投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

介護のほとんどは娘たちがやってくれているが、妻と娘がけんかしないように仲に入って納める役に徹している。みんなが仲良くしていることに幸せを感じる(音声のみ)

―― 今、あの、お父さま自身が、何かお母さまに意識してしていることってありますか、生活の中で。

ない、ない。

―― 何か話をするとか。

うーん、けんかしないように。

―― ああ、娘さんと。

うん。

―― お母さまがけんかしないように、間に入るんですか。

ときどきね。ときどきっていうと、まあ、あんまりわいわいやりだしたら、必ず入る。

―― どんなふうに入るんですか。

うーん、「このばか」ち言って。

―― どっちを「ばか」って言うんですか。

どっちも。

―― どっちも。

どっちもばかだ。

―― ああ、片方だけじゃないんですね。

だめ、絶対に、そんなことしちゃいかん。

―― で、お父さまが、そうやって入ると、…おさまるんですか。

おさまるよ。

―― そう、さすが、それじゃ、やっぱりあれですね。

おさまる。

―― うーん、そうやってお父さん、お母さまと娘さんがけんかするっていう状況は、どういうふうに、あのー、お父さまとして理解しているんですか。

うーん、○(次女)との関係はね、昔からなんだよ。(心理学を勉強した)姉なんかに言わせるとね、2人の仲の悪いのはもうしょうがないと言って。

―― うーん、そうですか、そうやって、じゃ、お父さまが、今、3人の生活の中でコントロール役と言いますか。こう。

ここの3人というよりね、あのー、姉のほうはね、賢いんだよね。どっちも、仲がいいよ、2人、3人とも。うまくころがす。

―― そう……。

うん。

―― じゃ、ある程度、もう、お父さまは、娘さん2人におおかたお任せして、ここぞっていうときに、少しそういう調整したりっていう役に。

うん、そう、そう、そう、そう。

―― 徹しているわけですね。

―― うーん、今、お父さまの生活の中で、あのー、幸せとか楽しみを感じるときってどういうときですか。

うーん、家族のみんながけんかしないこと。みんなが…楽しくやっていることが、一番の幸せ。

認知症の語り

親子3人でタッグを組んで頑張ろうと認知症の両親の介護にのめり込んだ。夫や子どもたちは両親の変化を自然に受けとめ、きりきりしていた私とバランスが取れていたと思う

ただ、あのー、面白かったの、まあ、母もアルツハイマーって分かって、父もレビーと分かった、ある日、3人でこう、タグ、タッグ、こうやって腕組みして、まあ、あの、「私、頑張るから、3人で頑張ろうね」って言ったら、みんなが「うん」って言って、「おう」って言って(笑)、で、私も家族いるけど、もうそのときはもう、また三人家族に戻っちゃって、で、あのー、もう親子で頑張ろうと思って、で、それでやってきちゃったんですね。うーん。
だから、私の場合は、あのー、まあ、父を、すごくお父さんっ子だったので、ちっちゃいときから、だから、父を守りたいっていう気持ちがすごく強かったんです。で、介護をし、しながら、そのー、自分を何、こう自…、どうキープするかとか、実はそういうこと一切考えてませんでした、全く。終わってみてね、本当に、な、ど、どうしてだろうと思うけども、でも、その、今ね、仲間なんか見てると、40代でご家族見てらっしゃる方とか見てると、やっぱり自分の生活の結構、保ちながら、実際、大変だと思うんですけど、自分の生活を保ちながら、その、介護してらっしゃる方って、今すごく増えてきてると思うんですけど、私の場合は、多分、性格的にも、もう完璧にのめり込んで、一切自分のことは全然考えてなかったです。自分のこと、考えるとしたら、その、倒れた、倒れる寸前(笑)、ぐらい。あと、ほとんど倒れてから気が付くみたい、私が倒れちゃったら、これ、すべて、あの、終わりじゃないのっていうのを倒れてから気が付くような、そんな感じで、のめり込み過ぎというか(笑)。でも、まあ、それができた状況だったので、これがもしね、仕事しなきゃいけないとか、そういうことだったらまた、別な道っていうのもきっと探したのかもしれないんですけど、もう父と母すべてに自分をかけ、られるような状況だったから、かけちゃいましたね(笑)。
で、あと、キーパーソンっていうか、私、一人っ子で、決めるのは一人だったので、あのー、つらい部分もいっぱいあったけど、もう、結局、その、そんなことほかにね、振り回されることもなく、まあ一人で決めてきてしまったということが。そんな感じ。
でも、面白かったのが、うちの家族、私の家族は、すっごく、その、父、母の変化を自然に受け止めてて、で、私はもう必死になって(笑)、何とかしたいとか、どうにかしなくちゃっていっつも思ってて、きりきりしてたんですけど、結局、あのー、主人も、娘や息子も、その、自然にそのまま、おじいちゃんの変化っていうのを自然に受け入れてったんですね。で、私に対して、あの、自然に受け入れればいいんじゃないかって言わないんですけど、ほかが普通に接してくれてたので(笑)、で、私が一人きりきりしながら、だけど、それでちょっとバランス取れてたのかなと思って、今は、そう思うんですけど。

