投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

自分たちに出来る仕事が少しでもあれば、目的が持てるように思う(テキストのみ)

―― こういうサービスがあったらいいなとか、こういう機会があったらいいなとか、何かそういうような、ご要望のようなことはありますか。

特別にそういうのはないですね…ええ。ま、仕事がね、僕らにできる仕事があったらええなと思うんですけどね、ええ。ねえ。なら、ちょっとでも何か、目的がね、持てるようなことがあったらええなとは思うんですけどね、ええ。これ人に頼むようなもの違いますしね。いや、ま、僕はここ(サポートセンター)に来て、2時間ほど時間つぶせることがありがたい思てますんで、ええ。もう、来れるのがもう、もう感謝の気持ちだけです、はい。それはもう、思います、ええ。

認知症の語り

職場で昇進し頑張ろうと思っていた矢先、打ち合わせ等で指示が思うようにできなかった。本来得意なはずの仕事なのに、自分が悲しく感じられた

わたしはですね、あの、生活をしていって、いつでも楽しくあり、で、人の前で、指示をできる。「お前、おかしい」とか、ぴしっとできることはできるんですよ。だけど、とくぜん(突然)、うーん、できなくなったですかね。急にです。「ああ…」、もう、こうなって。ほんで、えー、言葉悪いんですが、「おれは誰だ?」ってね、本当そう思いました。何が何か分からないんですね。
だけど、よく、あの、覚えてます。それとあのー、課長の、まああの、公務員は、課長っていいますね、その課の。その、2番目になったんですね。それでまあ、「よし、おれは頑張ろう」というね、こう、力を上げたわけですね。そのときに、やはり知らず知らず、おかしくなってですね。その打ち合わせをするのが、大変、あー、苦労をしました。で、それをきっかに、きっかく(きっかけ)にして体調がおかしくなりましたね。わたしは、そういうことは大好きなタイプだったんですけど、その、部下とか、ああ、いろいろ突っつかれたりすることもありますし、だからそういうことは、わたしは何ともない人間だったんですけど、急に体調がおかしくなったんですね。

―― あの、体調がおかしくなったっていうのは、どういう感じですか、具体的に言うと。

ええ、もう、とにかく、えー、自分が悲しいというような感じ、それが一番だったですね。

認知症の語り

人が好きだから、利用者が困っていることがあったり、言いたいことがあるのがすぐ分かるし、ほとんどあたっている

―― あの、お仕事はこれまでどんなお仕事をされてこられたんですか?

えー、わたしも年になって、なんていうかもう、えー、デイサービスないしは、そういう、あの、介護のですね、えー、施設で、あの、仕事をさせてもらっております。

―― あ、今ですね。はい、分かりました。週3回、行ってらっしゃるんですか?

そうですね。

―― はい、で、その週3回行かれるときは、どんなふうに毎日の過ごし方といいますか、朝起きて…、

まあ、そういうことは、人が好きですからね。えー、今日はどういうことでやってやろうか。えー、そういうことをすぐ考えますね。で、自分が決めるのもですね、すぐ決めることができます、ぱっと。だから、利用、今はあの、高齢の方のお世話をしてますので、どういう方に、えー、どういうことで、えー、近づいて、どういうことをしてあげたいなっていうの、すぐできます。自分で、あの、どうしようか、どうしようかってことはもうほとんどありません。
で、ほとんど当たります。喜んでくれるってことね。ええ、高齢者の人がね、何に困ってるかとか言いたいことがあるのとか、すぐ分かるのね。

認知症の語り

退職後に家族会の事務の仕事を手伝っている。アルツハイマーでも気にせず、普通に話して仕事をさせてもらっている(音声のみ)

―― 月に2回ぐらい行ってらっしゃる会がございますよね。

はい、Aの会(家族会)ですね。

―― そこではどんなことをされているんですか?

あ、それは、事務、事務仕事ですね。

―― ほかの会員の人たちのこういろんな記録とかですか?

あ、そうですね、ええ。伝票チェックとかね。ええ、いろいろあります。

―― どうやってそこの会をお知りになったんですか?

