インタビュー時:37歳(2012年9月)
関係:長女(実父を介護)
診断時:53歳(実父)、長女23歳
1998年父が53歳で脳出血となり、片麻痺が残った。当時、両親と一人娘である長女の3人暮らし。認知症になるかもしれないと主治医に言われたようだが、知識もなく聞き流していた。4年後に母ががんになり、代わりに父の面倒をみることになるが、父の認知機能は悪化し、長女もパニック症候群になってしまう。ぎりぎりの状況で公的サービスを導入。現在、長女は結婚し家を出て近くに住み、両親をサポート。父はデイサービス週6日、ショートステイ月2回利用。
語りの内容
で、初めて、しっかり、わたしが、父の病院に、一応、それまで、月に2回とか定期健診には、毎月、行っていたんですけど、わたしが行くことになって、連れて行かなきゃいけないので、1人では、行けなかったりしていたので、行って、そこで、主治医の先生に、もう、さっぱり、やっぱ、現実がさっぱり分からなかったので、「父は何なんですか」というか、「今の、現状は、何なんですか」って聞いたときには、しっかり「認知症です」と、そんときは聞いたと思います。ぼんやり前も聞いていたんですけども、改めて聞いて、「脳血管性の認知症になりかけているというか、なりはじめていますね」みたいな。
でも、そもそもその時点で、認知症…の脳血管性って何だっていうところから、何か、やっぱアルツハイマーのイメージが強いんですけど。今でこそ、いろいろ分かっても、認知症にその種類があることも(当時は)分からないし。まず、アルツハイマーになったんだ。どんどん壊れて、壊れていくって言い方あれなんですけど、ああなるのかみたいな、何か、こう、恐怖というか、そういう感じで。
今でさえも、母親が(がんで)えらい大変なことになっているのに、それがさっばり父親分かっていなくて。えーとか思ったんですけど、ま、そのとき、先生が、こう「いろいろ種類があって、お父さんの脳が切れてしまって、その切れたところから、どんどん、こう、それが記憶、…を作用するところにもおよんだ認知症だ」みたいな。何か、でも、やっぱり分からないんです、何だか、全然知識がない。で、とにかく、どんどん、こう、記憶とかなくなっていく病気にはなっているんだ。し、仕方がないのかみたいな、その母親のことが分からないこととか。
どっちかと言えば、母とわたしは、その脳出血によって麻痺が残って寝たきりになるんじゃないかとか、しゃべれなくなるんじゃないかとか、そっちのほうに気とられて、どうしても、そういうイメージが、脳が、脳の血管が切れると、そのあとの寝たきりとか麻痺とかっていうほうに気がとられちゃうので、先生「認知症にもなってくると思います」みたいなこと言われても、「はあ?」みたいな感じで、「それより、麻痺は残るんですか」とか、「しゃべれるようになるんですか」とか、そっちだったかもしれないですね。
インタビュー家族32
- 父は脳梗塞で倒れる前に会った私の友達はよく覚えているが、その後に出会った友達や会社の従業員のことは覚えていられない(テキストのみ)
- 脳血管性認知症の父の主治医に先のことを聞いたら「アルツハイマーではないので、階段状に一定の症状が続いて、落ちるときはとカクンと落ちる」と言われた(テキストのみ)
- 神経質な母は父の下(しも)の世話をすごく嫌がり、失敗すると猛烈に怒るので、怒られたくない父は早くからおむつをつけるようになった(テキストのみ)
- 高血圧と糖尿病(※)がもとで脳梗塞を起こした父は、7時のNHKニュースを見ながらご飯を食べられないと怒りだし、コンビニであんパンを3個も買って食べたりする(テキストのみ)
- 父は片麻痺があってうまく話せないのですぐに手が出る。まだ50代だったので動くほうの手の力は強く、殺されるのではないかと思った(テキストのみ)
- 一人っ子だと諦めがつくし、覚悟もつくし、全部1人だが、かえってきょうだいがいるより楽かもしれない。誰かをあてにするより社会資源を利用した方がいいと思う(テキストのみ)
- ずっと父の面倒を見てきた母ががんになり、一人娘の自分が介護を引き受けた。母の不在に加え、勝手がわからず、父にとっては大きな環境の変化となってしまった(テキストのみ)
- 父の状態は今も一番ひどかった状態とさほど変わっていない。家族だけで介護していたら、私もまだお嫁にいけなかったと思う(テキストのみ)
- 家族会に行っても自分と同年代の人がいないし、介護をしていない同年代の友達にはお父さんのおむつの話はできないので、結局ためこんでしまっている(テキストのみ)
- 認知症の親を介護する30代は一番忙しい世代なので、会をやっている暇もない。顔がわかると言いづらいこともあるので、匿名性の高いブログに思いを吐き出している(テキストのみ)
- 自分はまだ保険料も払っていないので、介護保険サービスに気づかなかった。知り合いの看護師からいろいろ教わり、病院のソーシャルワーカーに相談した(テキストのみ)
- 母は世間体から父の認知症を隠していた。母の入院中、包丁を振り回す娘の姿をみた近所の人が「このままでは父・娘が死んでしまう」と母を説得し、介護保険を導入した(テキストのみ)
- 父が脳血管性認知症と診断されたが、認知症に種類があることも知らず、漠然と記憶がなくなる病気だと思った。脳出血の後は麻痺や言語障害の方に気をとられていた(テキストのみ)
- 父の発症後、転職してまもなく母の病気もわかったが、会社で融通を効かせてもらえたので、なんとか働き続けることができた(テキストのみ)
- 父の介護で私の20代が終わるのは嫌なので、本当にやりたい仕事ができるように、介護サービスをうまく利用することを母親に働きかけ続けた(テキストのみ)
- 会社員のときはヘルパーさんをお願いしていたが、フリーになったら家にいることが多いからという理由で頼めなくなり、デイサービスに切り替わった(テキストのみ)
- 認知症の現実を以前よりは受け止められるようになってきたが、自分にとっていつまでも父は父なので、こうあってほしいと望んでしまい、それと違うとがっかりする(テキストのみ)
- 脳血管性認知症の父は、最近パーキンソンみたいにとんとんとんっと突き進んでしまう症状が出てきて、心配だ。本人は「焦るとなってしまう」と言っている(テキストのみ)