投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

楽しく時が過ごせればいいと、絵を無心に描く。春には、桜、チューリップ、大藤と花見を楽しんでいる

―― 臨床美術っておっしゃいましたっけ。

はい。

―― なんか、絵を描いてらっしゃいますか。

はい、絵を描いています。

―― それは、あのー、いつも1週間に1回。

ああ、あのー、月に2回です。はい。

―― はい。描いていらっしゃるときはどんな感じですか?

ああ、無心で描いております。はい。これもそうです。

―― なんか、無心に描いてなんかこう。やり遂げたなみたいな、そんな感じ。

はい。あ、楽しく時間が過ぎればいいと思ってます。成否、作品は二の次です。あの、楽しく過ごせばいいと。はい。

―― はい。なんか作品展とか。

あ、まだ。あの、たまったら個展を開こうなと思っております。

―― 作品をお作りになるのと、他になにか楽しいことって。

あのー、花を見に行くと。えー、3月の末から桜を見に行ったり、チューリップを、千葉県の佐倉にチューリップを見に行ったり、あとは、あの、足利フラワーパークに、大藤を見に行ったり、あとで写真を見せますので、あの、見てください。

認知症の語り

認知症である自分が、本人や家族の支援をすることで、「社会の一員でいられる」「まだ生きていていいんだ」と思うことができる(テキストのみ)

―― 認知症であるご本人が、そうやって本人の支援をしたりとか、ご家族の支援の中に、入っていくことのご自身にとってのメリットは何ですか?

メリットは全部自分です。自分に返ってきます。

あのねー……社会の中の一員でいられる、って思える瞬間なんですよ。「まだ、生きてていいんだ」って。……「認知症だからってダメになったんじゃないよ」って。ちゃんと話ができるじゃない。ちゃんと気持ちが伝えられるじゃない。で、それで……友達にできれば、なれればね、私を認めてくれたことになるじゃないですか。「また会いたい」「また会おうね」って。その言葉だけで、社会の一員じゃないですか?……おっきなことはできないけど、もし……私を認めてくれて、私にもう一度会いたい、来月も会いたいよ、って。またね、って。それが……社会の一員の証じゃないですかね。……おっきなことはなくていいと思ってるんです。

認知症だって1人の人間として認めてもらえたってことじゃないですか。だって、「ああ、認知症だ。あんなのに何言っても分かんないや」っつったら、「来月も会いたい」「また会いたいね」「また会って元気ください」とかって言ってくれますか?それを言ってくれたならば、私は……すごくうれしいし、それだけで「生きてていいんだ」って思える瞬間であるんで。あの……全部自分のためです。(笑)

認知症の語り

認知症の人に、自分の残された能力を信じて充実した人生を送ってもらいたい。そのお手伝いをすることが私の使命

―― 今、その、ご自分の使命っていうふうに。思ってらっしゃることはありますか。

はい。自分の使命は、認知症になって絶望に思ってる人たちを、に、認知症でも病気だと一つ割りきって、認知症でもいろんな可能性があるということを、自分の残された能力を信じて、これからの人生を、充実した人生を送ってもらいたいと。そのお手伝いができれば、私の使命だと思っております。

認知症になっても、(不幸)、不便であるけど不幸ではないということと、自分の能力を信じて、どんどんどんどん好きなことをやってもらって、充実した生活を送ってもらいたいと。

認知症の語り

本人の声が一番響くとということで、認知症サポーターの講習も受け、市の運営するオレンジカフェでスタッフとして参加している(テキストのみ)

市の運営するオレンジカフェなんかの、あのー……何ていうのかな、スタッフ?で行ってるんですよ。来た人の相談とか、今後どうしてったらいいかとか、そういうことの相談にも乗ってます。

―― 市のスタッフとして行ってらっしゃるんですね。

ま、そうですね。その運営してる中の、あのー、その中のスタッフとして、うん、お願いされて、っていう感じで。

―― いや、でも画期的ですよね。ご本人が相談スタッフでというのは。他にいらっしゃるんですか?

