投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

義母の告別式で、妻は、自分が認知症になったことで、十分な看護ができなかったと挨拶し、兄弟・親戚一同とても驚いていた。その後、親しい友人には電話や郵便で病気を知らせた

女房が認知症の診断受けて、治療受けながら、おかあさんの看病するっていうのは、やっぱ相当、精神的にも結構しんどかったというのがありまして。あの、亡くなった時の葬儀にもやっぱ、ちょっとやっぱり出席ができなかったんです。ショックで。もう疲れと、ショックで、寝込んでしまいまして。
それで、その翌日…、そうか通夜には出られなくて、告別式には一応出席ができたんですけども、その時、親せきがまあ一応、関西から、ほとんど関西なんで、皆さん関西からみんな見えられて。で、その葬儀の後に女房が一応あいさつするんですけども、あいさつして、自分がアルツハイマーになったということを一応みんなに、まあ話をしたのが、初めて皆さんに話をしたんですけども、その時に。で、自分が病気だったんで、なかなか思うような看護ができなかったっていうことを話をして、その時
私に、全然そういう話はなくて、いきなりそういう話をして。だから皆さんが驚いたんですよね。親せきの方々とか、まあ兄弟も含めて驚いて。だから、亡くなったおかあさんの話よりも、女房の病気の話、僕にいろんな質問があって。「どういう病気なの」とか、「今どうだ」とかいうのをいろんな質問されました。

―― 何かそのことによって、そのご親せきとの付き合い方が変わったとか、そういうことは?

ないですね。ないです。それはそうです、ないですね、まったく。あとは友達にも、皆さんにはやっぱり一応、親しい友達には全部、電話とか郵便で病気をお知らせしました。

認知症の語り

夫の病気のことは、職場でもわかってもらっているし、友人や親戚にも、言って大丈夫な人には話している。変に隠さない方がサポートしてもらえるし、気が楽である(音声のみ)

わたしの会社の人には、伝えています。1カ月半に1回とか病院に連れて行かなきゃいけなかったりとかするのと、あと、やっぱり、基本的には、出張とかで泊まりの出張とかはしないようにしているので、そういうのを分かっていただくためにも、上司とか、社長にも全部言ってますし。わたし、実は転職してそこの会社に行ったんですけど、入るときにそれも言って入ってます。
友達にも、あの、すごく仲のいい子にも言っているし、家族というか、わたしの兄弟とかも知っていますし。亡くなった奥さんのほうの親戚も知っています。だから、変に隠さないほうがみんな面倒みてくれるし、そういうことを分って、例えば、ちょっと何かあっても、病気だからっていうので許してもらえたりとか、逆にサポートしてもらえるんで、言っても大丈夫な人には、言っちゃったほうが気が楽ですよね。まあ、あとは、そのご家族のそれぞれの事情もあるとは思うんですけど。うちは、別に隠しておく事情もないので、言っちゃってますけど。

認知症の語り

同級生を中心に近隣の人たちに支えられている。夫がぼけて変なことを話していても受け入れてくれる。店をやっているおかげもあって、みんな気軽に声をかけてくれる(音声のみ)

やっぱ、ただ、ほんとにうれしいのは、周囲の助けで歩けるようになったことだけ。歩いてくれるようになったこと。最近のあの。

―― お散歩で。

お散歩に、周囲が助けてくれて。

―― はい、はい、はい、はい、はい。

だから、ほんとに、あの、町内にわたしの同級生、男の子ですよ。
わたしら、6人ばかりでね、で、あと嫁いでまって、地元にはいつきとん(居ついている)のがわたし1人だけなんね。で、きのう、夕べも、「わたしが女番長やでね」って言うぐらいの、やっぱり、みんながね、何か助けてくださるの。…で、わたしら、男女関係なし、すぐ隣も友達だし、で、同じ、わたしのその7組いう組に、同級生2人いるのね。もう一つ6組のに1人いるの。
で、あとは、またいとこになる子が1人いるの。もう、みんな何かね、仲良しでね。

―― じゃ、ほんとに、気ごころもしれて。

全部、そう、そう。

―― あの、遠慮しなくてもできる人たち。

そう、できる。

―― が周囲にいるっていうことですね。

そう、うん。だから、ほんとに、「Aちゃん(夫の名前)、きょう行けへんか」言って。「ちょっと、待っとってよ、お父さん聞いてくるから」「おう、行く」「ほな頼むね」って。だからね、喜んで、何かね、同じように話して。同じように受け入れてくれなさって、で、ぼけとるところも受け入れてくださって、なにけでもしゃべっとっても受け入れとってくださるのね。

