くということを強調すれば採用してもらえるところがあるとわかった
- 中学1年で3か月入院して学校に戻るとステロイドの副作用で太って見えてしまい友達にからかわれた。薬の副作用だという事を説明してもなかなか分かってもらえなかった
- 中学高校の先生には両親から話をしたが、ステロイドの関係で体育の授業を休むくらいの説明で、当時はあまりわかってもらえなかった。保健室の先生はよく勉強してくれて、相談に乗ってもらった
- 遺伝疾患ではないんでしょうが、子どもどもがクローンになってしまったらということは考えることがある。今は学生を子どものように思って立派な看護師として社会に出すことを考えている
- 中1で診断を受けて、両親は難病であり治療法も確立されていない病気と聞き、自分以上にショックを受けていた