投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

母も認知症で、思うようにいかないと電話をしてくる。いろいろ息子を気遣って言ってくれるが、大切なことを完ぺきに忘れてしまうのは悲しい話だと思う(音声のみ)

一番気になってるのはやっぱり、あのー、うちの、あのー、おばあちゃんがどうなってるかとか、あのー、みんながどういうことをやってるかっていうことについては、やっぱりいろいろ、あのー、気になることっていうのはありますね。あのー、おばあちゃんがどういう、あの、どういうふうに進んでいけばいいかとか、あの、そういうのは気になりますね。

―― あのー、お近くのグループホームにお母さまが入られてるって伺ってるんですけれども。

はい。あ、あの、時々行きますね。あのー、おばあちゃんを見に行くとか、そういうことがよくやらないといけないこととしてやってますね。で、何とかおばあちゃんも普通にできるように、ということは考えてますね。

―― うん…その、お母さまも認知症になられていらっしゃるんですよね。

…お母さん、僕自身?

―― うん、だから、おばあ・・・おばあちゃん。

おばあちゃん。あ、おばあちゃん、はい。おばあちゃんはそうですね。おばあちゃんはもう、あのー、だけど、がんばってるなと思うのは、おばあちゃんも時々、あのー、電話をしてくるんですよ。やっぱり、あの、思うようにいかないと電話がかかってくるんですよ。そいで、あのー、まあ、ま、別に悪いことしてるわけじゃないし、だから、「分かりました。じゃあ今度、おばあちゃん、あした、今日は無理やけど、あしたはじゃあ行くから」って言うと、喜んで、まあ、翌日にしましょっていうことには、いつもたいていなってますね。
 …忘れちゃってるんですよね。あの、おばあちゃんの場合はね…忘れてます、常に。もう次の瞬間にもう忘れてますね。これは悲しい話です。自分でどうしてんのかっていうのが、本人がやっぱりちゃんと分かってないっていう状況が、ずっと残ってるんだなっていうのはありますね。
で、あのー、自分で、あの、好きな人というか、あのー、いろいろ僕のことを言ってくれる人はこの人だっていうようなところでは、ちゃんと言ってくれるけれども、だけど大切なことは忘れてる、完ぺきに忘れてしまってる、ていうようなことにはありますね。これはまた悲しい話だなと思いながら、言ってるな、やっぱりっていうのは気になる。完ぺきに忘れてます。あのー、次の瞬間にもはや忘れてる。けい、き、記憶がもうなくなってるという…。
脳死を、やっぱりそうなってるんだと思うのは結構しんどいことですね。…まあ、だけど、何とかしてかないと、と思うんですけどね。と思ってるんですけど、うん、いいかどうか分かりません。あの、難しい。難しいですよね、やっぱりね。MRIで分かってあるのは、分かってるのは、どのく、どのくらいまでなんだろうか、とかね、思ったりしますしね。…面白いですけどね。変な言い方ですけど。

認知症の語り

認知症と診断されてからいいことは何一つないが、強いて言えば周りに家族がいかなったのは逆に良かったと思う。兄も自分がこういう病気だとは知らない(テキストのみ)

ほんまに……はい。<5秒>何やまあ、認知症いわれてから、ずっとそれからええことなんか何1つないですもんね…ほんま…情けない。ええ。まあ、強いて言えば、周りに家族いてないのがよかったなと思てますわ、逆に。それはよかったなですわ……ええ。

―― お兄様はご存じですか。

いえ、いえ。知りません、知りません。もう全然連絡取ってないし、ええ。僕がこういう病気やいうのも全然知らないですね、ええ。

―― …そうすると、ご自身で、そのー、先々のこととか、何か考えられることはありますか。

いや、何も考えてないです、もう、そやから。考えないようにしてます、どうなるやろいうて、考えてもしゃあないな思て、いっときはそんなんばっかり考えてましたからね。今はもう、できるだけそれは考えんようにしよう。でも、何かもうね、考えますけど、変な夢ばっかり。

認知症の語り

最近はあまりけんかもしないが、以前は自分が何かしようというときに、妻が先回りして何かやったり言ったりするのが嫌で、「がっ」となって家を出て行くときもあった

―― 奥様との、その関係性っていうのも、病気になられてからはどうなんでしょうか。あまり変わっていない?

