投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

偏見に対して強くなっていきましょう。家族が認知症になっても、悪いことばかりでなく、楽しく過ごせるときもあるので一緒にがんばりましょう(音声のみ)

―― 自分のご両親が、認知症にかかられて、その、お子さんに当たる方たちに対して、何かメッセージとか、もしあれば、お聞かせいただきたいのですが。

うーん…まあ、一緒にがんばりましょう、じゃないですけど、やっぱり強くならならきゃいけないと思うので。周りの偏見とか気になるときとかもあると思うんですよね。私が割とそれを気にしちゃうんですけども。そういうふうなことに対しても、まあ、私も決してまだ全然強くなってないんですけど、強くなっていきましょう。
やっぱりそんな認知症になっても、まあ、別に楽しく暮らしていけるし、まあ、本人とも一緒に楽しい時間も過ごせるし、楽しいこともいっぱいあるし、うーん、分からなくなることもほとんどなんですけれども、分かるときもあるし、悪いことばっかりではないとは思うので。そういうときもあるので、普通に生活していきましょう。

認知症の語り

外出先で母が騒ぎはじめると、「静かにして」とたしなめてしまう自分がいて、後で反省してしまう。同居している妹や義父は、普通に対応ができていてすごいと思う(音声のみ)

実家に帰っても、反省する部分は多くって、母に対してあんまり優しくできなかったりするところもあったりして。外に行っても、もうすぐに、騒いだりとかしちゃうときもあるんで、そういうときなんかは、自分が母に対して「静かにして」とかって言っちゃうときもあるし、うーん、、「周りに近所の人いるから」とかって言っちゃうときもあったりして。いや、本当にそういうときは、後になってやっぱり反省してしまうし。でも、妹はそういうことを言わないというか…だからもう、妹と、再婚した義父が何となくもう、腹をくくってるっていうか(笑)。何か私のほうが、周りの目とかをある程度、まだ気にしちゃうところがあって。頭では分かってるんですけど、…まだちょっと、そういう母に対して恥ずかしいって思ってしまったりとか、そういうこともありますね。
 …たまに、あのー、私のおばあちゃんが(介護付き有料老人)ホームに入ってるんで、ホームに母を連れて行ったりするんですけれども、やっぱりホームでも、母がちょっと騒いでしまったりとかすることがあって、そうすると周りの利用者の方とかが、「ちょっとあの人、やっぱおかしいおかしいね」とか、「何かおかしいね」っていうの、こそこそ、こそこそやっぱり言ってるんですね。
だから、そういうのをちょっと耳にしちゃったりすると、やっぱりちょっとこっちとしては畏縮しちゃったり、何か恥ずかしいなっていうふうに思っちゃったりするんですけど。でも何か、それじゃ本当はいけないんだなっていうのは、あのー思ってて。そういうふうに言われてたりしても、違うふうに対応しなきゃいけないなっていうのは思うんですけど。たぶん妹はそこらへんはもう全然、普通にできてる状態で、今は。だから、まあ、本当すごいなって尊敬してるんですけど。

認知症の語り

まだ夫の病気の事は周囲に言っていないが、叔母だけには話した。ご近所には言っておいた方がいいと助言され、どのように話すか迷っている(音声のみ)

―― ご親族の方に対して、ご主人が認知症だということはお話されているのでしょうか。

いや、まだしてないです。大学を辞めて…もし、聞かれたら言おうかなという感じで。義母の妹がいるのですけれども、その叔母だけにはちょっと相談して、こういう状況なんだっていうのは言ってるんですけども、親戚関係がたまたま遠くばっかりなので、近くにおりませんので、別にかかわり合いがないから、もし言われたときには話そうかなと。「どうしてる」って言われたときには話そうかなと思うんですけども、まだ全然話してないです。いずれ話す機会があれば話そうかなと思ってます。

