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診断時:18歳
インタビュー時:49歳(2017年10月)
関東地方在住の女性。夫(CD08)と二人暮らし。小さい頃から病気の問屋と言われるくらい色々な病気持ちだった。12歳の頃には頻繁に鼻血を出し腹痛もひどい状態が続いていたが、近所のクリニックでは診断がつかず、精神的なものとされていた。18歳の時にようやく紹介されて行った大きな病院ですぐにクローン病と診断された。その後腸の狭窄で3回手術をしたが、最近は食事制限とエレンタールで病気をコントロールできるようになった。
語りの内容
一応退院をした時に、あのーしばらくはまた寛解の状態になるので働くことはできたんですけれど。なかなかそれのバランスがとれなくて、やっぱりあの世間的にやはりこういう病気をもってますので通院しますってことはなかなか言えないので、あのー言わずにいたら結局具合が悪くなって、会社を辞めての繰り返しを何回もしてたので、このままではちょっとまずいなと思いまして、2回目の手術をした時がちょうどえーと私が29くらいだったので、その時にもう自営業にすれば体の方もコントロールが効くなとおもいまして、自営業にしようと思って色んな資格を取るに至っています。
その頃くらいになるともうあの、新しい病院で色んな治療を受けているので、なんていうのか自分でコントロールがだいぶ利くようになったので、そのまんま色々仕事をしながら、あの習い事をしながらっていう感じでまた、新たにちょっと自営を目指して、で、あのー結局製パン業を目指して教室に通って、まあまず講師の資格を取って、あの生徒に、自宅で生徒に教えるっていう方法を取ってたんですね。で、そのうちにもうちょっとあの仕事の幅を広げて、で、結局あれですね販売、自宅で販売という形で、完全予約制の販売をするようになりましたね。
でそれが今に至るまで結局仕事になりまして、あの、最初に働いていた障害者雇用で入った花関係の会社は辞めて、自営に結局一本全部絞ってやり始めたよって感じですね。
―― そもそもどうして製パン業を選ばれたんですか。
あのですね、私は昔からあの、ごはんよりパンの方がすごい好きなんですよね。でも、パンって結局、あの、市販されてるものっていろんなものが入ってて、で、クローン病は脂質をとにかく控えなきゃいけないってみたときに脂質がものすごく多いんですね。で、だったら自分で作ったほうがいいかなという。まあ、何を作って、入ってるかも分かるし、自分でこう、糖分とか塩分それから脂質、全部調節ができるので。パン、じゃ、やろう、パンが一番好きなのでとにかくご飯が嫌いだったので、じゃあ、パン屋になろうかと思いましてパン屋を始めたという感じですね。
あのー、人にわざわざ、その、病気の説明をいちいちしなくていいっていうことと、ま、自分の都合でこう、仕事のペースが進められるっていうのが一番、あの、プラスになってることではありますね。
インタビュー07
- 近所のクリニックではただの精神的な胃痛だと言われ、もう動けなくなるくらいまで大きな病院には行かせてくれず、やっと大きな病院へ行ってクローンの診断が出た
- 高校時代に毎日のように腹痛があったが、ずっと精神的なものだと言われてきた。卒業式で一番ひどい状態になって、その後即入院した。診断がついてほっとした
- 病気は自分とセットであるものだから、「乗り越える」でもなく「受け入れる」でもなく、「付き合う」、「共存する」という感じだ
- その医者は、大腸内視鏡をしている時に「痛いからやめてほしい」と頼んでも多くの研修医に説明を続けて検査をやめようとはしなかった
- クローン病でも入れる生命保険はあるが、保険料が高いし条件も厳しい
- 患者仲間と一緒に(障害者手帳について)医師に相談し、手帳を交付された。障害者手帳をもっているので自動車税の減免があったりというメリットはある
- 自営業だと自分のペースで仕事ができるのはいいが、体力的に働ける時間が限られているので経済的には厳しい
- 寛解と再燃を繰り返しながら会社に勤めるというのは難しいと思い、自営業を始めるために資格を取ることにした
- 自分もクローン病だし、主人はクローン病の他に1型糖尿病もあるので、経済的にも子どもはちょっと難しい
- 最初に聞いた時には、「難病=(イコール)死ぬ」のかなと思った。「難病」、「治らない」という言葉にずっととらわれていた部分がある
- クローン病っていう名前がよくない。どうしても羊のクローンを想像してしまう
- お腹が詰まりそうなときとかガスがたまってお腹の張があるようなときに大建中湯を飲むと効果が感じられる