診断時:50歳
インタビュー時:52歳(2014年11月)
夫と子供2人の4人家族。2003年頃、不眠で精神科を受診しうつ病と診断され、約6年間抗うつ薬を服薬した。2012年に自律神経症状や幻視から心筋シンチグラフィ等の検査を受けたが診断はつかず、8カ月後、体調が悪化し再診を受け、レビー小体型認知症と診断され抗認知症薬による治療が始まる。現在は多くの症状が改善している。
プロフィール詳細
2003年頃、N.Hさんは、ストレスから不眠を訴え、市立病院の精神科でうつ病と診断
された。パキシル(抗うつ薬)の治療開始と共にATMにカードを置き忘れたり、車の駐車場所が分からなくなり認知症の検査を希望したが、うつ病の症状と説明された。薬の副作用により体調は非常に悪化し、発作のような焦燥感や対人恐怖症も出た。しかし副作用と思われる症状を伝えても「そんな副作用が出るのは1000人に1人」と言われ、増量された。
3ヶ月服用したが、主治医が替わり、薬が合わないようだとアモキサン(抗うつ薬)に変更された。発作のような焦燥感などは改善された。その後、毎年主治医が替わる度に「薬を止めたい」とN.Hさんは訴え続けたが「止めれば更に悪くなる」と言われ、約6年間飲み続けた。最後の主治医が薬を中止するとうつ病のような症状は消え、平坦だった感情や表情も生き生きとし、健康な状態に戻った。
2012年にN.Hさんは目の錯覚だと思っていたものが幻視であることに気づき、自分で調べ、レビー小体型認知症だと考えた。信頼のおける人から紹介された専門医のもとで、心筋シンチグラフィや知能検査を受けた。しかし、画像では診断がつかず、「レビーの可能性は高いが、診断ができないので治療はしない」と言われた。8ヶ月後、倦怠感や不眠に苦しみ、幻視も頻繁にみるようになり再診を受けると、症状からレビー小体型認知症と診断され、抗認知症薬(リバスタッチパッチ)による治療が開始された。
体調は改善してきたが、病気のことを誰にも話せず孤独感に苦しんだ。同病同世代で、周囲に症状を話している女性と出会い、N.Hさんは友人や家族から 自分の病気を伝えていこうという気持ちになった。病気を隠して生きるのはやめよう、堂々と生きていこうと決意してからは、自律神経障害(血圧・心拍数・体温などの変動が激しいなど)以外の症状はかなり改善した。意識障害を起こした時だけ注意力などの認知機能が落ちるが、思考力の衰えはずっとない。
この病気は医師が言うように右肩下がりに悪くなるものではないと分かった。
薬の副作用に気をつけた慎重で適切な治療・ケア、ストレスを避けて人と楽しく笑って過ごすことで大きく改善する。同病の人に対して、希望はたくさんあるので、慢性疾患の一つのようにこの病気とうまく付き合いながら生活していって欲しいと願う。
医師でさえもこの病気をよく知らないため、誤診されて治療で悪化したり、適切な治療が遅れる人も多い。正しく診断されたとしても処方された薬で悪化している人も多い。副作用だと気が付かなければ認知症が進んだと考え、薬が増量されることもある。家族も薬剤過敏性という特徴や薬の知識がなければ、副作用に気づかず更に苦労する。このひどい状況を変えるためにも、レビ−小体型認知症に関する正しい知識の啓蒙が重要と考え、N.Hさんは自分の体験を話していきたいと考えている。
された。パキシル(抗うつ薬)の治療開始と共にATMにカードを置き忘れたり、車の駐車場所が分からなくなり認知症の検査を希望したが、うつ病の症状と説明された。薬の副作用により体調は非常に悪化し、発作のような焦燥感や対人恐怖症も出た。しかし副作用と思われる症状を伝えても「そんな副作用が出るのは1000人に1人」と言われ、増量された。
3ヶ月服用したが、主治医が替わり、薬が合わないようだとアモキサン(抗うつ薬)に変更された。発作のような焦燥感などは改善された。その後、毎年主治医が替わる度に「薬を止めたい」とN.Hさんは訴え続けたが「止めれば更に悪くなる」と言われ、約6年間飲み続けた。最後の主治医が薬を中止するとうつ病のような症状は消え、平坦だった感情や表情も生き生きとし、健康な状態に戻った。
2012年にN.Hさんは目の錯覚だと思っていたものが幻視であることに気づき、自分で調べ、レビー小体型認知症だと考えた。信頼のおける人から紹介された専門医のもとで、心筋シンチグラフィや知能検査を受けた。しかし、画像では診断がつかず、「レビーの可能性は高いが、診断ができないので治療はしない」と言われた。8ヶ月後、倦怠感や不眠に苦しみ、幻視も頻繁にみるようになり再診を受けると、症状からレビー小体型認知症と診断され、抗認知症薬(リバスタッチパッチ)による治療が開始された。
体調は改善してきたが、病気のことを誰にも話せず孤独感に苦しんだ。同病同世代で、周囲に症状を話している女性と出会い、N.Hさんは友人や家族から 自分の病気を伝えていこうという気持ちになった。病気を隠して生きるのはやめよう、堂々と生きていこうと決意してからは、自律神経障害(血圧・心拍数・体温などの変動が激しいなど)以外の症状はかなり改善した。意識障害を起こした時だけ注意力などの認知機能が落ちるが、思考力の衰えはずっとない。
この病気は医師が言うように右肩下がりに悪くなるものではないと分かった。
薬の副作用に気をつけた慎重で適切な治療・ケア、ストレスを避けて人と楽しく笑って過ごすことで大きく改善する。同病の人に対して、希望はたくさんあるので、慢性疾患の一つのようにこの病気とうまく付き合いながら生活していって欲しいと願う。
