投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

他に人がいるときは冷静でいられるが二人だけの時に妻に「つらいつらい」と言われ続けるとつい怒って手が出てしまう。叩いたあとは自分を責めて落ち込む(音声のみ)

うん、人がいたらまだ冷静でおれるんですけど、2人だけのときに、もう延々と「えらい、えらい」言われると、なあ、怒るなあ、「えらい、えらい、言うな」って、うん。

認知症本人(妻):怒るんや。 (一同笑) 怒るんや。どつく。

どつくんのやな。

本人:どつくのや。

近寄るとおびえるんやな。

―― え、どつくってどんな、どんな感じ?

本人:バシンって。

―― へぇ、そんなふうにされるとどうですか。

本人:いやや。夫婦やから、もう夫にそんなことされたら(笑)。

長女:(笑)ラブラブやもんな。

うん。で、それもやっぱり、家族の会で、あの、奥さんがね、認知症の人、たくさんおられるんでやっぱり「そういう時期はある、あった」とか、その、あー、ね、「そんな教科書どおり、本のとおりに優しくはなれへん」とかいうのを聞いてるから。

本人:紅茶もらお。

怒った後とか、叩いた後、余計こっちが、したほうが落ち込んでしまうんですよね、やっぱりね。自分を責めるっていうか、うん。そんなことしたって、何の意味もないのに。でも、もうなあ、怒っとるときはな、もう。

本人:後でごめんねって言う。…後で「ごめんね」言うんですよ。

こっちがカリカリくる、うーん、カッカ、カッカなって怒ってても。

長女:こたえてないもんな。でも。

うん、にやにやするんですよね。で、余計もう「何がおかしいんや」とかって(笑)。なあ。

―― ああ、でも、今なんか、ちょっと表情悲しそうだったけどね。

うん、そやな。怒ると嫌やんな。

本人:怒ると嫌や。

うん、怒らんようにしようと思うけどもな。

本人:○ちゃん(夫)から怒られると一番ガクッとくるんや。○(次女)やらやったら…

まだ。ましなんか?

本人:うん。○(次女)も頭ぽかんてな。

そんな思い切りたたいてへんねんで。

本人:ほっぺ、びゅーんとつかんで。ぎゅうっと握って。

認知症の語り

診断がつくまでは妻がわざと怠けていると思ってイライラしたが、病気とわかっても受け入れられず、怒ってばかりいて、性格が変わったと言われる(音声のみ)

去年のその3月に、診断下りるまではもう病名が分からなかったんで、まあ、イライラするいうか。もう、わざとしてるみたいなね、いろんなことして、もう。怠けてるみたいにどうしても思ってしまうんで、その、イライラしてて。病名が分かったから、ああ、これでまあ、「病気やから仕方ないな」と、受け入れれるかなと思ったけど、そうでもなくて、今でももう怒ってばっかりで、ついつい。

認知症本人(妻):そう。よう怒るなあ。

よう怒るようになって、性格変わったって言ってんのやな?

本人:うん。

どっちが変わったんやっていう(笑)。なかなか、うん。

本人:よう怒るんですわ。

なかなかね、同じことを延々と言われると、もうね。…言うやんな、よう怒るんです。

長女:怒ってるっていうイメージがなかったんですよ、子どものときから。うちのお父さんは怒るっていうことがない人と思ってたから(笑)。

認知症の語り

自分も心では優しく接したいと思うが、つい赤ちゃんのしつけみたいにあれしてこれしてと言ったり、腹を立てたりしてしまう自分は冷たい人間なんじゃないかと思う

うーん、本当はすごく、心では優しく接してあげたいところなんですけれども。本当にヘルパーさんって、すごいえらいなと思うんですけど、やっぱり実の親子同士なので、なかなか、その、親切、優しくできないところがあって。つい、つい、何か赤ちゃんのしつけみたいに、「はい、次これ、しられ」みたいな、「これ、ちゃんとして」、「こういうの、ちゃんとズボン中にシャツ入れて」、シャツ、あの、「ちゃんとズボン上げた?」とか「パンツ上げた?」とか、何かもうすごく子どもを扱うような感じで、もう何かうるさがられ、本人にはすごくうるさがられてますけれども、本当にこれでいいのか、私がものすごく冷たい人間なんじゃないかなって思うときがあるんですよね。
やっぱり何か、「ああ、また、さっきこれ洗ったばっかりなのに、またこれ、洗わなきゃいけないの」みたいな、何かもう腹立ってくるときもありますので、本当、「自分、こんなに冷たい人間なのかな。みんな、でもどうしてる…?」「みんな、ほかの方たちってこんな思いしてないのかな? 私だけ1人腹立ててるのかな?」とか、思うことあるんですよね。うん、そういうの、何かまたちょっと聞かせてもらったら、すごく私にも、「ああ、私だけじゃないのかな」っていうのはある、あるのかなと思ったりしますけれど、うん。

