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診断時:54歳
インタビュー時:57歳(2011年)
インタビュー家族15 の夫
大学で教職にあったが、2009年に若年性認知症と診断され、現在休職中。週の1日はサポートセンターを通じて受けた仕事をし、1日は家族会で英語を教えている。母親を含め認知症の高齢者が気になっており、自分のできることをしてあげたいと考えている。最近はやることが複雑に感じられ、考え方をもう少し変える必要性を感じている。2012年春に退職予定だが、現在働いている妻と二人暮らしで、落ち着いた日々を送っている。
語りの内容
一番気になってるのはやっぱり、あのー、うちの、あのー、おばあちゃんがどうなってるかとか、あのー、みんながどういうことをやってるかっていうことについては、やっぱりいろいろ、あのー、気になることっていうのはありますね。あのー、おばあちゃんがどういう、あの、どういうふうに進んでいけばいいかとか、あの、そういうのは気になりますね。
―― あのー、お近くのグループホームにお母さまが入られてるって伺ってるんですけれども。
はい。あ、あの、時々行きますね。あのー、おばあちゃんを見に行くとか、そういうことがよくやらないといけないこととしてやってますね。で、何とかおばあちゃんも普通にできるように、ということは考えてますね。
―― うん…その、お母さまも認知症になられていらっしゃるんですよね。
…お母さん、僕自身?
―― うん、だから、おばあ・・・おばあちゃん。
おばあちゃん。あ、おばあちゃん、はい。おばあちゃんはそうですね。おばあちゃんはもう、あのー、だけど、がんばってるなと思うのは、おばあちゃんも時々、あのー、電話をしてくるんですよ。やっぱり、あの、思うようにいかないと電話がかかってくるんですよ。そいで、あのー、まあ、ま、別に悪いことしてるわけじゃないし、だから、「分かりました。じゃあ今度、おばあちゃん、あした、今日は無理やけど、あしたはじゃあ行くから」って言うと、喜んで、まあ、翌日にしましょっていうことには、いつもたいていなってますね。
…忘れちゃってるんですよね。あの、おばあちゃんの場合はね…忘れてます、常に。もう次の瞬間にもう忘れてますね。これは悲しい話です。自分でどうしてんのかっていうのが、本人がやっぱりちゃんと分かってないっていう状況が、ずっと残ってるんだなっていうのはありますね。
で、あのー、自分で、あの、好きな人というか、あのー、いろいろ僕のことを言ってくれる人はこの人だっていうようなところでは、ちゃんと言ってくれるけれども、だけど大切なことは忘れてる、完ぺきに忘れてしまってる、ていうようなことにはありますね。これはまた悲しい話だなと思いながら、言ってるな、やっぱりっていうのは気になる。完ぺきに忘れてます。あのー、次の瞬間にもはや忘れてる。けい、き、記憶がもうなくなってるという…。
脳死を、やっぱりそうなってるんだと思うのは結構しんどいことですね。…まあ、だけど、何とかしてかないと、と思うんですけどね。と思ってるんですけど、うん、いいかどうか分かりません。あの、難しい。難しいですよね、やっぱりね。MRIで分かってあるのは、分かってるのは、どのく、どのくらいまでなんだろうか、とかね、思ったりしますしね。…面白いですけどね。変な言い方ですけど。
インタビュー本人07
- 若年性認知症と言われても、平気だった。自分にとって、認知症はそこにあって全然不思議なものではなかった(音声のみ)
- 仕事として請け負って、はじめて草むしりをすることがどういうことかがわかったが、面白いと感じている。でも、時には、センターのメンバーでお酒を飲みに行きたいと思う(音声のみ)
- 自分の中でできないことがあると、しんどくなる(音声のみ)
- 認知症で困っている人がいれば、なんとかしなくてはいけないと思う。それが普通じゃないかと思う。もう無理なこともあるので、それを考えると怖くもなるが…(音声のみ)
- 母も認知症で、思うようにいかないと電話をしてくる。いろいろ息子を気遣って言ってくれるが、大切なことを完ぺきに忘れてしまうのは悲しい話だと思う(音声のみ)