うんっと、あの、もう一人、MCIの人が……いらしてて、その人がスタッフになれそうかなって感じですね、今ね。うん。で、私が第1号で。とにかく、あの、本人の声が一番響くということで。うん。何かそういうので、行ってます。

―― (この)○○市独自の取り組みですか?

いえ、違いますよ。ここの市ではないです。他の、市で。○○市はあんまりやってない。まだ始まる段階ですね。うん。この前、包括(地域包括支援センター)にも呼ばれて、あの、行ったんですけども、ちょっとやっぱりまだ、準備段階で。
オレンジリングのサポーターにもなってるんですね、私。うん。それ、受講、本人が受講してどうすんだ、っていう世界なんですけどー。いやー、それも受講している。うん。県からちゃんと登録番号もらってるんで。うん。だから、ある程度の相談にも乗れるようになって、勉強しました。はい。

認知症の語り

認知症は神が与えた試練であり、信仰が認知症と生きる心のよりどころになっている

―― 洗礼を受けられたのはいつですか?

えーっと。20、39歳のときですから、今から22年前です。

―― じゃあもう、その認知症の診断を受けたときにはクリスチャンでらっしゃったので、

はい、はい。

―― その受け止めっていうのは、そのー、神様が自分に与えた。

試練、試練。

―― 試練。

だから、耐えられないような試練は遭わせられないという、聖書の御言葉がありますからね、必ず脱出の道があると。だから、試練は人間の人格を磨くためにあると思ってますからね。この、何でこんな試練に遭わされるんですかじゃなくて、この試練から何を学ばせていただきますかというふうに、前向きに取ると。この試練で何を学べばいいんですかというふうにお祈りをすると。不平不満を言わない。何でこんな試練に遭うんですかというような、そういう受け止め方をしなくて、この試練から何を学べばいいんですかというふうに受け取ると。

―― 信仰といいますか、そういうものと、こう、日々の生活っていうのは何かこう、関連がすごくあるんですか?

はい、ありますね。やはり心のよりどころは持ってますからね。私たちは、あの、すぐ目先のことに、注意、あの、注意がいくようですけど、私たちはもう永遠、永遠のことを考えてますからね。死んでもまだ、あのー、天国に行けるという保障がありますから、将来に対する不安はありません。ただ、やる気力がなくなることはあります。

―― その、まあ信仰が本当になんかこう、落ち込んだときのやっぱり支えになっているっていうことがありますか?

はい。私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛してる、「私」というのは神のことですね。神様が、取るに足らない私をこんなに愛しているという、その、あー、高価で尊いと。私のようなつまらん人間を、神様は作品として、製品じゃなくて作品として、えー、かけがえのない、オンリーワンの存在として見てくださるので、全然、あの、人の、人の価値というのは、あれができるこれができるという、有用性ではなくて、beingの世界ですね。存在するだけで、えー、そこに意義があるということを、そういう信念を持っていますからね。だから人と比べたりはしない。相対評価の中で生きるんではなくて、絶対評価、神様は、絶対者があなたは高価で尊いと言ってくださるので、私はそれだけで、えー、尊い存在だという自己肯定感が強いので、そういう…、だから、あの、んー…、自己肯定感が強いので、皆さんも自分の嫌なところは目をつむって、自分にはこんないいところがあるということで、毎日自分の悪い点を探すんじゃなくて、感謝することを三つ探しなさいと。例えば今日だったらば、頭痛が起きないだけでも幸せですねと、朝起きられただけでも幸せですねということで、えー、毎日生きてるんだけど、今日が、あのー、最後の、生かされてる最後の日だということを、毎日そう思って感謝の気持ちを持って生きれば、それで充実した生活が送れると思います。

認知症の語り

できなくなったことも現実、これから先のことも現実。落ち込んでいる自分と、前向きな自分、どちらを見たいのかは自分が決めることだと思う(テキストのみ)

―― 「この状態が今の自分だ、っていうふうに受け入れることが大切」っておっしゃったのですが、そういうことができたきっかけ、どうしてそれが重要だと思われたかについて教えていただけますか?