それはね、どっかから頼まれたんですよ、何か。何だったかな、誰だったかな。……若年性アルツハイマーっていう病名があって、分って、で、病名は分ったけれども、別に、あの、病名としてはそうなんですけど、……何ていうの、働けるか働けないかっていう問題があるじゃないですか。若年性アルツハイマーっていうタイトルがつくとね。で、何というんですかね、うーん、仕事ができないレベルではないという、仕事はできるということで、行かしてもらうようになったんですけど。
ま、そういう中でも、ま、アルツハイマーなんだけど(笑)、でも、あの、普通に、やっぱりコミュニケーションしていくんで。で、おれも、だから、別に、その、アルツじゃない、アルツじゃない、アルツであっても、そういうことは気にせずに、普通に、あの、会話をして仕事させてもらっているっていう感じですね。

認知症の語り

忘れっぽいという指摘を受けて、仕事の質を保つために、同僚にも再チェックを依頼したり、他の人の意見を聴くなど工夫することで、かえって仕事の視野が広がった(音声のみ)

会社の中でも仕事をしてましたから。別に、あの、完全に、こうすごい大ミスをしたっていう話じゃなくて。ま、ちょっとしたところが、こう抜けてたりとか、そういうようなところですね。でも、自分では一生懸命こう、自分でやった仕事をもう一度、仕事っていうか、ま、書類を作ったり、それをもう一度自分で見て、ちょっとこれもチェックしてくれって、ま、そういうふうに、ちょっと慎重になりましたけどね。あんまり自信を持たずに(笑)。うん、…だから、一度、そうだな、一度よしとしたものも、もう一度見直せ、というふうに何かなりましたね。……それは、やっとけばね、あん、自分も安心して、プレゼンなり、なんなりできると思うんよね。あとは、ま、自分で自信がなければ、まあ同僚に見てもらって、確認してもらうとか。ま、そんなことをするようにしましたけども。ま、それは、普通のね、あの、組織の中でも同じなんですけど。やっぱり、1人の考え方じゃなくて、やはり、ほかの人の考え方もやっぱり、確認するとか、聞いてみるということが、ま、自分のためにも非常に何ていうのかな、あー、言ってみれば視野が広がるみたいなところがあるんだと思うんですね。あー、あんまり自信を持っちゃってもいけないし。あんまり悲観的になってもいけないし。普通の会話の中で、おれこういうふうにやってんだけど、どう思う?というぐらいの軽い感じでね、こう、お互いにコミュニケーションとれると…ま、仕事の面でも、ま、あの、よくなってくるだろうし。

認知症の語り

メディアに出るときに夫の両親に一番最初に相談したが、理解してくれた。「認知症にだけはなりたくない」といった声を聞く度に、周りの人を思ってもっと強くならなくてはと思う(音声のみ)

主人の父と母にも、あのー、私の名前が出ることとか、メディアに名前が出ることとかも、一番最初に相談したんですけども、やっぱり、まあ、誰でもなるような病気だし、あのー、そんなに別にいいんじゃないのっていう、今はね、もう、誰がなってもおかしくないような病気だから、別にいいんじゃないのっていうことも理解してもらって、ま、メディアに出るようになったんですけども。まあ、そういう周りの理解もあって、自分も、まあ、えーと、再婚した母も、義父もそうですけども、妹もそうだし、やっぱりそういう人たちがいるんで、強くならなきゃなっていう思いはあると思います、うん。

―― あのー、何ですか、こう、日常生活していて、それだけ、その、周りの人が何か偏見を持ってるなみたいなことを感じる機会って、やっぱり多くあるんですかね。

うん。やっぱり、その、所々に、ちょっとちらっと、「あ、認知症には、認知症だけにはなりたくないよね」とか、やっぱり、そのー、「頭がおかしくなったら、もうおしまいだよね」的なことを、やっぱり、聞くときもあったりして、そういうときはちょっとやっぱり、もう、何かちょっと「えっ」って思うときがありますね。うん。

認知症の語り

ご近所に母の病気を伝えるように医師やケアマネから言われた。レビー小体型認知症をどう説明するか悩んだが、「病名とよろしくお願いしますだけ伝えればいい」と教わった(音声のみ)