医師でさえもこの病気をよく知らないため、誤診されて治療で悪化したり、適切な治療が遅れる人も多い。正しく診断されたとしても処方された薬で悪化している人も多い。副作用だと気が付かなければ認知症が進んだと考え、薬が増量されることもある。家族も薬剤過敏性という特徴や薬の知識がなければ、副作用に気づかず更に苦労する。このひどい状況を変えるためにも、レビ−小体型認知症に関する正しい知識の啓蒙が重要と考え、N.Hさんは自分の体験を話していきたいと考えている。
インタビュー本人11
- 認知症になると性格まで変わると言われるが、本人からすれば不安と悲しみをいっぱいためて精一杯やっている中で、思わずこぼれたひと言でそのように見られてしまうのか
- 幻視はどれだけ見ても本物にしか見えない。動くはずのないものが動いたら幻視とわかるが、車が自分に向かって動き出したので思わず止めようとしてしまった
- 幻聴や幻臭、体感幻覚は初めは本物かどうか確認しようとしたが、何度も続くと精神的に参ってしまうので、今はもうどっちでもいいやと思って確認するのをやめた
- ストレスのかかるひと言で毒を飲んだようにぐったりしてしまう。また、台風が近づいてくると血圧もどんどん下がって拷問にあっているような苦しさを感じる
- 体調も注意力も計算能力も、理由はわからないが突然よくなったり悪くなったりする。まるで頭の中に無数にあるスイッチがオンになったりオフになったりしているようだ
- けん玉が脳の血流をよくすると聞き、意識障害が起こった時にやってみたらよくなった。小学生の理科の実験みたいな感覚で面白がって試してみることで気持ちも明るくなる
- 漢方で冷えを改善したら楽になったし、ツボの刺激で意識障害が治ったりもする。医師は薬以外に進行を遅らせるものはないといったが実際にはやれることはいくらでもある
- うつ病と診断されてパキシルを飲み始めたとたんに、血圧が下がり、失神したり、過呼吸になったりした。当初、うつ病の症状かと思っていたが、今思えば薬の副作用だった
- 医師からはアリセプトを勧められたが、困っているのは記憶障害ではなく激しい頭痛や倦怠感なので、リバスタッチパッチにしてもらったら、すごく体調がよくなった
- 過去にあったできごとが3日前なのか1週間前なのか1か月前なのかがわからない。それは時間の距離感がつかめないような感じである
- 匂いがわからなくなるのは記憶障害の前触れと思っていたのでショックだった。味もわからなくなり料理にも困る。いい匂いを他の人と一緒に楽しめないのはさみしい
- 注意を分散することが難しいので、2つのコンロを使うときは必ずタイマーを使う。運転も交差点であちこちに注意を払わないといけないので、なるべく乗らないようにしている
- MRIでも心筋シンチでも異常が見つからず、レビー小体型認知症の診断がつかなかった。早期発見・早期治療を期待していたのに、命綱を断たれた思いだった
- 認知症という診断は本人だけでなく配偶者にも絶望感を抱え込ませることになると思うので、夫に対して自分の症状について話すことはなかった(音声のみ)
- 夫は診断を伝えた後も、それまでと同じように何げなく接してくれるのがありがたい。「笑うと調子がいい」といったら、ひょうきんになって笑わせてくれる(音声のみ)
- 子どもたちに診断を伝えるときは「希望とセットで」と思い、すごく勉強して、レビー小体型認知症という名前でも認知機能の低下には個人差があるので大丈夫と伝えた
- 子どもに「歩けなくなったら車椅子に乗ればいいじゃないか」といわれ、ひたすら認知症の進行に怯えて過ごしていた自分が間違っていたことに気づいた
- 最初は疲れやすく体調が不安定でときどき幻視が見えていた。不眠になり、精神科に受診したところ、うつ病と診断された。自分では認知症を疑い、医師に伝えたが違うと言われた
- 9割以上レビー小体型認知症だと思って専門病院にかかったが診断がつかず、経過観察となった。その後8カ月受診せず、体調がひどく悪化して再受診し、ようやく診断がついた
- レビー小体型認知症はまだよく知られておらず誤診が多く、正しく診断されても処方薬で悪化することも多い。10年以上、この状態が改善されていないことに憤りを感じる
- 同情はしてほしくない。人間対人間として接してもらえたらそれが一番いい。体調が不安定で約束を急にキャンセルすることもあるが、今までどおり声はかけてほしい
- レビー小体型認知症は、右肩下がりに悪化していく病気ではない。副作用が出ないように慎重に医療を受け、明るく笑って過ごせばすごく改善する。希望をもって欲しい
- 介護に苦しむ人が集まる家族会に参加して自分の症状を話している、という同病の女性の、「理解してくれなくても知ってくれたらいい」という言葉が自分を変えた
- 調子の良い時にはパートで働き、調子が悪くなるととんでもないミスをして、結局辞めてしまうということを繰り返した。本当に情けない人間になってしまったんだなあと思った
- 同じ病気の人から勧められて、自立支援医療を申請して薬代の負担が楽になった。障害年金も申請したらいいといわれ、自分も他の人に勧めたいと思って申請したが却下された
- 抗認知症薬を貼った時には焼印を押されたように感じた。「幻視が見える」という私を誰が普通の人間と思ってくれるだろう、そう思うととてつもなく孤独だった
- 診断直後は奈落の底に突き落とされた状態だが、そこにサポートが何もない。どんな小さなものでもよいから希望とともに病名を告げて欲しい
- 虫が見えて怖いのではない。幻視が見える異常な人間になってしまったという怖さ、そして明日は人が見えるかもしれないという怖さだ
- 公表しよう、堂々と生きていくぞと思った時に、何かぱーっと開けたような感じがした