―― あーん、それありがたいですね。

ねえ、ほんで、やっぱり、そのね、奥さんともやっぱり仲良くできるのね、そういうふうで。
うん、で、「うちの主人だってこういうふうだよ、いいって…。Aちゃん来たら言ってたるわい(言っておく)から」「頼むよ」ってこういうふうで。
ほんとにね、あの、何ていうのかな、お店やってるおかげもあってねえ、立ち話でもう自由に、ほんと、皆さん、言ってくださるの。

認知症の語り

アルツハイマーであることを公表したことで、色々な人が気軽に声をかけてくれるし、自分も垣根なくみんなの中にスッと入れるようになった。それがすごくよかった

―― 病気になってよかったなって思われることってありますか。

いや、もういい、いいですよ。あの、何て言うか、みんなが、あ、みんなっていうか、友人が、いろいろ来てくれるの、くれたり。あの、いろんなことを、でも、あの何て言うかな、あの、おお、何、あの…。

―― 応援?

え、いえ。あのー…友人、だから友人の中にこう、スッと入れるようにはなったんですね。で、いろんな人とも行ける、行ける、あの、行けるようになったし。で、それはすごく良かったですね、ええ。それで、あの…もうあのー、何だ、あそこのね。
友人の中にこう、スッと入れるようにはなったんですね。で、いろんな人とも行けるようになったし。で、それはすごく良かったですね、ええ。それで、あの…もうあのー、何だ、あそこのね……。
体操。体操はいつもしてるんですよ、毎日。で、そういう中でも、あの、いろんな人たちがいて、そこであのー、話をしながら、あのー、やっているの、その辺がすごくいいですね。誰でも一緒に行って、だ、あのー…エンジョイできるところであるんですね。
みんなに、あのー、もう、もう自分もアルツハイマーだっていうことをはじ、話しましたから。だからもう、平気で、皆さんも話してくれるんですよ。ま、それはすごく良かったですよね。

―― 話す前はあんまり外に行かれなかった。

うん、行かなかったですね。行け、行けなかったっていう感じですね。

―― その、行けなかったっていうのは、どういうこと。

いやあ…、うん。いや、こんなところで、わたしは自分を、自分に…一緒にできるだろうかっていうような気持ちがありますよね。あ、ありましたね。

―― その、ラジオ体操みたいなこと1つとっても。

ええ、そう、そう、そうです。ええ。もう皆さん、いろんな人がいますから、うん。で…もう皆さんがこう、来て、来ると、もういろんな人もいるので、ま、そういう中でこう、い、いると、すごくいいですね。ま、それが良かったんじゃないかなと思いますけど。

認知症の語り

一人ひとりの人格があって生きているということを絶えず自分に言い聞かせている。アルツハイマーであってもちゃんと生きていくことができることをわかって欲しい

あのアルツハイマーっていうのは大変だ、なことだと思うんですけど、でも、この一人ひとりの人格があって、で、その中でわたしたちが生き、こう生きて、生きているっていうことを、絶えずわたしが自分に、言い聞かせていると思うんですね。だから、それを皆さんに……分かっていただけれ、ほか、ま、いろんな人が分かってくだされば、あのー、アルツハイマーの人に、に、にとっても、あのー、わたしと同じように分かっていただくことができるんじゃないかな、というふうに思いますね。
アルツハイマーっていうのはもう、それだったらもう、こう、死ん、あの、もうほんとに死、死に、死と同じだというふうに思っている人が多いわけですね、まだ。まだまだ。 で、そのことを…少しでも早く、あのー、これはアルツハイマーでもちゃんと、あのー、生きていくことができるんだっていうことを、わたしが、少なくともわたしが、あの、声、声を出していきたい、というふうに思うんですよね。で、本当に皆さん、か、なんていうか、あのー………こういう病気は本当にどうしようもない、何もできない、そういうことが、ほとん、多くの人がそういうことで、その病気を考えていると思うんですよね。だから、それに対して、わたしは少しでも、わたしの……わたしがそのことに対して、少しでも皆さんに「そうでないんだよ」いうことを、あの…言えることができれば、一番いいのではないかなというふうに思います。

認知症の語り

同じ病いの人に向けて、社会に向けて、自分のことを話すことは、特別なことではない。悪いことをしているわけではなく、それが普通なこと

―― 同じ病気の方たちにこう、いろいろお話をされてますよね

ああ。そうですね。

―― それは何かこう、伝えたいこととかがある?