認知症の語り

ずっと父の面倒を見てきた母ががんになり、一人娘の自分が介護を引き受けた。母の不在に加え、勝手がわからず、父にとっては大きな環境の変化となってしまった(テキストのみ)

で、多分なんですけど、わたしは、その母が倒れてから本格的に父の介護に参入というか、家族としてはしていたんですけど。ま、分かっていないながらも、母親ががんになったとか、すごく状況が変わったことで、その前を詳しく知らなかったわたしもいけないんですけど。父親の病状が、そこで、すごく進んだと思うんですよね。で、母といたときよりも、わたしと2人っきりになってから、父の病状が進んだねっていうのも、ま、のちのち主治医の先生にも言われて、やっぱりそうだったんだって思うんですけど、やっぱり環境の変化が、わたしが常に、やっぱり、いらいらしていたので、仕事も新しいところで母のこともありっていうので、すごくいらいらしていたので、そういうのってすごく認知症を進ませてしまう原因にどうやらなるらしいっていうのが、もう、全てやってしまっていたので。
そういうのが手いっぱいいっぱいに、どんどんとにかくいっぱいいっぱいになってきて、いつも一緒にいたお母さんがいないっていうことでさえも、あのー、ま、自営業だったんで仕事も2人でしていたので、母と父って、ま、ほんとにずっと年がら年中一緒だったんですけど、それもいなくなったっていうことで、環境の変化著しいし、帰ってきたら娘はいつもぴりぴり怒っていて、「ああしろ、こうしろ」って言うしとか。あとは、母の病院に連れて行ったりもしたんですね、分かってほしいなとか思いながらも。それでも、父にとっては負担…だったのかも、髪をつるつるに抜けた母を見たりしたときは、見、見たら分かるので、ショックを多分抗がん剤でつるつるになった母とか見て、…立ち尽くしたりしていたので。そういうのも、やっぱり心理的ショックを受けていたと思うので、どうやら、そのときすごく進ん…だんじゃないかって思います。

認知症の語り

一人っ子だと諦めがつくし、覚悟もつくし、全部1人だが、かえってきょうだいがいるより楽かもしれない。誰かをあてにするより社会資源を利用した方がいいと思う(テキストのみ)

わたしはきょうだいがいないので、逆によかったって思うんですけど。何か、それは、1人っ子同士の人と話して、何か、もう、逆に諦めもつくし、覚悟もつくし、意見求められないし、逆に意見も言われないし、もう全部1人で解決するんですね。きょうだいいる人とか、また、それで大変…みたいなので。そこは、ちょっとわたしにも分からないんですけど。…何か1人にばっかりとか、要領のいい人は逃げちゃたりとか。と、若いとよりそれが、こう……あるので、難しいんだな。よかった1人でって言ったら。1人が大変って思ったこともあったんですけど。介護においては1人が楽かもって。……もう、1人、もし、家族というか、きょうだいがいる人は、例えば、自分が背負わされてしまった立場に…入ったら、1人っ子だと思って割りきったらどうですかね。……やってくれない人は、やっぱりやらないので、言ったって。…その人をあてにしたり、求めるのはちょっと無駄かもしれないですよね。だったら、社会的なものを利用したほうが気が楽だし、他人のほうが楽なこともあるので、身内に頼るより………。何かどうなんですかね。

認知症の語り

今は93歳の夫を介護できているが、夫が100歳になる頃には自分も94歳となる。そうなれば娘たちも心配だろうが、世話をかけずに、夫婦2人で入れる施設を見つけたい(音声のみ)