いや、全然変わってないですよね。ええ。ねえ、なんつって(笑)。いやあ、変わらないですね。

―― 変わらないですか。

ええ。うん……ま、けんかしたりしますけどね。でも、あんま、最近あまりけんかしないね。

(妻)うん。

うーん、どうなったんだろう、何つって(笑)。ちょっと失礼、なんつって。

―― いや、いや、なるほど。え、もうちょっとこうして、こういう自分のこと分かってほしいとか何か、そういうふうにいらだちを感じたりすることはありますか。

いやあ、もうないですね、そういうことは。うん。いらだちってないね、あんまりね。最近は。君が何かしないとね(笑)。

―― 何かするっていうのはどういうことが。

いやあ、だから、あれなんですね、あのー……わたしが何かしようと思うときに、ひょっと、あのー、やってしまう、いうのがダメなの(笑)。

―― なるほど。

そう。

―― 自分がやろうと。

と思った前に、何かね、言っちゃうんね。でしょ(笑)。

(妻)分かっております。

ま、その辺のとこですね。

―― ああ。そういうとき、何かこう。

そこ、がっとするんですねえ(笑)。

―― その、がっとしたとき、それを何かうまくこう、ご自分で処理するっていうか、そういう方法ってありますか。

いや、どっか行っちゃうんですよ(笑)。ま、でも、行き、行きますけどね、帰ってくる、きますけど。ま、でも最近はもうないですね、そういうのは。うん。

認知症の語り

ほぼ毎晩妻にスポーツマッサージをしてあげる。喧嘩になりそうになったときは、寝る前にマッサージしてあげると、30分前まで怒っていたのに、爆睡してしまうのがかわいい

ええ、わたしはですね、マッサージがものすごく、あの、スポーツマッサージなんですけど、うちの妻が、もう、夕べも全部、よっぽどあの、妻もね、時々こう(角を生やす仕草をする)なりますよ。そういう時はしませんけど、ほとんど、80%以上ぐらい、毎日寝る時はマッサージをして、やっております。で、本人は爆睡に入りますね。それを楽しんで、わたしが寝ます。
それとか、あのまあ、ここだけの話ですけど、本人がですね、わたしに対して、あのー、あ、本、あのー、妻から見たら、だらしが悪いってね。そういうふうに考えるか、本人が介護をね、うまくしてあげられない、どっちかを考えてると思いますけれどね。わたしの心をね、分かってもらえないとかありますね、人間は。別人ですからね。そういう時に、こう、暴れるっていうのは悪いんですけれど、けんかになりそうになったら、おやすみの前には必ずマッサージを、爆睡になるまで。1時間や2時間ぐらい、簡単にできますから、ええ。
で、それでね、かわいいんですよ。その何分か、30分前はね、きゃあきゃあ、きゃあきゃあ、言葉悪いですけどね、そういうことありますけど、もうマッサージしてれば爆睡ですよ。それを確認して、えー、床につきますね。だから、自分でね、処理する方法があるんです。だから、軽々とできます。

認知症の語り

元気な頃は「おい」「飯」というだけだったが今は必ず笑顔で「ありがとう」という。今は「ごめんなさい」を言う練習もして、妻とぶつかっても自分が叱られて終わるようにしている

―― 病気になってから、その、奥様との関係性というか、何かこう、変わったことっていうのありますか。それまでと違って。

それはもう、元気なときは「おい、持ってこい」、それだけ。それとか、「飯」とかね。今から見れば、えー、それこそ、「あ、そういうことが、あったんだなあ」と、今思い出してる。それで、病気になってからはそんなことは、1回もそういうことはしません。もう必ず「ありがとう」。笑顔。大嫌いですけどね、男やから。