そう、そういうわけではないんだけど、…うん。

―― どう、どういう思いですか。

うーん、どういうって言われると、な、何、何て言えばいいだろうかしら…。そういうのが一番難しい。

―― そういうのが一番難しい…、 なるほど。

うん。だって、ふだんは…普通だから。うん、だから…、何って言われても。

―― そういうふうにしてること自体が、もう自分の中では普通。

ふつ、あの、そういうんじゃなくて、何、何て言ったらいいんだろうか…うーん……うまく言えない。何て言えばいいのかな、そういうのって。よく分からない。

―― うん。何て言えばいいんでしょうね。うまい言葉が出てきませんが。

そうなんです、すいませんね。

―― いや、いや、いや。とんでもないです。例えば、どっかでまた、「そういう集まりがあるんです」っていうふうに言われて、「ぜひお話しいただけませんか」っていうふうなお話が来たら、それに対しては?

別にあの、悪いことしてるわけない、ないんで、別にはい、はい。

―― きょうも…、皆さんにこうあの、役に立つように…、お話しいただいてるんだけれど。

いや(笑)、…いや、ほんとにあの、それで普通なんです。はい。

認知症の語り

夫もショックだったと思うが、私にはひと言も不安をもらさなかった。すぐにネットで病気のことを調べて、なんとか授業をやらなくてはという思いはあったみたいだ(音声のみ)

―― ご主人の様子はいかがだったでしょうか。若年性アルツハイマーという診断を聞かされて。

主人は主人なりに、まだ診断を受けたときは、私の目には、ちょっとおかしいなと思いつつ、でも授業は一応自分でやっていたので、ショックはショックだったと思うんですけれど、私にはあんまり言いませんでしたね。すぐに自分でインターネットで認知症のこと調べてましたね。認知症って、どういうふうになるんだろうっていうのは、こんなたくさん何かプリントアウトして、自分で読んでたなって。
でも、私にそれで、どうしよう、どうしようっていうことは言いませんでしたね、ひと言も。そのときは仕事も、大学のほうにも勤めてましたので、なんとか授業をやらなくちゃという思いはあったみたいです。

認知症の語り

夫はもの忘れに気づいており、循環器のかかりつけ医に相談して検査を受けていたが、妻には結果を知らせていなかった(音声のみ)

―― 最初にもの忘れで、お医者さまにかかられるときに、ご主人は納得してお医者さまにゆかれました?

それはね、あの、自分で、あの、その当時は1人でお医者さまに、い、行って、あの、循環器に毎月行ってましたのね。ほいで、そこで自分で、あのー、い、い、言ったんだそうです。ですから、そのときにお医者さまが何か検査をなさったようですけど、そういう結果も私は全然伺ってもおりませんでしたの。

認知症の語り

医師だった夫は大学病院を受診するときには自覚がなく、自分の医院の休院手続きの際についた病名をみて不思議がっていた

最初はもの忘れとか、あの、同じことをよく言う、言いますので、周りの者も、職場の者も、あのー、何回か同じことを聞かれますし。あのー、で、そういうふうに聞いておりまして、もう年かなとも思ってたんですけど、うん、75歳ぐらいだったもんですから、ちょっと早いかしらと思って、あのー、大学病院の診察を受けました。

―― あのー、大学病院に行かれるときに、自分は病気だとか何かそんな自覚はご本人ありましたか。

そういうことは全然ないんですね。そいで、あのー、休院するときに、あの、手続きを取るときに病名がついて、本人も不思議がってて、どうしてかって感じで、うん、そういう感じでした。

認知症の語り

妻は忘れるのは仕方ないと病名を気にかけなかったが、「たくさんのきょうだいの中でなぜ自分だけが悪い病気になったのか、申し訳けない」と、繰り返し言う

おばあちゃんはさ、どこが悪くてさ、あのー、何か、病院行ったりなんかするんだというようなことを、よく人に聞かれ、言われるんですよ、はい。そんな状況。

―― ああ、分かりました。

はい。だから本人は全然気にしてません。

―― あ、ご本人はアルツハイマーと言われたときも、そんなに気にはかけられなかった?

はい。本人はね、むしろ何でこんな病気になったと、おれだけ、きょうだい、きょうだいいっぱいいるんだ、昔だからね。きょうだい6、7人いるんですよ。女だって6人ぐらいいるんだ。そん中で何でおればっかし、その、こんな悪い病気になったと。忘れるのは仕方がない、また、べろまで痛いといって、自分では承知してる。おれは病気なんだと、自分でしょっちゅう言ってるんですよ。「おれは、自分で、病気だから申し訳ないね」と感謝、「申し訳ない、申し訳ない」って言って、私に言うんですよ。