うん。今まあ、来月、夫も93ですけども。まあ年齢も知りませんけども、時々いくつになっ、「おれはいくつだ」って言いますからねえ。そうしますと、「93よ」つうと、あ、じゃあもう、100まで、あの、生きられるなあとか言っておりますからね。うん、そうなったときにね、まあ、私が元気ならば、あのー、よろしいですけれども、うーん、よろしいつったって、彼が100だったら、私も94ですからね。そういうときに、娘たちが、お、やっぱり心配でおけないと思うんですよね。そのときにどうするかと思って、考えてますけど、なかなか、あのー、夫婦を2人を預かってくれる施設っていうのは今も少ないですね。
そいで、この間も、あの、2、3日前も、あの、短冊、七夕様の短冊でしょうね。あれに「私と一緒に」、あのー、「いつまでも一緒に暮らせるように」って書いたそうです。うん、それで、うらやましいことだって、あの、ヘルパーさんたちにね、言われましたけど。ま、私、とにかく、あのー、長く老老介護っていいますかね、あの、夫婦で見るには、まあ、どちらを見るにしても、若いときからのあり方が一番作用するんじゃないかと思っておりますの。若いときからね、あの、私どもは割合に夫も、私も、お互いに尊敬し合える、あのー、状態でずっと過ごしていられましたからね。ですから割合に仲もよく、あの、ずっと来ましたから、これからもね、それで、私も、私のわがままをずっと許してくれた夫ですから。あのー、私が見るつもりでおりますから、ま、元気なうちはいいんですけども、まあ、どうでしょう。
あの、うん、どちらか1人になったら、必ず娘が見るといっても、2人見るのはやっぱり大変だと思うんですよね。そのときに、やっぱり娘の家の近くの施設などのほうがいいだろうと思って、あの、娘にも言い、考えてはもらってはいますけど、今なかなか2人を預かるっていう所は、よほどそのね、たくさんの高額のお金を払ってっていうような、ホテル並みのいい所、そういう所だったらあるかもしれませんけどね。それが問題ね。

認知症の語り

病院では先生が丁寧に説明してくれるからありがたいが、専門的なことはわからないので、離れに同居している息子夫婦が一緒に行ってくれる

病院でもね、先生が大変丁寧にね、いろいろ説明してくれますもんですからね、大変ありがたく思っておりますがね。だけど、やっぱり専門的なことはね、あ、私自身があんまりよく分からないですわ。はい。

―― うん。

分からんですけど。まあ、一緒に、あのー、息子も家内も、あのー、嫁も一緒に行きますもんでね。

―― はい。

病院行って。それから、そのときに薬を処方してくれるんですけどね、その薬をやっぱり、えー、の、の、飲ませるのは、自分じゃ飲みませんから

―― うん、うん。

私がちゃんとしてやってもね、飲まんときはやっぱり困りますね。

認知症の語り

娘と介護を分担するつもりはないが、姑が呼んでいると教えてくれたり、姑におばあちゃんと声をかけたり、お母さん大変ねと気遣ってくれたりする娘の存在に助けられた

私は2階だもんで、階段。ほんで、娘がおばあちゃんのすぐ上だもんで。声が聞こえるんだって。

―― あ、娘さんも2階だけど、真上だから声が聞こえて。

うん、聞こえて。「お母さん」とか言って、私を呼んでくれるから、よっしゃ、みたいな。で、下りた。

―― 下に下りてこられて。

そう、そう、そう。あの子がおったもんで、助かった。

―― 娘さんがね。

私、本当よく寝ちゃって、もう起きれんかったと思うよ。はい。

―― そう。じゃあ、介護なさってて、娘さんとご自身との役割分担とか関係性とかは、どういうふうな状況で経過されたんですか。

どうだろう。私は、あんまりこう、よし、私がって全然思ってなかったもんで。とにかく、あの、デイサービスもショートステイも、もう、あの、プロに頼もう、頼もうと基本的に思ってたから。
だけど、彼女(姑)にとっては、一番大事な子なのよ。

―― お孫さんが。

うん。だもん、すごい優しくて、「おばあちゃーん」ってこうやって、声かけるだけで安心してたと思う。

―― ああ。じゃ、そういう精神的な安定の大きな働きを娘さんはした?

何だろうね、うん、だから絶対したと思う、私にも(笑)。「おかあさーん」て、「大変だよね」とかいう感じで、もう声かけてくれるから。すぐキンキンなる人なんだけど(笑)。

―― じゃあ、そういう大変さを理解してくれる方が。

だと思う。

―― いた、娘さんの存在は大きかった。

認知症の語り

介護していても嫁の立場と息子の立場では違うので、夫とは共有できる部分とできない部分があると思う。入所後は余裕ができて優しい気持ちになった(テキストのみ)

うん、たぶん介護してても、嫁の立場と息子の立場では違うんですよね。だから、それがちょっと主人とは、あのー、同じ意見ていうことが、同じ意見ていうばっかりじゃないので、その辺は。うん、でも、自分も自分の親がそうだったらどうかなっていうのを考えると、また主人のことも分かるんですけど。