―― そうなんですか(笑)。

はい。「やあー、おはようー」、やってますよ。
えー、わたしは、病気になるまでは、もう自信満々でしたのですから、それを消すというのが、ものすごく苦しかったです。で、それと、えー、夫婦ですから、えー、分かりやすくするようにですね。だから、えー、わたしがすべて、しかられるほうを取りました。だから、どういうふうにしかられても、わたしは「はい」、あのー、がめ、「ごめんなさい」というふうな言い方はね、あー、人をばかにしたような、あのー、何て言うか、感じがありますね。だから、それでも、「ごめんなさい」というのもね、こう、何て言うんですかね、本当に、えー、「ごめんなさい」っていうような言い方を、練習したったら悪いんですけれど、えー、そういうこと努力して、自分で「ごめんなさい」の練習もしました。
で、今は、えー、どんなに言われても、わたしは「はい、分かりました」。「ノー」とは絶対言いません。だから、えー、妻が、あ、時々、えー、ま、ストレスか何かがあって、わたしに突っかかるというのは分かりますかね、えー、くることもあります。それを全部わたしが受け取ります。だから、「あれはおれのせいではないぞ」とかね、そういうことは絶対言いません。えー、最後までしかられて終わるようにします。

認知症の語り

ちっちゃい花が好き。咲いているのを見ると、まだがんばっているのね、と思う

―― 毎日、何か楽しみにされてることって何かありますか。

楽しみはね…。

―― 日々の中で。

うん。あのー、お花。

―― お花。

花。花は好きです。で、ちっちゃいのもいいんだけど、まあやっぱり、あのー、あまり、あの、すごい、あの、すごいのっていうのは、よりは、えっと、ちょっとかわ、かわいい、かわいいなっていうような、そういうのが好きです。

―― それをどっかに探しに行かれるんですか。

いや。それはね、すぐそこにある、あるんですよ、ちっちゃいのが。でも、それはねえ、本当に小さい、小さいので、か、かわいそうなので、あの、もうやめました。

―― 見てるだけ? 

そう。
だって、あんまりかわいそうでしょう? だから。

―― でも、毎日それを見に行かれると、何か。

そう、そう、そう、そう、そう。そうするとあの、あ、まだ頑張ってるのね、っていう感じで(笑)。はい。

認知症の語り

認知症になってから関係性が悪化しそうであれば自分が退く。相手の目の動きで自分の取るべき行動がわかるように感じるときがある

あの、食べる物をね、あのー、こう、指示、「これを作れ」とか、えー、「おれはこれを食べたい」とか言うとね、また妻がいろいろ、困る部分もあるし、手間がかかるでしょ。だから、そういうときには必ず、好きなものは、「ああ、おいしかった」っていうことでね、サインを出します。

―― なるほど、いい方法ですね、それはね。

えっ。

―― いい方法ですね。

ええ。それはやっぱり、あの、わたしたちみたいな病気になった人間はね、どうやって、えー、うまくすり抜く、抜く(け)られるかってね、一般に、こう、対比するとね、どうしても、あー、相対すると、えー、考え方がね、一緒の、一緒の考え方が、考え方がですね、あると、こうやってけんかになるかもしれません。そうならないように、なりそうになったら、わたしが引く。これ、絶対やります。

―― あのー、病気になってから、その、奥様との関係性というか、何かこう、変わったことってありますか。それまでと違って。

それはもう、元気なときは「おい、持ってこい」、それだけ。それとか、「飯」とかね。今から見れば、えー、それこそ、「あ、そういうことが、あったんだなあ」と、今思い出した(笑)。それで、病気になってからはそんなことは、1回もそういうことはしません。もう必ず「ありがとう」。笑顔。大嫌いですけどね、男やから。

―― そうなんですか(笑)。

はい。「やあー、おはようー」、やってますよ。

―― うん。それはやっぱり、何かこう、さっきおっしゃったように、こう、そういうことを心がけて、もう自分も心地よくっていうか、そういうふうな生活をできるように、それを日々心がけてらっしゃるっていうことですか。

そうですね。だから、それをシビアにしなと言われておるんですね。だから、目の動きがね、こう、変わったりすると、あ、何かの、あの、こう、何て言うんですかね…、指図が、こう出た。出た。誰かが指図をしてる。そのとおりにしないといけないよ、というね。ある人が、あの、わたしに教えてくれてるような感じがあることがあります。
はい、それは、妻と生活をして、している中でね、そう考えます。

―― うん。そうすると、あの、ほかの人とこう対しているときに、相手の人のそういう目の動きとかいろんなことに対して、より、よく、こう、気がつくようになったっていうか。