昨年の12月に、主治医から診断を受けて、で、同時に言われたことの一つに、あのー、「近所の人には、お母さんが認知症であることは、はっきり伝えてください」っていうふうに言われたんですね。で、わたし、びっくりして、えーって、あまり、やっぱり、人間関係って、複雑にしたくないですよね、誰でも。
だから、「それでも、言わなきゃいけないんですか」ってもう反射的に言ってしまったんですね、主治医の先生に。そしたら、「それでもです、それでも言いな、言わなければいけません」って言うんですね。
で、まあ、診断がついて、ケアマネージャー(*)の方にも、「やっぱり、ご近所には言わなきゃいけないんですか」って、こう、聞いてみたんですね。そしたら、もう、主治医と同じ顔をして、「はい、言わなければいけません」っていう感じで。はあ、そうだ、そういうものなんだって感じで。で、そのことを、父と母と姉も交えて話したんですけれども、母は、やっぱり、突然のことだったので、「うーん、そういう気持ちにはとてもなれない」って言うんですね。で、父は、父で「お母さんが、かわいそうだ、おれは言いたくない」って感じで。それで、年が暮れたんです。
で、年が明けて、1月になって、で、まあ、お正月のお祝いごとも一段落したところで、母が、えーと、わたしに向かって、「やっぱり、言わなきゃいけない」って言いはじめたんですね。「え、何が?」って言ったら「病気のことは、やっぱり、ご近所の人にはね、言わなきゃいけないよ。わたし、そう思うようになった」って言うから、「まだ、ねえ、あのー、診断を受けてからそんなに経っていないのに、そんなに気持ちが変わるものなの」って言いましたら、「うーん、やっぱり怖い」って言うんですね。うーん、で、まあ、ちなみに車の運転をやめたときにも、自分が怖くなってやめるって言って、自分で自分から言ってきたので、今回のことも、その母のその判断っていうのを、わたしは信じることにしようと思って。
ケアマネージャーさんが、毎月、月末にいらしてくださるので、じゃ、ケアマネさんに相談してみようと思って。「いやあ、母が、年が明けたら、あのー、ご近所の方にも言わなきゃいけないって自分から言いだしましたので」って言って。で、「どういう言い方をしたらいいでしょうか」って、
レビー小体って認知症全体の2割って言われている、そういう病気を、あれこれ、こう、説明したところで、何か、…そんなに分かってもらえるものだろうかって思って、「いやあ、…わたしの認識はこうですから、皆さん、いろいろ説明しても分らん、あんまりそうすぐには分かってもらえんじゃないですか」って言ったら、「もう、細かいことは言わなくていいです。大ざっぱな病名とよろしくお願いします、何かあったらよろしくお願いしますっていうことだけ言ってください」ってスパッと言ってくださったんですね。「じゃ、そうします」って言って。それが1月の時点で。

(*)ケアマネージャー:(介護支援専門員)介護サービスを必要とする人やその家族のニーズに合わせて、適切なサービスが受けられるよう計画(ケアプラン)を作成し、サービス事業者や市区町村とご本人や家族の間の連絡調整の役割を担います 。

認知症の語り

夫は前頭側頭型の相貌失認という症状で、近所の人に会っても挨拶しなくなっている。説明のしようがないし、どこかに引っ越してしまいたいと思うこともある(テキストのみ)

すごく、うちの主人は、コミュニティで頑張っていたので、で、皆さん、多分、変だと思っていると思うんですね。相貌失認という症状で、人の顔が分からなくなるっていうのもあるらしいんですが、道で会っても、主人は「あ、どうも、どうも」っていうあいさつが、今、多分、ないと思うんですね。この間も、ちょっとうちの駐車場に車を入れたと思ったら、何か近くの人が「あ、久しぶり」とかおっしゃったんです。わたしは車の中にいたんですけども。主人が降りていたんですけども、見たら、こうやって気をつけをして立っているだけなので、その方も、ちょっと耳の遠い方なんですけども、女の方で。「あら?」という表情で行ってしまわれて。わたしは、もう降りて説明する間もなかったんですけども。まあ、説明のしょうがないかなと思って、今、言わずにいるんですね。そしたら、もしかしたら、ほんとに、この街にいないで、どっかに引っ越しちゃってもいいかなとかときどき思うんです。今のところにいる限り、こう同じところにいつも歩いて行って、同じ行動をとって、…ある程度許されることであっても、…駄目なのかな、本人にとっても何か、こう、みじめというんでしょうかね。何だかいろんなもの持ち帰って、袋とかに、洋服の中に、それが、皆さんから認めてもらう行動…となる日が来るのか、疑問も持っていて。……でも、子どもたちにとっては、うちは自分のうちであるし。主人も自分のうちだと思っているので。ちょっとそこのところは、迷うところです。

