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インタビュー時:80歳(2012年2月)
関係:夫(妻を介護)
診断時:妻75歳、夫72歳
2004年に妻がアルツハイマー型認知症と診断され、アリセプトの内服が始まる。夫婦2人暮らし。息子3人は別世帯を構える。夫は無職。妻は要介護2で、発症3年後に、引っ越しのため妻を有料施設へ預けた。しかし、妻の不在で夫がノイローゼ気味になり、息子の反対を押し切って施設を退所させ、現在週2回デイサービス利用しながら自宅で介護をしている。
語りの内容
今まで私もね、あのー、この、今、あんたとお話してるように、そういうこと言っちゃならんのかどうか、あの、半信半疑だけども、この家つくるについて、もう大きい、今までの、あのー、100坪ぐらいの家があったんですよね。それが去年の5月に1カ月ぐらいで取り壊して、すぐ6月からこの家を造って、お盆の、あのー、お盆が来るまでに完成してくれというふうにしてやる。そのために私が、あのー、村内の中にあるね、共同生活の○(施設名)があって、あの、施設へ。それ有料の施設。そこへ、うーん、お盆が来るまでね、この、完成するまで、やってくれたんです、はい。
そのとき私が、まあ一番困ったのは、夏の暑いとき、あの、家を壊す、家を造ってる、その辺の心配、その他あって、私も晩酌なしでいらんなくなるから、そんなことでやっているうちにね、やっぱりね、男っていうのは駄目なんだね。1人でぼけっとして、ぼけっとじゃなくてテレビ見て、新聞見て、晩酌飲むと、晩酌飲むとちょっとはね、陽気になるけども、それまでがね、私寝てて、目が覚めて「あれ」っていう、こういう感じで。私がノイローゼ気味になってきた。ノイローゼになって、これは駄目だということで、まああの、そういうふうに、私の判断だし、私が一番よく分かるから、夜眠らんない、うん。あ、何て言うの、あれは、あの、眠りが浅いというのかね。すると次の日ね、ぼけーっとしてるわけ。ほんで、あの、何か体がふらふらするようなね、そういう状況になって。ええ、それで、まあ安定剤、それ、以前からも飲んでんだけど、たまには安定剤とかね、そういうものを飲んだりしていますがね、はい。ま、そんなので、男っていうのはやっぱり1人になって、あの、今までいた連れ合いがいなくなると、男っていうのはやっぱり弱いんだなと。きついようだけれども、そういう精神面では弱いなと、私がきつい、自分では思ってる。だけども、そういうふうになって、ノイローゼ気味になって、あ、退所させたの、はい。
ということが、ま、あって、それで今、家にいておれが面倒を見ると。子どもたちは「あそこ出ると、今度入りたくても入らんないよ」と、いろいろ心配してくれるから、「いや、もうこの状況は、村内の施設だからね、おれがよく、あの、話を聞いて、所長とも話もできるんだし、いい通所のデイサービスの施設もあるし」ということで、だからデイサービスのほうへお願いするというふうに話もして、うまく子ども納得させて、8月の…10月までね、あの、いました。
インタビュー家族22
- 妻がべろが痛いと言い出したのは10年前で、その頃がどうも始まりかなという感じがする。それからもの忘れが始まって診断に至った
- 時間の感覚が飛んでいる妻は、週2回のデイサービスの日がわからず、毎朝午前3時ごろに出かける支度をする。「行くときは教えて上げるから」と言ったら安心した
- 家を建て直すのを機に、妻を有料(老人)ホームに一時期預けたが、一人きりでテレビを見て晩酌していたら、何だかノイローゼ気味になり、子どもを説得して妻を退所させることにした
- 施設に入っていた妻を引き取り介護している。できれば、ゆくゆくは息子たちの誰かにこの家に来てもらい、世話になりたいが、その話になると喧嘩になってしまう
- 妻は忘れるのは仕方ないと病名を気にかけなかったが、「たくさんのきょうだいの中でなぜ自分だけが悪い病気になったのか、申し訳けない」と、繰り返し言う