認知症の語り

仕事から帰ってくると夫が話したがっているのがわかるが、自分は時間に追われ、まともに話を聞いてあげられず、寂しい思いをさせている(音声のみ)

その、主人、話したがっているのわかるんですけれど、私ががまんできないんですよね。もう次にやることが 私の頭の中では、1分刻みくらいに もうこうしてああしてこうして,それで仕事で出かけて帰ってきて、これしてあれしてこうしてというのがもうあるので、主人の話をまともに、朝は特に時間がなくて、もう、しゃべりたそうですけども、私がもう先にしゃべってしまって、言いたいこと全部言って。ここをこうしてああしてこれで待っててね と言ってもう出かけていくので、主人はきっとそれは寂しい思いを、それでも寂しい思いをしていると思うんです。

認知症の語り

ついイライラして、夫と同じ立場で喧嘩したりすると嫌な気持ちになる。やはり認知症なんだとしっかり自覚しないといけないなと思う(音声のみ)

―― でも、まあ認知症だっていうふうに分かったから、あまりイライラはしないですかね? 「何でこんなことができないのよ?」とかって、そういう。

あ、イライラします、今でも。今でもちょっと…言い合って、けんかしたりするんですけども、ああ、けんかした後に、嫌な気分になるんですけど、「ああ、あかん。同じ立場で、同じような状況でけんかしたらあかんわ」とか、後でちょっと、「ああ、ばかみたいなこと言ってしまった」とか、自分ですごく、こう、嫌な気持ちになるので、やっぱり、やっぱり認知症なんだっていう、しっかり自覚しないといけないなと思います。何か、普通、健常者と同じような言い方をして、それでけんかして、何か気分悪くなるので、やっぱり気をつけないといけないですかね。難しいですね。やっぱり認知症って、理解するのが難しいです。

認知症の語り

妻の病状の進行を感じ、不安しかなかった。もとは根暗な性格だったが、自分が気持ちを改めないと病気に取り組めないと思い、いろんな会に出て人前で話をするようになった

うーん、そうですね、私自身(のこと)が分かってくれてないなっていうのんが、やっぱり、こう、5、6年ほど前はあったんで、もうぼおっとしてる、ただの人形さんみたいな日が、毎日毎日続いてたし。えー、そのあたりにはもう、便を漏らすようになってたんで、「この病気ってどないなんねん」ていう、そういうことがやはり、こう、積み重なってきて、もう心理的不安ばっかりしかなくって。えー、「1つもええことはないんやな、こんな悪いことばっかり続いていくんかな」っていう。
要するに、私の本来の、もともとの性格は、そういう根暗な性格であったんで、人前で出てお話しさせていただくとか、人前で、えー、いろんな方と会うとかいうのは嫌いなほうだったんですけど、家内が、その、病気をだんだん進行さして、していくことによって、自分が気持ちを改めないと、家内の病気には取り組んでいけないなっていうことで、ま、いろんな会に、参加さしていただいたりして。それで、いろんな方と接触することによって、自分なりに、えー、まあ、今まで分からなかったことも分かってきて、やはりこの病気には家族の愛が大切なんやなというのが、やはりこう、ま、ほかの方にも教えていただいて。それがまあ、自分の心理的変化になってきたんだと思います。