そうですね。

―― 気がついてそのとおりした方が、やっぱりこう、自分も過ごしやすいっていうことが、何かこう、病気の中で覚えていったって言うと、おかしいんですけど。

あの、卑怯かもしれませんけどね、それが一番回りやすいと思います。

認知症の語り

認知症で困っている人がいれば、なんとかしなくてはいけないと思う。それが普通じゃないかと思う。もう無理なこともあるので、それを考えると怖くもなるが…(音声のみ)

僕にとっては、若年認知症ならば、それは何とか、あのー、ちゃんと、あのー、できる、何とかしてあげることができる、という感覚はあります。
あの、だから何とかするつもりでいます、やっぱり困った人が出てきたら。それは何かせなあかんと思ってます。それ、そんなこと、あの、ええかっこせえへんと、構へんていう感じでもあります。何とかしないとって思うと、ありますね。それじゃないと、困ってる人どうすんのって、やっぱり。それ、やらないと生きていけないだろうって感じ、感じかな。そういうのもありますね。えー、うん、そういうのがありますね。困ってたら、だからやっぱり何とかしなくっちゃと。そう思うんですけれどね。
分かりませんけどね。あの、恐ろしいところ、怖いところ、もう無理なことってやっぱあるでしょ、ね。そういうのが時々、こっと怖くなったりしますけどね。

認知症の語り

「どうして自分がアルツハイマーになったのか」そればかりだった。わたしの生き方が悪かったからではない、「わたしはわたしだ」とようやくわかった

―― やっぱりその、診断がつかないころとかは。

そのころだと、時はもう、ほんとに何かどう、どうした、どうしてだとか、そういうことが毎日毎日ありましたね、
どうしてわたしが、あの、アルツハイマーになったっていうことは、もうやっとあれですね。やっと、そのことを自分で、何て言うか…そうだったんだっていうことを…やっとですね。やっと分かったっていうのが、まあ、もうほんとに、ほんと最大、そんなあれですよね。やっとですね。ほんとやっと、やっとだと思います。

―― どうしてなったのかって思われる部分の中に、その、自分の生き方とかそういうことも含めてですか。

ええ、そうです。わたしが何かを悪、悪く、悪か、わたしが悪かったのかっていうんではないんですけど、でも、やっぱり何となくね、自分が、悪いことしたから、うーん、こうなったんだっていうのを、やっぱりね、ま、なかなかそれで、あの……全部を、言うことができないと思うんですね。まあ、なかったんです。だから、それがまあ、そろそろ、あの、やっと、それで、あの…そういうことではないということを、あの、分かるようになったような気がするんですね。それ…それがまあ良くな、良かったんじゃないかなと思いますね。

―― アルツハイマーになったことの意味っていうのは、何かご自分の中であると思われてらっしゃいますか。

そうですね………やっぱり、わたしがあのー、何だろう、アル、アルツハイマーになったということが、こう自分にとって…最初は何でだって思ってましたけども……「わたしはわたし」であるっていうことを、ま、わたしは、よく言う、あの、この前も言う、言ったと思いますけど。それはわたし、わたしはわたしであるっていうことを、であるっていうことを、わたしが、やっと分かった。そこまでに、い、いた、至るまでに、相当格闘したわけですけど、やっと、やっとやっぱりあの、まあ、まあ、時、ときど、時々はあの、妻、妻とけんかし、まあけんかではないな。えー…やっぱりけんかかな(笑)。ま、けんかをしたり何かをしま、しますけど、でも、だんだん、あのー……2人で、こう十分、2人で一緒に、ほんとにあの、一緒に行くということを、やっと、やっぱり…できていく、いっているような気に、気が、今、考えていますね。

認知症の語り

病気がどんどん進んでいけば、私自身それを怖いと思うことはないと思う。できるまで努力をまっすぐにやっていくしかない

―― あの、ちょっと心配だなとか、不安だなっていうことはありますか、これから先のことで。

えー、その、わたしの病気はね、どんどん進んでいて、自分が自分かどうか分からないというようなことがあれば、わたし自身もそれは分かってないですからね。困ること、あの、それを怖いというふうに、ならないですね。

―― そうですね。

だから、できるまで、えー、努力を真っすぐやっていくとしかないですね。