インタビュー時:75歳(2012年10月)
関係:夫(妻を介護)
診断時:妻65歳、夫70歳
2007年に妻がアルツハイマー型認知症と診断を受け、アリセプトの服薬を行ったが改善せず、2009年に他の病院でレビー小体型認知症と診断を受けた。夫は65歳で定年退職後、70歳まで仕事を続け現在無職。2人暮らしで、妻の在宅介護を行ってきた。その後、妻のパーキンソン症状が強くなり、徐々に歩行困難となったので、介護に限界を感じ、2011年に病院に入院させることにした。
語りの内容
―― うーん……奥さまが最終的に、もう、もうかなりのところまで、在宅で居宅でご主人が介護なさって。
もうね、行くたびに、先生がね、「ああ、あのー、Mさんの、あんたの気持ちは分かるけども、わたしに任せなさい」と。ねえ、それで「いろいろ見ているけど、男の人は、もうほんとに奥さんのために頑張りすぎちゃって、倒れる人をいくらでも見とる」と。それで、「Mさんも、一生懸命やっとるのは分かるけども、あんたがつぶれたら、…誰も見る人はいないんだから、まあ、割りきってこっちに任せなさい」。それで、踏ん切りがついたんですよ。ま、兄弟とか、姉にね、相談して、「こういう状態だから、まあ、入れるんだったら、そう、もっと早く入れないかなんだや、あんた、自分がつぶれたら、しょうがない」っていうことで、それこそ、つ、つらかったですね。うん。
―― それ、でも、しばらく悩まれましたでしょう。
そうですね。
―― うーん、最終的にその決断くだしたのは、やっぱり。
自分がもうこれが限度だなあと思いました。うーん、いやあ、このままだったら、おれ、自分が倒れちゃうなと。そう、そういう気付くようになったから、よっぽど、ある程度悪かったんでしょうね。ええ。
―― 肉体的な大変さと、こう精神的な。
うーん、やっぱり、食欲がなくなってくるしね。ええー、自分の体でないみたいな感じでしたね。
―― でも、よく、ご主人頑張りましたね。
うーん、だから、兄弟も、ここに、やっぱりね、5~6人いるですけど、この近所に住んでいて。もう、しょっちゅう言われたんですよ。「お前、そんな頑張っても、どうしようもないだで、もう割り切って、そういうところがあったら、入れないかんぜ、入れないかん」って、しょっちゅう言われたですね。「もう、ちょっと頑張ってみる」って言ってね。やっぱり、ちょっと頑張りすぎたっていうかね。ええ。
―― 何か、もうちょっと頑張れるっていう気持ちもあったんですか。
あった。あったですね。
―― 頑張りたいっていうのがあったんですかね。
うーん。
―― …それで、もう、ほんとに悩んで悩んで、最終的に、奥さまを、ま、病院のその施設のほうにって…それ最初に言われてから、奥さまが、入院するまでは、何カ月ぐらいあったんですか。
まあ、あれだね…3カ月か4カ月ぐらいありましたね。うーん、こう、先生が、やっぱり、病院連れて、行ったときでも、見ているわけですよね、わたしの行動を。それで、まあ、…「わたしに任せなさい」と、わたしは、また、「いや、先生もうちょっと頑張るってみる」と。で、結局、まあ、最終的にね、「先生お願いします」ということになったわけですけどね。
インタビュー家族37
- レビーの最初の症状はパーキンソン症状だった。親類の葬式の時に榊を落としてしまった。それから茶碗やスプーンを落とすようになった(テキストのみ)
- レビー小体型認知症の妻は、家にいるのにしきりに「うちに帰ろう」と言うので、真夜中に手をつないで外を回って「うちへ帰って来たよ」というと落ちついた(テキストのみ)
- 先生に自分が倒れたら看る人がいないんだからと妻の施設入所を勧められた。きょうだいに相談しても同じように言われ、つらくて決めるまで非常に悩んだ(テキストのみ)
- 民間だとショートもすごくお金がかかるので、体調が悪い時も利用しなかった。近くに民間施設はどんどんできているが、もっと安い公的な施設を作ってほしい(テキストのみ)