―― あと、近隣の方にわざわざ言って回るってこともないと思うんですけど、そのあたりは。

そうなんです。でも、あのー、「言っといたほうがいいよ」って言われ、近所の方にどんなふうにして話そうかなというの、すごく迷っている状況です。でも、いずれ分かってくるのかもしれないので、早めに言っておいたほうがいいのかな、とは思いますけど、まだ言ってないですね。

―― あの、こういう病気になられて、何か嫌な思いされたことってありますか。

まだ、だから外に向かってカミングアウトしてないから、まだないですね。その…そうですね、まだ嫌な思いはしてないですね。

認知症の語り

妻が認知症であることから逃げていたが、介護と仕事を両立させるために、上司と同居していた義母に話さざるをえなくなり、妻の病気としっかり向き合う覚悟ができた

最初はやっぱ逃げてるとこもあったんで、認知症かなと思いながら、いや、違うやろ、違うやろという逃げの気持ちばっかりがあって。だから、本当に認知症ということで、確実に認知症って向かうようになったんは、ま、私は。会社を辞めるか、辞めないかという選択のとこにきてました。というのは、あのー、私ちょっとこう、腰をいわして(悪くして)、会社をこう、2カ月休んでた。そのときに、ま、いろいろ考えたときに、自分1人では介護もう無理やなと。義母にもきっちりこう説明しないと駄目やなということで、その、5年半ほど前に説明して、自分がその、介護のほうに、えー、一緒に、こう、きっちり取り組むようになったのが、ま、その、認知症を認めざるを得ないという形になる。
上司に相談さしてもらったら、その上司はちゃんときっちり奥さんを見てあげれるようにしろと。仕事は、部署は今の部署から、また、自分、あなたが勤務できるような部署に変わったらええやないか、ということで、今の部署で働くようになった。それが5年半前だったんですけど。
きっちり、私が向かうようになって初めて、そのー、家内も心を開けてくれるようになってきたと。それは、それまでは私自身も逃げる、家内も何か訳分からんで、うろうろ、うろうろしてる。だから、義母にも言ってないから、義母も要するに「何してんねん」言うて家内に怒る毎日で、私もまだ半信半疑やったんで、結構どなってました、私がいましたね。
5年半ほど前から、こう、きちんと取り組むようになって、家内にどなることがだんだん、少なくなってきて、この病気っていうのは特殊なんやなということで、自分自身が家内を見る、見さしてもらうということが大事なんや。家内の病気を、良くする。私は良くなると思って、今、介護さしてもらうんですけど、義母もそういう気持ちでいてると思います。だから、病気を治らないと1つも決めつけてないです。いつか病気は治ってくれるんじゃないかなと。

認知症の語り

人前にどんどん連れて出ることが一番大事と思う。情報が入ってくるし、それで自分も変わっていく。隠し事なく話すことで、家の中も明るくなる

この病気は家に閉じ込めたらいかん病気だってね。もう、大いに人前に連れて出るいうことが一番大事と思うんですよね。うん。そやから、僕自身がそう、思ってますから、とにかくもう、そんな人前のね、そんなこと、いろんなこと思わんでもいいと思うんですよね、うん。そういうことによって、今言ったいろんな情報も入ってくるし、うん。それによったらまた自分が変わってくし、うん。また、あの、家の中でもね、やっぱり隠し事がもう隠さんでいいようになってくる、うん。
それ、言わへんかったり、何かしたらやっぱり、例えばの話ね、そういう認知症の最近ドラマが多いけどもね、そんときにチャンネル一生懸命見てるのに変えるんか、なってくるし。ほんで、そんなんで、いろんな話ね、ま、近所の話とか、いろんな人の話の中でそういう病気の話が出たら、ほんならちょっと黙って、今日は抑えるんか。もうかえって、そういう雰囲気のほうがすごくね、もう、良くないような気はするし。
オープンに話すことによってね、もう家の中が明るくなってくし、うん。かえって、あのー、暗くなる話が逆に明るくできたり、それはやっぱり多いからね。そやから、僕は大いにやっぱり、もう皆さんにね、どんどん、特に、こういう若年性のね、そういう方に、もう、もっともっと、こう…あのー、こういう交流会を通じてね、やっぱりこう、いろんな場所があるから、やっぱり出るようにおすすめしたいですね、