認知症の語り

「負けないで」という歌が好きだが、この先どうなるのかと不安になると、お酒や入眠剤を飲んでしまう。「人生やめたいな」と思うこともあるが、家内の笑顔で考え直す

このままね、あの、私はもう、家内の病気が進まないことを望んでます。ただし、やっぱり心の中では、やっぱり病気は、家内、最終的には治んのかなとかいう、やっぱり思いはあるのは確かなんです。だから今、認知症の家族さんをお持ちの、ご家族はね、やっぱり治るっていう夢を見はるっていうのは、私と一緒なんです。やっぱり元気な家内がいつか、現れるのかなっていうのが、やっぱり心の中にはずっと残ってるんで。それでもやっぱり病気は進んでいくんやな。その病気にどうやって立ち向かっていくかっていう、心の勝負かなっていうのが、今、僕の中ではあって。これに葛藤して、「負けないで」っていうZARDの僕、歌好きなんで。自分自身が負けないで、えー、介護を、家内の介護は続けられたらなっていうのがあります。それがまあ、私がこれからまだしたいこと。だから、「負けないで」っていう人生をこれからも持ちたいなと。
そやけど、やっぱりくじける気持ちが、やっぱり出るときがちょこちょこあるんですわ。そのときに、やっぱり、こう、アルコールをたくさん飲んだりで、結局、毎日寝れないから入眠剤を毎日飲んで、そこになおかつ、きつい痛み止めを飲んだら、脳にかなり悪い変化が最近出てきてんねんけど、それがやっぱ抑えられないときもあって。そういうことも、あえて悪いのにしてるときもあります。それは、だから、「負けないで」と気持ちの中にあるんやけども、それを打ち消す自分もまたいてるという。
この先、どうなんのかなっていうのは、なんぼね、自分でね、こう、精神的にこれからこういうふうにしていこう、ああいうふうにしていこうと思っても、自分一人やとものすごく不安なんですよ、僕自身も。だから、それが負けないで、がんばろうと思っていても、それがぷちんと切れるときいうのは、一人で何か物事にふけるとき。だから、何かをこうしてて、ふとそういうことを思うときがあるのが、うーん、1週間ほど前かな。もう自分自身が、もう腰が痛くて、家内の介護をしてたときに、これがいつまで続くんかなって。もう、このまま、あー…うん、気持ち的に萎えてね…(涙)…人生、やめたいなと思うときがありますわ。だから、これを思いたくないから、一生懸命、自分でね、こう、打ち消すように、こう、「負けないで」っていう気持ちのほう、表に出すようにしてるんけど、たまにこういうことがあることが、つらいですね、やっぱ。
これは消そうって思っても、家内を介護をさせていただく。ずーっとこれが何年も、この気持ちは持ってることになるんかなって思ったときに、もっとつらくなります。…そこでまあ、家内がちょこっと笑顔を出してもらうこと、また、表情が柔らかくなることによって、ものすごく、こう、また、「あ、こんな気持ちを持ったらあかんのや」と思って、また、こう、「明日からもう一度、ちょっと考え直そう」と思って、まあ、それをちょこちょこ繰り返してるときがありますわ。いまだに、何せ、こう、不安な、頼んない僕がいてるんですよ。

