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診断時:51歳
インタビュー時年齢:56歳(2016年7月)
2006年頃から計算ができない、字が書けない、靴下を丸められない等が気になり、受診。うつと診断されたが、年賀状の字を見た友人に勧められ、神経内科を受診。2011年アルツハイマー型認知症と診断された。診断時は公務員(調理関係)で息子・娘と同居。2014年より休職中。インタビュー時、息子は独立、娘は留学中で1人暮らし。平日はデイサービス、訪問リハビリ、ヘルパー等を利用し、週末は当事者の交流会、友人との会食を楽しんでいる。
語りの内容
―― 息子さんは、その、診断が分かったとき、どんな感じだったんですか。
そう、あのね、その病院に、わたしの友達がいて、あのー、わたしは、ほかの病気とかで、あのー、その子(友達)にね、あのー、その子に世話になっていうか、その子のところに行ったりするんだけど、その、ま、あのー、友達がいて、で、そのときに、あのー、こういうふうだったんだって言って、その、その子の職場、職場っていうか、その、あのー、病院のね、そこのところまで行って、あのー、結果話に行ったときに、友達が、あのー、うちの子の名前呼んで、あのー、「母ちゃんのこと頼むよ」とかって言ったの。そしたらね、息子が、うしろ向いたまんま、その、わたしの友達に、こうやって手振って、もう、任せろみたいな感じで手振って歩いて行ったのね。息子だって、悲しい思いしているのに、その先生の話聞いたときに、ちょっといなくなったなと思って、ああ、その、「何しに行ったの」って言って、「うん、あのー、脳、脳だけでほかのとこは大丈夫ですかって言って、それは大丈夫だって、それを聞いてきた」って言って。それで、ね、ね、友達のそういう、うしろ向かってこうやってやるの見て、もう、そのときの光景が、いつも忘れられなくて。わたし、この子が結婚するとき、また号泣するんだろうなと思いながら。
……この病気のとき、なって、ちょっと不安になったときに、初めて、ちょっと、離婚したことを、ちょっと、ちょっと、こう、あのー、後悔した。全く1人でしょう、連れ合いがいないでしょう。で、今は、こうやってやっていけれるけども、わたしがいなくなったときに、この子たちはどうなるんだろうかとか、この子、ね、ま、何とかなるんだろうけど。わたしが、もっとひどくなっちゃったときに、どうしょうとかって。そのときに、うーん、ちょっと一瞬、離婚したことを後悔した。でも、いかん、いかん、わたしが離婚したのは、毎日笑っていたいから離婚したんだから、いかん、いかん、いかん、こんなことで。よかったことだからいいんだって。で、子どもも、全然、その離婚したことに対して、あのー、「いないのは、何とも別に思っていないよ」っていつも言ってくれる。
「全然何ともないから大丈夫だよ」って言って。で、だから「ああ、そうか」って。
だからね、ま、先のことは分かんないから、自分がどうなるか分かんないしね。うーん、だから、ねえ、それこそ、ほんとに、ねえ、病気とかで死んじゃったりとか、いろんな人のそういう死を見ていたりすると、ああ、うちの母親も父親も早く亡くしているんで、ねえ、あしたのことは分かんないから、やっぱり、きょうはきょうで、思い切って、もう毎日、ほんとに一生懸命生きて行かなくちゃいけないなって、あしたどうなるか分かんないから、後悔していないように頑張って生きていきていくのが一番いいんだなっていう。そう思いますね。
インタビュー本人16
- 以前はデイサービスの送迎車や捨てた薬の包装から認知症だと知られるのが恥ずかしいと思っていたが、今は人に助けてもらいたければ「言ったほうが勝ちだ」と思う
- 単純な作業をしてヘルパーに「上手にできましたね」といわれたときはショックで、担当を替えてもらった。人に助けてもらってばかりの自分の存在価値があるのか悩んでしまった
- 家族の交流会では当事者の女性は自分だけだったので、しばらく遠ざかっていた。2年ほどして行ってみると同年代の女性の当事者が来ていて、意気投合していろいろな話をした
- 丹野さん(本文参照)の講演会を聞いて自分と同じ思いをした人がいることに感動。自分でも認知症になって悲しい思いをする人を一人でもなくすために何かやりたいと思うようになった
- 計算を間違える、字がうまく書けない、ビールをコップに注げないなど、やりにくいことが増え、最初は年のせいと思っていたが、あまりにひどいので受診したらうつと言われた
- 年賀状の字がおかしいことに気づいた友人に受診を勧められ、アルツハイマー型認知症と診断された。振り返ると10年前から症状が出始めていたが、認知症とは思わなかった
- もしかしてと思いながらも違ってほしいと願っていたが、認知症と診断がついた。渡辺謙の映画で見たぐらいの印象しかなくて、ああなってしまうと思い悲しくて娘と泣いた
- レジ袋に商品を入れるのも、財布からお金を出し入れするのも苦手で時間がかかってしまう。困ったときはお店の人にSOSを出して手伝ってもらうようにしている
- できないことがあると病気の進行かと思うが、先のことを考えてもしようがない。きっと誰かが助けてくれるから不安はない。不安があったときそこにつけいられて詐欺にあった
- アリセプトとメマリーを飲んでいるが、飲み始めてから夢をよく見るようになったくらいで、効果を感じることはない。それでも「飲んだら治る」と思いながら飲んでいる
- 娘が頼んだことをやってくれないのは母親の病気を受け入れられずに苦しんでいたからだった。元気に外に出掛けていく姿を見せることが娘にとってもいいことではないかと思う
- 友達が息子に「母ちゃんのこと頼むよ」といったとき、後ろ姿で「任せろ」というように手を振ったのが忘れられない。先のことはわからないので今日一日を一生懸命生きていく
- 紹介状を書いた町医者に検査結果を報告しに行ったら「若年性認知症は5年で廃人になる」と言われた。別の病気でかかっても認知機能を試すような質問をするので行くのをやめた
- 月曜から金曜までほぼ毎日介護サービスを利用している。ヘルパーには家事やお金の計算を手伝ってもらい、訪問リハの作業療法士とは財布からのお金の出し入れを訓練している
- 病気でできなくなったことについて、職場で「努力が足りない」といわれることもあり、悲しかった。少し手助けしてもらえれば仕事を続けることができるので、理解してほしい
- お年寄りが病院のトイレで出口がわからなくて困っていた。自分もしゃれたデザインの蛇口やトイレの鍵に苦労するので、認知症の人に使いやすいトイレを作ってもらいたい