認知症の語り

本人を前に「認知症で、もう治らない」と宣告されたが、今は良かったと思える。交流会で、本人に知らせていない家族に多く出会うが、早く話した方がいいと勧めている

うちの場合は、最初の診断で本人の目の前で、バンて言われてしまった。ま、本人は分かってるかどうか、分からへんけども。そんなことで、本人自身から「私は認知症やねん」て、もう最初から言うてんですよね。そんなことで、あのー、まあ、後からね、診察んときに「私は認知症、言うてます」。その、「あんた自身、言うてんか」、「言うてます」、「そう。あんまり言わんほうがいいんやけどな」って言われるぐらい(笑)。今はもうね、むしろ僕のほうは控えめにね、譲ったぐらいだったんです。そやから、後からになってから、ああ、あんとき言うてもうて、もう良かったんやな思てね。そやから、隠すこともなくね、言えるし、うん。
そやから交流会の中でも、うちはまだ本人は知らないんですとか、かなりいらっしゃるんですよね。うん。そやから、そんな感じかな、僕は思うね。まあ、「早めに言ったほうがいいんじゃないですか」言うて。また、それをすることによって、本人の意思も変わるし、それによって、もうおれは駄目か思ったり、また、おれはそんな病気やったんかってしょげる人もおれば、あ、それやったらおれ、そんな病気はもう勝っていくわ、いうことでね、そんな人も出てくるし、結果どうであれ、家族自身が言わへんかったら、先生に言ってもらうとか。とにかく、僕はね、もう早く、言ったほうがいいように思います。そういうふうに言ってますけどね。

認知症の語り

認知症は誰もが表に出すのを嫌がる病気だと思う。でも、若い世代でもなる病気だから隠してはいかんと思う。公表を通じて、当事者である妻も自分も元気をもらっている

―― お子さまの側から見て、お母さんの病気っていうのはどうだったんですか。やっぱりすんなり受け止められたのか、それともやっぱりかなりショックがあったのか、その辺はいかがでしょうか。

ショックはあるでしょうけどね。でも、やっぱり人目いうの感じてますね。自分のね、母親がやっぱりそんな病気なんやいうことをね。そやから、マスコミに報道されると、もう「おやじ、ええ加減にしとってや」言われ(笑)。いや、いや、僕はね、やっぱりこれで元気もらってる。お母さんかてな、元気もらってるよ。ましてやな、僕ら元気もらってる、これがな、みんなに役立つことやから、言うてね。
もう、この病気言うたら、みんなもう表に出すの嫌がる病気や。要するに、自分たちがそう思うようにみんながそういうふうに思ってんねん。けども、この病気は絶対もう、僕は隠したらいかん病気や思うとる。まあ昔を言えば、こういう病気になったら、家の中に閉じ込めて、部屋まで鍵かけて、家に出せへん、そんなことがものすごい多かったんや。けどもな、今はもう、この病気は年寄りだけじゃない病気になってきてるんや。もう若い人にも出てきてる。自分たちのような年の人でも、この病気はもう出てきてんねん。ほんなん、どうしたらいいねん、いうことを思えばな。これはやっぱり公表すべきやろ。僕、それ言うてますね。

―― 皆さん納得してくださいますか。

そう。黙りますね。んで、陰ながら(笑)、放送があったら「それ、いつやって」ってね。「何で言わへんねん」とかね。ほんで、後でね、こそっとこう、ビデオ見たりして、で、黙ってますわ(笑)。

認知症の語り

田舎では、母が認知症になったことで、人格まで否定するような発言をする近所の人がいて、会うのが嫌だった

―― 最初はご近所づきあいが、あのー、大変だったということでしたけれども、後から、お母さまの状況がご近所の方に、知れたときはどんな状況でしょう。知れて、お困りになったのか。それとも、ご近所の方にそれが分かって協力体制が組めるものなのか、どんな状況でしょうか。