……何が原因だったのか分からないけれども……やっぱり……人に会って、話して、その中で多分、整理した中で出てきた言葉じゃないかな、と思うんです。だって、現実は現実なんですよ。……できなくなったことも現実だし……これから先のことも現実なんですよ。これから先、完璧に良くなるなんてことはあり得ない。ましてや、年をとる、老いというものがありますよね。それが、一緒にやってくるんだから、それが、認知症は突然やってきたようなもんだと私は思ってるんですね。

普段だったら緩やかにいくものが、突然、ゴックンと、ある日突然やってくるような、そんなもんだと、ちょっと思うようになってきてて。じゃあ、そうなったときに落ち込んでていいのか?って……落ち込んでる……自分を見たいのか、前向きにやっていく自分を見たいのか……それは自分が決めることじゃないかな、って。

本人と、いろんな家族の人と、本当に100人いたら100通りって言いますよね。千人いたら、千通り。その中で……答えなんか……正解なんか導き出せるわけがない、(導き出せる人は)誰もいないと思うんですよ。だから、自分で自分を受け入れるしかない……と、私は思うようになった気がします。うん。

認知症の語り

診断当初は、6年から10年で全介護状態になると書かれている本を読んで絶望していた。当時は自立して生活している今の状況は想像できなかった

―― もう診断を受けられてから10年。

11年です。

―― 11年、ね。で、その10年、11年前に。今のご自分って、想像できてました?

はい、はい、想像はできませんでした。もう、あの、本によると6年から10年で全介護になるということで、もう本当に絶望のふちを歩いておりました。

―― でも結果的には。

はい、はい。でも今も疲れるんですよ。んー、疲れがこのあとどっと出るんですよ。

―― こうして話をして…。

はい、傍目には全然、あの、疲れが見えないんですが、(インタビュアーが)帰ったあとが反動がすごいんですよ。

―― ああ、ありがとうございます、そんなのに受けていただいて。

認知症の語り

認知症になったからといって受け身ではいけない。いずれできなくなる日まで、できることを精一杯がんばろうという気持ちを捨ててはいけない(テキストのみ)

あのねー……やっぱり……認知症になったからって言って……支援される側ではいけないと思うんです、私は。……あの、足りないとこを補ってもらうのも、は、大事ですよ。全部ができるわけではありませんから。これ、健常者の人だってそうだと思うんです。得意、不得意はあると思うんです。その1つとして考えてもらって、これはちょっと苦手なんで、ちょっと手を貸してください、って言えるようになって、でも……介護される側ではダメなんですよ。…受け身ではダメなんです。これは、手伝わなくていいんです、ってきちんと言える。あの、介護者も手を出しすぎないこと。で、本人も介護を受けるばっかりの受け身じゃダメだってこと。これからお世話になるんだから、それまで支援をしちゃおうみたいな気持ちで、私はいたいなと思ってるんですね。

だから、料理も頑張ってるのは、いずれはできなくなる、と思ってます。当然。でも、それまでは、「おいしい」って言ってくれるなら、作り続けよう。その気持ちが、もう、もってけることが大事であって……それと同様、生活も全てそうだと思うんですね。いずれはそうなるかもしれないけど、それまではがんばろう。今日をどうにか、今日、今、がんばろう、っていう気持ちを捨てたらいけないと思ってます。大事なことだと、私、思ってるんで。

認知症の語り

50歳ちょっとで認知症となり、周りにばれたくなかったし、認知症のせいで辞めさせられるのはプライドが許さず、診断後早々に退職してしまった(テキストのみ)

