投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

夫はもの忘れに気づいており、循環器のかかりつけ医に相談して検査を受けていたが、妻には結果を知らせていなかった(音声のみ)

―― 最初にもの忘れで、お医者さまにかかられるときに、ご主人は納得してお医者さまにゆかれました?

それはね、あの、自分で、あの、その当時は1人でお医者さまに、い、行って、あの、循環器に毎月行ってましたのね。ほいで、そこで自分で、あのー、い、い、言ったんだそうです。ですから、そのときにお医者さまが何か検査をなさったようですけど、そういう結果も私は全然伺ってもおりませんでしたの。

認知症の語り

医師だった夫は大学病院を受診するときには自覚がなく、自分の医院の休院手続きの際についた病名をみて不思議がっていた

最初はもの忘れとか、あの、同じことをよく言う、言いますので、周りの者も、職場の者も、あのー、何回か同じことを聞かれますし。あのー、で、そういうふうに聞いておりまして、もう年かなとも思ってたんですけど、うん、75歳ぐらいだったもんですから、ちょっと早いかしらと思って、あのー、大学病院の診察を受けました。

―― あのー、大学病院に行かれるときに、自分は病気だとか何かそんな自覚はご本人ありましたか。

そういうことは全然ないんですね。そいで、あのー、休院するときに、あの、手続きを取るときに病名がついて、本人も不思議がってて、どうしてかって感じで、うん、そういう感じでした。

認知症の語り

妻は忘れるのは仕方ないと病名を気にかけなかったが、「たくさんのきょうだいの中でなぜ自分だけが悪い病気になったのか、申し訳けない」と、繰り返し言う

おばあちゃんはさ、どこが悪くてさ、あのー、何か、病院行ったりなんかするんだというようなことを、よく人に聞かれ、言われるんですよ、はい。そんな状況。

―― ああ、分かりました。

はい。だから本人は全然気にしてません。

―― あ、ご本人はアルツハイマーと言われたときも、そんなに気にはかけられなかった?

はい。本人はね、むしろ何でこんな病気になったと、おれだけ、きょうだい、きょうだいいっぱいいるんだ、昔だからね。きょうだい6、7人いるんですよ。女だって6人ぐらいいるんだ。そん中で何でおればっかし、その、こんな悪い病気になったと。忘れるのは仕方がない、また、べろまで痛いといって、自分では承知してる。おれは病気なんだと、自分でしょっちゅう言ってるんですよ。「おれは、自分で、病気だから申し訳ないね」と感謝、「申し訳ない、申し訳ない」って言って、私に言うんですよ。

認知症の語り

母は感情表現が控えめで、診断名がついても自分で受け止めているようだった。その母が「死にたい」と言ったことがあり、母の気持ちをさぐるような会話を心がけるようにした(音声のみ)

―― お母さまは、ご自分の病気のことを、病院で先生から直接お聞きになった。

はい、聞きました。はい。

―― そのときの、お母さまは、どういう受け止め方とか、どういう反応を示されましたか。

えーとですね、あのー、先ほども言いましたけれども、あまり、こう、感情表現、その場その場で、こう、適切に、ぱっぱっと感情表現をする性格ではないものですから。落ち込んで、元気がない様子ではあったんですけれども。あの、そんなに、こう、あのー、ショックで、いかにも、思いつめたようだとか。あのー、何も話さなくなってしまったとか、そういう特徴的な感じはなかったです。
だけど、やっぱり、こう、1人で考えて、あのー、じゃ、これからどうしていこうかっていうことで、出した答えが、やっぱり、まずは、近所の人に…言って理解してもらうっていうことだったと思うんですね。まあ、とてもショックだったと思いますけれども、1人で受け止めて、…糸口を探していたんだと思います。うん。

―― 何か、娘さんに質問してくるとか。気持ちを何か話すっていうことはなかったですか。…このご近所の人に言うとかっていう、行動レベルのお話があって。

行動レベルでした。気持ちで、あのー、…ああ、でも、言いましたね、「死にたい」って。……で、主治医からも、「アルツハイマーの方は、自殺っていうことは考えられない、考えにくいんですけれども、レビーの場合は、そういうことはありえますし、ありましたから、あのー、それは、もうここがご家族で、よくよく気を付けてください」と言われました。
何か、ことがおこったあとでは、ねえ、とりかえしがつきませんので、まあ、母の気持ちを、こう、さぐるような、会話というか問いかけを、こちらからするようにして、自分から感情表現して、こうだこうだって感じの人ではないので。それは、気をつけるようにはしています。

認知症の語り

うつ病と言われ、薬も効かずに手立てがない感じがずっとしていた。病名がついたことで、2人でがんばっていこうと、ようやく受けとめられた

若年性のアルツハイマー型認知症ということで、えー、診断名を言われました、はい。

―― その(ご主人の)診断名をお聞きになった時の、奥様の心境とご主人様の状況はどうだったでしょうか。

それまではうつ病という形でね、言われていたので、こう、すごく手だてがない感じがずっとしていたんですね。この薬を飲んでもなかなか治らない、なんでだろうという感じで、ずっと来てましたので。若年性アルツハイマー型認知症ですよって、病名をきちんと言われたことが、わたしたち2人にとって、変な話、ほっとしたんですね。病名がついたってことは、病気を治すための何か治療があったりとか、きちんとしたお薬があったりとか、何かがあって、よくなるんじゃないかなっていうような感じを2人ともして。ほんとに病名がついてよかったよね、ああ、これから2人でがんばっていこうねっていうような、感じで。ほんとに、意外とすっと受け入れられて。何とか2人でがんばっていこうよっていう、すごく何か、2人とも明るい感じでですね、その時は受け止められました。