その協力体制がね、できていたらよかったなと思うんですけど、本当に田舎っていうのは何か、あまり悪口を言いたくはないんですけど、あんまりなかったですねえ。何かちょっと、こう…、いや、何て言うのかなあ…、「そんな病気になっちゃったの」みたいな、なんていうか認知症になると、その、何て言うのかな、あの、人格までこう否定されてしまうような、そういう心ない発言をする人もみえて、本当に実家に行くのが、行って近所の人と会うのが嫌だったですねえ。

認知症の語り

本人が家族に求めているのは、介護というよりは思いを共有するサポートの役割である。本人同様家族にも人生があり、認知症に負けずに夢を追い続けたいと伝えたい

―― いろいろと講演される機会があると思うのですが、その中でこういう思いだけは伝えたいという、認知症のご家族としての思いというのを教えていただきたいのですが。

わたしは、彼が言った「介護者ではなくサポートしてもらいたい」っていう、そこの部分を、皆さんに、お伝えしたいというか。そのサポートっていうのは、結局、本人の思いを共有してあげるっていう、そういった部分を、皆さんに、なかなか、伝えるのは難しいんですけども…。

―― あと、お2人でおっしゃっている、「負けないぞ」っていうのは…。

「負けないぞ」っていうのはね、何かこう、あの、本人のことだけではなくって、自分自身も、介護者のわたし自身も、何かこう、人生に負けたくない、人生に負けるということって変な意味、なんじゃないんですけど、自分も負けたくないんですよね。この、認知症の方の本人の人生もあるけども、介護者の人の人生もあるんですよね、そこには当然。えー、それが1本になるっていったら変ですけど、やっぱり、わたしも一個人としての人間ですので、その辺をあのー、自分の夢とか、そういったものも持ち続けていきたい。
うーん、彼は病気に、その、認知症になったからといって、自分のすべてを認知症に、ささげるっていったらおかしいですけど、そういった部分にはしたくないですね。自分の夢は夢として持って、うーん、まあ無理な夢でも、夢で終わってしまうかもしれないですけどね、その部分で、あのー、何か負けたくない。自分の夢をかなえさせるために、こう、この病気に負けたくないなっていう部分は、だから、その負けたくないっていうのは、本人がその、病気に負けたくないっていうのと、わたしもその病気に負けないで自分の夢も追い続けたいっていう、そういった、こう、ちょっと2本立てっていうかね。そういった部分があるかなっていうふうに思います。

認知症の語り

最初は、本人としては「こんなに若いのに」と周囲に同情されることがショックだったらしく、そのせいでもっと外に向かうようになったのかもしれない

私は、ちょっとやっぱり最初のころ、ためらってたんですけども。女房の方が、そういうのは結構、積極的に話をしたいと。やっぱりあの、同じような病気の人とか、やっぱり早期発見のために、自分が何かできるっていうのがあれば話をしたいというのが、やっぱり最初のころの考えだったようです。

―― まあ精神的に、こう、メンタルでかなり、ダウンされてた(落ち込んでいた)という時期に、アルツハイマーというふうな的確な診断があれば、そのおかあさんの介護も含めて何か変わったという、そういう思いというのはおありなんでしょうか。

うーんと…、それとは違うのかなあという。よく、その辺はよく分からないんですけども…、うん。
それにしても、あのやっぱり7、8年前は今以上にやっぱりまだ、若年性に対しては、偏見みたいなのはあったと思うんですよね、今以上に。うちのもそうだったんですが、まあ嫌な思いというのはあんまりしてないんですけども、同情は結構されてましたね、やっぱりね。「こんなに若いのに、かわいそうにね」とか、そういうのは結構、親せきの方とか、あとはあの結構、介護、自分の両親を介護された方からは、結構逆にそういうふうな、割と同情されるようなことはありました。それは結構逆に、やっぱり、あの女房にとっては割とショック、同情されるのがやっぱりショックで、同情されればされるほど、もうちょっと外に向かって、というのがあるのかなという気がします。