インタビュー時:64歳(2010年9月)
関係:妻(夫を介護)
診断時:夫59歳(インタビュー本人05)、妻60歳
2006年に夫が若年性アルツハイマー型認知症と判明。夫婦2人暮らしで自宅介護中。妻は元高校の非常勤家庭科教師。夫は元脳神経外科医。病人になりきれず苦しむが、TVで病気を公表し受容したことで、近所の人が気軽に様子をたずねてくれるようになる。現在、介護に関する公的サービスは利用していない。夫婦ともクリスチャン。
プロフィール詳細
N.K.さんは、北関東に在住。子どもたち4人は、皆独立して報道や出版、医療に関連する仕事に就いている。自身は子育て後に地元高校で非常勤の家庭科教師をしていた。夫との出会いは教会で、2人ともクリスチャンである。
2001年頃、夫が易しい漢字が書けないと言い始めた。医者の息子からも受診を勧められたが、脳神経外科医の夫にN.K.さんは「病院に行ったら」とどうしても言えずに、それまでの異変を書き出して、それを見せることでようやく受診を促すことが出来た。2005年の暮れ、最初の受診で精神病棟に案内され、その時「何かが違う」と違和感を覚えた。今では、はっきりとこの病気は記憶や空間認識など認知機能に障害をもたらすが、人格が変わるとか、心の病になるということではないと思える。2006年2月、PET検査で若年性アルツハイマー型認知症と確定診断を受けた。
夫は言い返すことが出来ないときには、腹を立てて外へよく出ていってしまった。N.K.さんは何時間も帰るのを待っていたり、GPSで探しに行ったりしたことも幾度となくあった。夫が葛藤していることについ、口出しすると怒られるし、手を出すともっと怒られるので、ただ端で見ているしか仕方がなかった。出て行ったまま帰ってこないときには、祈りながら一生懸命人形を作ったがその数は500体を超える。
夫にとって認知症であることを受け入れるのが一番大変で、病人になり切れない。やっと受け入れた本人を、今度はN.K.さんが受け入れるのが大変で、自分自身が変わらなくてはならなかった。そんな折、家族会で「怒らない、ダメと言わない、押しつけない」、というダメ3原則を教えてもらった。夫は病気だと気づかされる言葉だった。病気である彼を受け入れているということを態度で表すこと、それが「ダメ3原則」ではないかと思っている。
若年性アルツハイマー型認知症であることをTVで公表した夫に、町の人は気軽に様子をたずねてくれるようになった。病気を与えられて、しかも自分が専門としていた脳の病気を与えられて、苦しんで、苦しんで、それをやっと受け入れて、皆に言うことができるようになった。病気になることで、自分の周りに築いていたものが全部取り除かれて、何の垣根もなしに皆と交わることができるようになった。皆も同じように思って声をかけてくれていると思え、すごく感謝している。
N.K.さんは24時間を夫とともに過ごす生活だが、途中で目が覚め朝早く起きた時には、1人で手紙を書いたり、聖書を読んだりしている。それは、貴重な支えを得る時間となっている。今は夫を支えるのが自分の仕事だと思っており、何も不満はない。
2001年頃、夫が易しい漢字が書けないと言い始めた。医者の息子からも受診を勧められたが、脳神経外科医の夫にN.K.さんは「病院に行ったら」とどうしても言えずに、それまでの異変を書き出して、それを見せることでようやく受診を促すことが出来た。2005年の暮れ、最初の受診で精神病棟に案内され、その時「何かが違う」と違和感を覚えた。今では、はっきりとこの病気は記憶や空間認識など認知機能に障害をもたらすが、人格が変わるとか、心の病になるということではないと思える。2006年2月、PET検査で若年性アルツハイマー型認知症と確定診断を受けた。
夫は言い返すことが出来ないときには、腹を立てて外へよく出ていってしまった。N.K.さんは何時間も帰るのを待っていたり、GPSで探しに行ったりしたことも幾度となくあった。夫が葛藤していることについ、口出しすると怒られるし、手を出すともっと怒られるので、ただ端で見ているしか仕方がなかった。出て行ったまま帰ってこないときには、祈りながら一生懸命人形を作ったがその数は500体を超える。
夫にとって認知症であることを受け入れるのが一番大変で、病人になり切れない。やっと受け入れた本人を、今度はN.K.さんが受け入れるのが大変で、自分自身が変わらなくてはならなかった。そんな折、家族会で「怒らない、ダメと言わない、押しつけない」、というダメ3原則を教えてもらった。夫は病気だと気づかされる言葉だった。病気である彼を受け入れているということを態度で表すこと、それが「ダメ3原則」ではないかと思っている。
若年性アルツハイマー型認知症であることをTVで公表した夫に、町の人は気軽に様子をたずねてくれるようになった。病気を与えられて、しかも自分が専門としていた脳の病気を与えられて、苦しんで、苦しんで、それをやっと受け入れて、皆に言うことができるようになった。病気になることで、自分の周りに築いていたものが全部取り除かれて、何の垣根もなしに皆と交わることができるようになった。皆も同じように思って声をかけてくれていると思え、すごく感謝している。
N.K.さんは24時間を夫とともに過ごす生活だが、途中で目が覚め朝早く起きた時には、1人で手紙を書いたり、聖書を読んだりしている。それは、貴重な支えを得る時間となっている。今は夫を支えるのが自分の仕事だと思っており、何も不満はない。
インタビュー家族08
- 夫がたまに駅の出口を間違えたり、暗証番号を忘れてお金が下ろせなかったり、電話が掛けられなかったりというのは許容範囲と思っていた
- 夫が受診したがらないので、本人が納得するよう症状を書いて説得した。受診先では精神病棟での入院検査を勧められたが、夫のことが心配で外来検査に変えてもらった
- 精神科で検査してもわからないといわれ、アルツハイマー型認知症を専門とする友人に病院を紹介してもらい、日本に3台しかないというPETで調べてほぼ間違いないと言われた
- 海外では選択肢が複数あると聞き、メマンチンを個人輸入してアリセプトと一緒に飲むようになった。クリスティーンさん(※)が二つを飲んで元気でいるのが信用するきっかけになった
- 「怒らない、ダメと言わない、押しつけない」このダメ3原則は、病気のあなたを受け入れているんだよということを態度で表すことなんだと思った
- 夫は発症してから5年間は働いていた。診断を受けて大学を辞めたが、下痢による衰弱が原因だったので、職場の理解があれば仕事はかなり続けられると思う
- 障害者手帳をもらってもどういう支援を受けられるのか説明がなかった。精神障害者の手帳だが、自分にはアルツハイマーは精神病とは思えない
- 私が夫の世話をすることができるので、ヘルパーさんはつけられないと言われたが、支援があれば働きに出ることもできるはず。家庭科の男女共修を進めてきた立場からは不満が残る