認知症の語り

認知症になった母親を受け入れられず、本人が「死にたい」と言い出すまで追いつめてしまった。大好きな母に長生きしてもらうために、自分が変わろうと思った

今は逆に、その最初のころよりも、認知症を受け入れてる。(最初のころは)受け入れてたって言ってましたけれども、まったく受け入れてなかったし、そういうふうになる母親もたぶん受け入れてなかったんですね。でも、今は認知症になった母親を、受け入れなきゃいけないっていうふうに変わってきてて。その、受け入れるっていうことがどういうことかっていうと……やっぱ、自分が変わることなんですよね、うん。
あの、母親の気持ちになって――自分がこうさせたいっていう思いが非常に、こうあるべき、母親像はこうあるべきっていうのがあるんですけど、そこではなくて――そうある母親を、わたしはサポートしなきゃいけないっていうふうに変わってきたかな。そういうふうに、「ドリルじゃないんじゃない?」って思うようになってきて、うん…あの、母親がどうしたいかをまず考えるようには、するようになってきてますが、まだまだ、こう…はい。まだ、まだ、まだ自分は変われないですけど。そうすると、やっぱり「言ったよね?」とか、「これやっといてって、言ったよね?」とか、そういう、こう、指摘とか…に変わってしまうところがあるかな、とは思いますが、なるべく自分が相手を受け入れるっていうスタンスに変えてきたいな…変えていってるつもりではいます。
そうですね、やっぱり、すごい激しいけんかをして、母親が自分で死にたいと。飛び降りたいと。例えば2階から身を投げようとしたりとか、包丁を持ち出したりとか、結構そういうときがあって…。でも、ほんとにそれは、わたし自身もつらかったし…もう死ぬということ、「自分がこんなにつらいんだ」――わたしもいけないんですけれども――その、できないこととかを、母親も嫌だし、こう、老いていく自分を、老いてったりとか、認知症を認めたりとかいう自分をやっぱり許せない。だから、長くは生きていたくない。美しいままで死にたいとか、っていう思いが、すごく強い時期があって。それはわたし自身もやっぱり、かなり、あの、母親を責めてたなっていう思いがあるので、その時ですかね。
やっぱり、あの、「死にたい」って言われるのは――「やめて」って何回もわたしは言うんですけど、でも、時々口にしてしまう――その原因は、やっぱりわたしの指摘だったりとか、注意だったりとかする部分が割と多いような気がするので、その辺からですかね。やっぱり…いつまでも元気でいてほしいし、まあ、元気な状態で長生きしてほしいし。で、母親はわたしは大好きだし、うん。まあ、そういうところから徐々に…進歩したんだか何だか分かんないですけど、自分で変わろう、自分がこう、変わらないと。もうほんとにその時は、自分がつぶれそうだったですね。
そうふうにしてしまう、あの、母親を見てるのもつらかったし、自分だけで抱えらんない。で、もうほんとに姉に泣きながら電話したり、こうだったみたいな感じで言ったりとかして、自分の、こう、心を平常化させるっていうんですかね。うん。だから、相手を批判とか、自分の価値観に合わせようって思うのが強すぎることで、自分をつぶしている、母親もつぶしている、っていうことに気がついたっていうか。
まあ、いい、あの、会社の仲間でいい仲間もいたんで、その仲間からも、うん、あの、わたしが変わらなければ駄目だよ、つぶれちゃうからっていうアドバイスも受け、そっからですかね、変わったのは、はい。変わるようにしてるのは。まだ全然変われてないですけど。

認知症の語り

つい常に前向きにチャレンジするという自分の価値観を母にも押し付けてしまう。自分を変えることが自分の認知症との闘いだと思う

いや、そのー、ま、すごい強いんでしょうね。人よりたぶん、強いんでしょう、母親に対する期待値とか、人間の生き方に対する思いとか。あの、いつでも前向きに生きてほしいし、チャレンジャーでいてほしいし、っていう、自分の価値観が母親に対しても、それを乗せてしまう。それがすごく強いと思う。わたし自身が強いと思う。だから、そこを、母親に対しては、その価値観を押しつけるっていうことをやめないかぎりは、けして良くならないし、悪化するばっかりだと思うんですよね。そこの気持ちを、母親に対しては変えるという作業なんですよね。それは、わたしにとっては、すごく大変な、自分の生き方も何か変わっちゃう、そうな気が、母親に対して変わってしまうことが、自分に対しても変わってしまい、変わってしまいそう? なので、すんごく難しい、わたしにとっては…というところだったんですよ、はい。
だから、母親も前向きに生きてきた人間。わたしもそうあってほしい。で、わたしもそうっていう。3つともそうなのに、変わっちゃうんだなっていうのを受け入れるのに時間がかかるし……難しい、自分を変えるのは難しいなって…思います、はい。ま、それがわたしの認知症との闘いだなって思うんですよね。自分を変えることと、認知症と闘うことは、何か等しいなっていうか。うん、うん。それが克服できたら、まあ、ちょっと糸口が見えんのかしらっては思いますけど。ま、周辺症状に関してはですけどね、はい。

認知症の語り

夫が病院の前でバスを待つのに、人目もあるのに座りこんでいて、恥ずかしいと思うことがあった(テキストのみ)

―― あの、先ほど、一緒に散歩とかしてて、少しイライラしてくることがあったっていうお話もあったんですけど、具体的には。

そうねえ。あの、変な話ね、ちょっと、ここでバス待ってる時があったのね。で、時間があれですから、ま、こんなん、ほんとはわがままなことですけど、座って待ってるわけ。今までそういうことなかったから、何か恥ずかしいっていう気はあったよね。

―― 恥ずかしい。

うん。ま、こんなこと言っても、あれかもしれないですけどね。「どうして」っていう気はあるわね。自分でも病気になると、「どうして自分が病気」、ね。そういうこともあるし、その、やっぱり普通じゃないですよ、座って待ってるっちゅうことは…。で、よくここ通りますでしょ、人が。うん、まあ、それもね、まあ開き直って、別にっていう考えも出てきましたけどね、うーん。

―― そういった世間に対する、こう、目みたいなものを…気にする?

ちょっとね。隠すっていうわけじゃないんですけど。