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インタビュー時:65歳(2011年3月)
関係:長女(実母を介護)
診断時:実母75歳、長女51歳
1998年に実母がアルツハイマー型認知症と診断される。長女はもともと実母・息子と3人暮らし(実父死亡、夫と離婚)だったが、息子の独立を機に、自営の仕事をするために母と離れ、遠方で独り暮らしをしていた。母が診断されてから遠距離介護を2年したが、身体がもたず母親を呼び寄せて同居する。その4年後にはグループホームへ入所、一時退所させて同居、現在は介護老人保健施設を利用。
語りの内容
施設はできるだけ母が、あのー、ゆったり過ごせる所、監視され過ぎでもないし、そのー、何て言うのかな、できるだけ、あの、さっぱりしてるっていうか、あの、所っていうのを…こう気にしてました。ていうか、自分がこう、見た感じ、居心地のいい所っていうか、あの、母っていうよりも(笑)。それを主に。で、何カ所か見た中で、やっぱり何て言うんだろうな、あのー、老人幼稚園みたいな所あるんですよね。
何か、あのー、子どもじゃないのに、こう、いろいろなぬいぐるみとか、それから、こう、うーんと、折り紙の飾りとかで飾り立ててあったりとか、うん。それで、いろんな物がごちゃごちゃと置いてあったりとか、うん。そういう所は嫌だな。あと、圧迫感がある所は嫌だなって。あと、管理されてる人を、見た印象が良くない所は嫌だなとか(笑)。うん、いろいろあったんですけどね。
で、あの、すぐ近くに、あのー、わたしの前、勤めてた所が、その、に老人施設ができて、うん。温泉もあるし、いいなと思ったんですけど、そこ見に行ったときは、何かね、あのー、気持ちが明るくならないんですよ、その建物の中にいて。うん。ああ、これは落ち着かないなって思って、近いけどやめにしたとか。うん。で、あの、すごく、あの、働いてる人が若くて感じいいんだけど、何か周りがごちゃごちゃし過ぎてるっていうか、それはあの、お年寄りのためにっていうことで、火鉢とかね、そういう昔の物をあっちこっちディスプレーしてるんだけど、それが何か雑然としてる感じがしたの。だから、何となく気持ちがね、ただでさえ何かまとまりがつかないのに、もっと気持ちが雑然としちゃうんじゃないかって(笑)。それは、ただのわたしの感覚なんですけども。
そういうことで、すごく何かすっきりしてて、こう、何て言うのかな、何にも置いてない、広いスペースがあるような。そういう広い…家の中なんだけど、そういう広間があって、で、あと床が軟らかかったんですよね、うん。で、あのー、個室もさっぱりしてるし…っていう所があって。で、主に施設だったんですけど、ここがいいなって思ったんですね。 で、そこを運営してる方も女性だったし。ここならいいって思ったんですね。で、あと、いろいろ、こう、今までの生活の延長線上で暮らせますっていうことと、できることはやってもらうってことと、できるだけ外に連れ出して、あの、いろいろなね、所を、あのー、何て言うのかな、こう、遊びに行ったりとか、その、お食事に行ったりとか、そういうことをやりますよっていうことだったんで。で、庭にちょっとした畑も作ってますっていうことだったんで、ここならいいだろうなって思って。
―― それは老健施設ですか、グループホーム?
グループホームです。ええ。
―― あ、グループホームですね。
はい。で、老健施設は、あのー、そのころ隣の町にあったんですけども、見に行ったら、ちょっと病院的だったんですね、見た感じが。
―― ああ、そうですね。
うん。で、ああ、これちょっと駄目だなって。(母と)一緒に見に行ったんだけど、「もう帰ろう、帰ろう」って言うんです。「ここは嫌だ」って言って。うん。それでやめてましたね。
インタビュー家族11
- 自分が旅行に出かけているうちに、母が弟に電話をして、自分が家のお金を全部持って逃げたと言ったことが、決定的な大事件だった
- 精神科にかかっても母の攻撃性が収まらなかったとき、糖鎖のサプリが脳にいいと聞き、取り寄せて毎日飲ませていたが、飲みにくいうえ高いので続かなかった
- においがするものが嫌いな母には向かないと思ったが、植物系のアロマが気に入って、それで気分の浮き沈みが激しかったのが安定した
- 以前は母が警察官だった父の給料が安かったという愚痴を繰り返すのが嫌だったが、次第に父のことも忘れて法事にも行かないと言うようになったのはちょっと悲しい
- 母は娘の家にいても自分のうちと思えないらしく、父のご飯を作らなくちゃと言って出て行ってしまう
- 母はどんどん外に出ていき、疲れて倒れるまで歩く。娘が「帰ろう」と言っても帰らないが、知人がたまたま通りかかったように装って「送ろうか」というと素直に帰る
- アルツハイマー型認知症の母は何をしていてもいつ怒りだすかわからないので、腫れものに触るように過ごした時期が3~4年はあった
- 母がお店でアラ汁が出たときに怒りだしたのは、どうやって食べればいいかわからなくなってしまったからではないかと後から気づいた
- 何度もけがを繰り返し、片時も目を離せない、何をやるかわからない状態になったため、もう限界だと思った。ケアマネージャーに相談し、少しでも母の気に入りそうな施設を探した
- 母がゆったり過ごせる、居心地の良い施設を探した。グループホームはこれまでの生活の延長線上で暮らせることを大切にしていて気に入った。老健施設は病院的で母が嫌がった
- 母が入所したグループホームは薬の飲ませ方や車いす移動に疑問を感じた。拒否するとはいえ検診や入浴等しておらず、老健に相談するといじめかもしれないと言われて移ることにした
- 施設に入る日、これ以上一緒に暮らせないことを説明し、写真を撮ったら、母は決死の覚悟の顔をしていた。施設に入ったら、母は自分から「よろしくお願いします」とあいさつした
- 施設に泊まったのは入所半年で一度だけ。毎日でも泊まれるのかどうかはわからないが、家から遠いので、移り住むということも考えてみたが、仕事もあるので難しい