認知症の語り

脳血管性認知症と高次脳機能障害と2つの診断名がついたが、自分としては回復の見込みのある高次脳機能障害の方がぴったりくる(テキストのみ)

―― 2カ所で診断が違ったって伺ったんですけれども、それはどういう病名だったんですか。1つは脳血管性の認知症と言われて、もう1つは何だったんでしょうか。

……あ、高次脳機能障害。ま、だから、同時にその2つをやること(聞くことと書くことや2つの作業を同時にすること)の難しさやね。だいぶ、だからそれ、(血圧の薬やリハビリ、サポートセンターへの通所で)回復してきてるんですけど、まだもうちょっと時間が、利用する、利用するというか、あとまた5、6年かかると思う、私には。

―― ご自身としたら、どちらの診断名がぴったりくる感じですか。

高ちゃんのほうが信じられるっす。

―― 高ちゃんのほうが。(笑)

高ちゃんのほうがぴったりかな。

認知症の語り

若年性認知症と言われても、平気だった。自分にとって、認知症はそこにあって全然不思議なものではなかった(音声のみ)

―― ご自身が、その若年性認知症っていうふうに言われたときは。

はい。

―― どんなふうに思われました。

ああ…あのー、うん、僕的にはね、平気でした。あの、まあそれは全然オーケーだなと思いました。認知症そのものっていうのは、認知症っていうのはそれなりに認知症というものとして、それはそこにあって全然不思議ではないものとして考えることができる、と思いました。だから、それはそれで、いいだろうと思います。今もそう思います。

認知症の語り

アルツハイマーはもうなにもできないというイメージだったので、まさか自分がその病気になるなんて考えられなかった

あっ、PETだぁ。 PETであのー、これでは、これはひょっとして、あの、アルツ、アルツハイマーではないかっていうことを友人から言われて、行ったんですね…。

―― そう言われたときは、どんなふうなお気持ちでしたか。

ま、それは大変でしたね。その、ひどい、ひどい、えー…ま、自分もそういう、その何て言うか、あのー、病気になるっていうことは考えられなかったですよね。アルツハイマーっていう、多分まあ、わたし自身が、このー、あの…、わたし、わたしたちが考えていた昔の…考えは、もうこの、こういう、あのアルツハイマーになったらもう何もできないとか、そういうの思っていたわけですよ、わたし自身も。で、それが、あったので、もう自分はもう何も、何もできないという思いを思ったんですね。

認知症の語り

診断がつくまでは妻も戸惑っていたし、このままでは自分もダメになると思った。泣いていてもしょうがない、運動をすれば病気を最小にとどめられるのではと思い、ともかく走った

―― 若年性認知症という診断がついた時は、どんなお気持ちでしたか。

ええ、とにかく、その、病名がつくまではもう、じ、自分は誰かという、こう、自分が分からないっていうね。でー、あの、妻は戸惑っているわけですから、まあそのー、褒められることはまずありませんわね。「どうしたの」、「ああしたの」っていうような、だんだん声が大きくなるわけですね。それを、そのたびに本当、わたしはもう、駄目になると思いましたね。
で、えー、まあこれ、男性ですからね、こんなことをしてたら自分ではなくなると思って。で、わたしはあの、能力はないですけど、運動部出身ですから、ええ、何とかやらんと悪いと思ってね。で、それで走りだした。筋トレをして、走りだした。それはやっぱり、あのー、やる気になりましたね。ま、今でも毎日やってますけど。あれ、気持ちのいいものがありますね。

―― 病名が決まってショックを受けるというよりは、気持ちはもっと前向きな方に、割とすぐ変わられたのでしょうか。

そうですね。泣いててもしょうがないしね。ほんで、ま、さっき申し上げましたように、運動部だったから、その、どうなるかはわからないけど、運動しとけば、あ、最小にね、大きくではなくても、最小の、その、病気になると思ったんです。それからもう走った。

認知症の語り

診断名を聞いて真っ青になった。インターネットで調べても暗いことばかり書かれていて、うつのようになり、もう死のうかとそんなことばかり考えていた(テキストのみ)

―― 最初は脳の病気と思われたということですが、

ええ。何か、どうなんですかね、頭の病気や思たんは思たんですけどね、うん、ええ。

―― 認知症というふうなことはまったく。

まったくなかったです。その、認知症のほうがショックでした、僕、言われたとき。真っ青になりましたわ、あんときは、はい。

―― その、真っ青になったときの気持ちについて、もう少し詳しくお話いただけますか。

いやあ、あのー…はっきり言うと、うつ的になりましたね、先生にも言われましたけど。ええ、もう、人に会うんも嫌やったし、もうずーっと部屋こもってました…ええ…うん、ねえ…ええ。それ、僕、あの、あれですけど、あのー、社協の人で、ま、ここのサポートセンターを紹介してもろうたりして、それまでめちゃくちゃ暗かったですもん。ここ来て、明るくなったぐらいですもん。これ、ほんまですわ、ええ。ものすごく感謝してますもん、はい。

―― うつになって、1人でいらっしゃったとき、どんなことを考えてらっしゃったんですか。

いや、あの…もう、まず何にも仕事ができへん、思いましたからね、そのときに。ほんで、自分でも調べたし。ほな、インターネットで調べても、もう暗いことばっかり書いてあるでしょ。それとか、そのー、まあ…もう、その、迷惑かける話とか、そんなことばっかり書いてますやん。こう、ええ話なんか載ってないですやん。ねえ、考えるいうたらね、もう死のうかなとかね、やっぱ、そんなんいっぱい考えますよ。考えました、めちゃくちゃ、ええ…はい。