インタビュー時:56歳(2012年8月)
関係:妻(夫を介護)
診断時:夫58歳、妻53歳
診断される1年ほど前から夫の異変を感じていたが、2009年に前頭側頭型認知症と診断される。夫と介護者、娘と息子の4人暮らし。その後、夫はコンビニなどのトイレからトイレットペーパーを持ち帰ることが続き、2012年警察に保護されたこともあった。なるべく夫の習慣に合わせて対応を工夫してきた。現在は若年性認知症の人を受け入れるデイサ-ビスに週5日通っており、夫に合った対応をしてくれているので、嬉しく思っている。
語りの内容
8月に父が急に肺炎をおこして、3日ほど入院して亡くなってしまったんですね。8月のお盆のころが命日だったんです、ちょうど3年前ですけども。で、主人は――それも症状の一つなんですけど―-父親が危篤だというのに、資格を取る勉強をずっとしていまして。あの、暇さえあれば問題集や教科書を、あっちこっちで出していたんですね。で、父親が、危篤で入院しているその病室でもその問題集をずっと開けているというのは、どうみてもやはりおかしかったなというのがありますね。
ほかに、そのとき感じたそのおかしさというのは、例えば、ずっと甘いものが嫌いだった主人が、何にでもポン酢をかけるようになった以外に、甘いものをとても好きになっていたんですけども。父親が酸素吸入マスクをつけられて眠っている横で、主人は甘いお菓子をばくばくばくばく食べながら勉強しているって、それも、ちょっとわたしから見たら異様な光景だったんですね。で、3日間の入院中、看護師さんたちから、「誰かが泊ってください」と「部屋についていてください」っていうときに、わたしはまあ、泊まろうと思いましたけども、主人は、「僕は帰る」と「帰って勉強するんだ」と。
インタビュー家族31
- 好きな食べ物を子どものようにねだる夫に対して、冗談半分で「前頭葉が委縮しているんじゃないの?」と言ったが、検査を受けたら本当にそうだった(テキストのみ)
- 前頭側頭型認知症と診断された後、夫は病院に行かなくなった。3年ぶりに検査が必要となり、主治医や家族会の人までもが協力してくれて何とか病院に連れていった(テキストのみ)
- 長谷川式認知症スケールが診断時は満点に近かったが、今は7点になっている。医師はピック病患者は検査に協力的ではないので、点数ではわからないと言う(テキストのみ)
- 診断は問診と画像診断でついた。家族会で聞いた話では遺伝子診断もあるらしいが、夫がそこまで受けてくれるかわからない(テキストのみ)
- 検査中でもすぐに起き上がって帰ろうとする夫を、主治医や家族会の人と「今日受ければ10万円もらえるから」となだめすかして受けてもらった(テキストのみ)
- メマリー、抑肝散、パロキセチンの三種の薬を飲んでいる。今は家に閉じ込めているので薬はなくてもいいかもしれないと思うが、主治医に飲み続けるように言われている(テキストのみ)
- 強迫的な常同行動を抑えようと、メマリーと抑肝散にパキシルのジェネリックを追加してもらったが、突然眠ってしまうようになったので、今は抑肝散をやめている(テキストのみ)
- ゴミ出しのルール違反者への抗議がエスカレートして、迷惑防止条例に触れるほどになり、人から勧められて病院に行ってピック病と診断された(テキストのみ)
- 危篤状態の義父の横で、夫がお菓子を食べながら資格試験のための勉強を続けていたのは異様な光景だった(テキストのみ)
- 午前中ドライブして、家に帰って散歩してフライドチキンを買ってきて、ビールを飲みながら受験勉強をし、夕方また散歩に行って寝るのが夫の日課だった(テキストのみ)
- デイサービスの送迎車のところまで車で夫を送っていくのだが、自分で運転をしたがるので、毎回いろんな理由をつけて説得しなくてはならなかった(テキストのみ)
- コンビニのトイレからトイレットペーパーを持ち出して警察に通報されたが、店長が映画『明日の記憶』を見ていたので、理解を示してくれた(テキストのみ)
- 夫が持ち出したペーパーをこっそり女子トイレに返していたが、男子トイレの紙が足りなくなるだろうと思い、ショッピングセンターの総務に電話をして事情を説明した(テキストのみ)
- 本人が受診拒否していたので、物を持ってくることをやめさせられないと思っていたが、警察に保護されたことをきっかけに受診して、認知症の薬を処方してもらえた(テキストのみ)
- リセット入院とは認知症の人が持って来たくなるものがない環境で短期間入院して行動パターンを変えるというものだが、自分たちが住む町ではやっていない(テキストのみ)
- ピック病の夫は入浴を拒み2年間もお風呂に入っていなかった。着替えもしないので、寝ている間にシャツのボタンやパンツのゴムを切って無理やり着替えさせた(テキストのみ)
- フライドチキンの箱にお弁当を詰めたり、箱の手前に用意してあったおかずを置いたりして馴らして行くと、夫は箱がなくてもデイサービスの昼食を食べられるようになった(テキストのみ)
- 脳の何かの反射でいつも缶ビールを口に当てていたいだけなので、ビールを水に入れ替えても「ああー」と気持ち良さそうに飲んでいる(テキストのみ)
- ピック病の夫は10時を過ぎないとフライドチキンは販売しないのに、毎日7時くらいに出かけては「まだだった」と帰ってきて、再び出かけていく(テキストのみ)
- 夜7時ごろ散歩に出かけた夫は遠方まで歩いて行って帰れなくなった。夜明け近くに保護されて帰ってくる夫を警察署で待つのは嫌な気分だった(テキストのみ)
- 夫は防犯意識が強く家に鍵をかけずに出かけることはないので、自分が外出するときに鍵がないと言えば夫は家を空けない(テキストのみ)
- 家族会には子どもたちの集まりがあり、娘も認知症の親を持った子どもと話してみたいと言っていたが、忙しくて行けなかった(テキストのみ)
- 前頭側頭型認知症の人は「あずかれない」と言われることが多いようだが、夫は最初に問い合わせたデイサービスの施設で受け入れてもらうことができた(テキストのみ)
- 夫は前頭側頭型の相貌失認という症状で、近所の人に会っても挨拶しなくなっている。説明のしようがないし、どこかに引っ越してしまいたいと思うこともある(テキストのみ)
- 夫が定時より早く会社から帰ってくるようになった。有給休暇の消化だと言うが、頻繁なので、会社でうまくいっていないのかと思った(テキストのみ)
- 会社にはしばらくは人事部付で在籍できたので、転職するつもりで勉強していたが、結局病名も言わないまま退職した。円満退職を迎える方法もあったのではないかと思う(テキストのみ)
- 以前は情より知という感じの人だったが、今は何かにつけ「愛しているよ」と言う。二人のなれ初めや子供の名前を誰がつけたかなど聞いて、原点に返っているようだ(テキストのみ)
- 数年間、夫の言動をおかしいと思っていたので、前頭側頭型認知症と診断されて病気のせいだったと腑に落ちた。しかし、今後、夫がどうなっていくのかはわからなかった(テキストのみ)