人と接しない仕事に変わって、やったら、数字が読めなくなっちゃったんですよ。で、その……レジチェックやってるときは、数字が必ず、何桁も、こう、入ってくる状態っていうかね、数字に強かったのが、あの、体の調子がよくなくて……しばらく休んだんだけれども、その中で見つけた仕事の中で、数字が読めなくなったっていうのはものすごく、あの、私の中で衝撃だったんですよ。

 「何やってんの?」って言われて怒られたんだけど、何が違うのかが、出なかったんですね。……でも、みんなには悟られたくなくって、「えー、間違っちゃったー」って言って。「SOSだよ、ちょっとやってよ」って頼んでね。うん。「まったくー」っていう感じだったんだけども、みんな笑って、「本当にそそっかしいんだから」みたいな感じで、その場は切り抜けたんですけど。

私の場合には、その頃は、まさか認知症とも思ってなかったんで。診断もらったときに、もうとにかく、もう、認知症、これは人にばれたらいけない、仕事はもう辞めるー、みんなにばれる前に辞める、っていうふうな考えに変わってしまって、早々に仕事を辞めてしまった。

―― そのことだけは知られたくないという思いは…。

はい。だって、50ちょっとでー、嫌じゃないですか?ちょっと「認知症」っていう言葉を口にするにも……何で、ここで知られたくない、知られなきゃいけない?っていうのが、やっぱりありましたね。

で、あの、認知症だったら、多分「辞めてくれ」って言われるようなことになったらば、あの、プライドが許さなかったですね。辞めさせられるっていうのは、とても、私の中では考えられないし。うん。でも、「辞める」って言ったときも、すごく「残ってください」っていうふうに言ってくださったんで。うん、本当にそういう……何て言うのかな、うん、そういうふうでありたいと思ってたんで。

認知症の語り

不安な時は、同じ病いを抱えている人と繋がることが大切。自分では解決策が思い浮かばないことも、皆が答えを一緒に考えてくれる

―― 認知症になられて◯◯さんのように一人暮らしされてる方は、やっぱりすごく不安があると思うんですけれども。

はい。

―― 何かその、あのー、ですね。

だから、そういうときには、同じような病を抱えている人と、お話をすることがいいんじゃないかなと。とかく、その、(健常な人は)忙しいばっかりなので、相手にされないので、そういうようなのを、三つの会*だとか、そういうメールとか、そういうのを使って、自分も覚えて、そういう努力、自分も努力して、そういう、もうITは私は駄目だと諦めるんではなくて、いろいろ教えてもらって、そういうふうで、他の認知症当事者と繋がることが大切だと思います。

―― 今おっしゃった三つの会ってどういう会ですか?

三つの会は、伝える、作る、繋がる、三つを取って、三つの会。認知症の、人の状態を伝える、認知症の生活を作る、認知症の人が繋がる、この「つ」を取って、三つ、「つ」の頭の三つを取って、三つの会といって、認知症の当事者の会です。

―― 具体的に、その、どっかに集まったりとか。

あ、それも、オフ会はあんまりやりませんけれど、一応、どういう不安があるかということをウェッブ上で、書いて、それで、あのー、それで、こう、情報を交換する。例えば、あのー、朝起きた時間がわかんないというようなことがあれば、「朝、起きた時間がわからないんだよ、どうしたらよろしい、よろしいでしょうか」と言えば、(その人が、)他の人が、「じゃあそういうんだったら携帯電話で時計の時間を(写真に)とって、そうすれば時計の時刻で何時が起きるかということを、そういうんだといちいち入力する、パソコンに入力しなくても、その携帯の画像を見れば、何時に起きたかということがわかる」と。そういうように、認知症の人でも、自分で工夫できる人が中にはいますから、自分では思い浮かばなくて、「こうしてはどうですか、こういう問題を抱えてるんですけど、皆さんはどうされていますか?」ということを、尋ねてみるということが大切じゃないかなと思います。

*三つの会:「つたえる」、「つくる」、「つながる」を通して、認知症と生きる時間をかけがいのないものに  URLはhttp://www.3tsu.jp/.