認知症の語り

近所の人や立ち寄る薬局の人には、「妻は脳が縮んできているみたいなのでフラフラしているが、見守ってださい」と伝えている(テキストのみ)

卓球の友達とかでも、近所の人とかでも、どんどん、どんどん、もう、その、人と接するのが嫌になってきて、もう家族とだけしか接しなくなってしまって。もう、近所の人とも話せんもんな、あんまり。

(認知症本人:妻)Bさんとはする。

ああ、Bさんとはする。

(本人)Nさんともする。

Bさん、Nさんとかと。

(本人)Nさん、M、Mさん。

Mさんとかもそうですね。近所の人が話相手になってくれるのが一番ね、見守ってくれてたら、うれしいですけど。

―― その方たちは、何かちょっと普段、今までと違うなとかって、そういうふうに思ってらっしゃるんですか?

ああ、それは、認知症とは言うてないんやけども、ちょっと脳が、縮んできてるみたいで、めまいがしたりとか、あの、吐き気とかいろいろ訴えてるんで、あの、ふらふらしてますけども(笑)見守ってください、みたいなことは言ってあるんでね、知ってるんですけど。

(本人)ああ。

近所に薬局があるんですけれど、あのー、食料とかいろんなん置いてある大きな薬局、このごろありますよね。そこも毎日行ってんのやな。

(本人)Oくん、おるから。

そこにも、まあ言うてあるんで、ま、見守ってくれてるいうか、うん。そういう、周りで理解してくれる人がおると一番安心なんですけどね、うん。

認知症の語り

母は世間体から父の認知症を隠していた。母の入院中、包丁を振り回す娘の姿をみた近所の人が「このままでは父・娘が死んでしまう」と母を説得し、介護保険を導入した(テキストのみ)

何か本当に極限のときは、もう死んでしまえと思って、結構包丁とかを振り回しちゃったこともありますね。さすがに、そのときは、何か父親は泣いていた。何か、こう、ときどき、何か、こう、戻るときがあるのか、よく分からないんですけども、何か泣いていたような気がしますけど。自分もよく分からないんで、近所のおばちゃんに包丁を取り上げられて、「何やってんの」って言って、「いやあ、もう駄目だね」とか言って、そして、その人にだけは、母親が、ああみえて、意外に、こう、世間体を気にするタイプなので、何かそういうことは、お父さんが認知症っていうことは、親戚にも言ってなかったですし。ま、今も言っていないと思いますし、一部にしか、近所の人も言っていない状態ですね。脳、その、脳出血の麻痺があっておかしいっていうのは、いろんな人に、見れば分かるので言っているんですけど。その先になっているっていうのは、現状でも一部の人にしか言っていない状態で。でも、その、大惨事を見ていていたし、近所の人だけには、もう、わたしは、全部話をして。で、母にも「言っちゃった」とか言って「えー」とか言って。で、ま、「介護保険で動いている」って言って。でも、母親はそんなの受けたくないって言っても、その近所のおばちゃんが、夫婦が、うちの大惨事を見ているので、わたしが、もう、包丁持ってあばれたとか、あれ見ていたので、「もう、いつか親子死んでいるかもよ」みたいな、「あんたが助かっても」、いろいろ言ってくれて、何とか介護保険を受ける…ヘルパーさんを呼んでもいい…っていう、しぶしぶ、導入に至ったんですね。それは、母が(がんで)入院して半年過ぎたか過ぎないかぐらい。