―― そうですね。

なかなか。うん、うん、そうですね。

―― でも、ご主人とこう、苦労とか共有できる部分と、できない部分とありますよね。

あ、そうですね。それがちょっと、あのー、残念というか、こともありました。

―― そうですね(笑)。

なかなか(笑)。

―― うん、そうですね。

でも、ちょっとこう、入所して離れてると、あのー、何て言うんですか、ちょっと優しい気にはなります、っていうか、自分も余裕ができたので。あのー、あ、だんだん悪くはなってるんですね、やっぱり。あの、前に比べたら、ちょっと…覚えというか、記憶がないようなところもあるので。そういうのが、何、前はこんなこと思わなかったよなっていう、自分の変化にちょっと余裕ができたのかなというのはありますけど。昔はっていうか、ね、それは、あのー、嫁姑じゃないですけど、そういうのがあったんですけど、今はそんなことないような気がしますね。

―― うーん。本当、付いてこられて、ずっと同居なさってたんですか。

あ、ずっと同居してました。

―― そうですか。ねえ、それは生活の中ではいろいろぶつかることもね。

うん、そうですけども。

―― ありましたでしょ。

やっぱり、相手はそんな分からないっていうと、どうなのかな。なので、もう全然そんなことは思ってませんね。

―― うーん。今までにはない、やっぱ感情みたいなのが少し出てきた?

それはありますね。

認知症の語り

母の介護を日常的にしている兄嫁は、デイサービスがあってもやはり拘束感があると思う。母の介護から丸っきり解放される時間を作れるよう、月1回は姉が母を預かることにした

やはり、その、毎日のことなので、例えば週3日デイサービスに行ったとしても、夜はいるわけですよね。で、気持ち的に、気持ち、気持ち的にとか、やっぱり拘束感はあるんだと思うんですね。で、そのことが例えば、その、自由にどっかに行けないっていう思いはあるのかなと思います。
それで、えー、兄嫁があの、少し解放される時間がと思って、えーと、兄嫁がずっとコーラス続けているので、土曜日は、あの、デイサービスの日にしてコーラスは引き続き行っていただいてるっていう方法を取ってます。それと、まあ月に1回ですけど、1回か2回、えー、2泊3日とか、3泊4日とかというところで、えー、姉の所に去年の秋ぐらいからですかね、そういう方法を取るようになって、例えば兄嫁のところの、あの、えー、私にとっては、甥になるんですけど、えっと、次男がしているお店に月に1回夫婦で行くというような、あの、楽しみができるようになって、それはとてもよかったっていうふうに言っていますね。
だから、例えばデイサービスを利用しても、夜間はいるということがありますので、あのー、拘束感はやっぱりあると思うんで、どこかで丸っきり母のことを考えないで済む時間は必要かな、っていうふうに思って、そういう方法を取ったんですけど、それはとてもよかったかなというふうに感じています。

認知症の語り

普段、同居の兄嫁が母を介護しており、姉が通って手伝っている。自分や妹も時々行って世話をする。男のきょうだいも直接ケアはしないが、送り迎えなど協力してくれる

で、家族で、最初のうちは、えっと、長男と兄嫁が、あの、中心になって、そして、えー、次女がお世話をすると。通いながらお世話をする。で、私とか妹が時々行って、という形で、え、体制を組んでいたんですけれど、やはり、あのー、それではだんだん厳しくなってきた。もちろん、社会資源というかデイサービスとかも、回数多くするようにして、なるべく、こう、母に刺激をと、人との交流の中で刺激のある生活を、っていうふうに努めてきたんですけれど、それでも、まあなかなか、あの、介護する側のほうの疲れもあって、えーと、もうちょっと上手なローテーションができないかなということで、今は落ち着いています。

―― あのー、伺っていると、女性の方たちが主に介護されているように聞こえたんですけど、ご長男とか、あの、男性のご家族の方々とお母さんのかかわりはどうでしょうか。

うーん。あの、次男も、えーと、自営業なので、母のところに来たら、あの、戸を開けて声をかけたりとは、とかしてくれてます。で、長男のほうは、えー、そうですね、介護に直接手を出すことは、長男も次男もありませんけれど、例えば姉のうちに母を連れていくとか、例えば母が、あのー、突発的に、うーん、例えばせきがひどくなっているとか、それとか、まああの、おなかを壊しているとかっていう、何かあったときに受診するのには、送迎というか、受診のためのそういう、こう、運転はしてくれますし、えー、姉の所へ連れていくのに、必ず自分が運転してくれたり、まあそういうことは協力的ですね。でも、そこはとても私も微妙なのかなと思うんですけど、母親に対して介護する自分が、っていうのにためらいがあるのか、それとも介護は男性には向かないのか。まあその、兄嫁とか、姉たちのようにはなかなか、あのー、手は出していってないなと。ただ、気持ちがないわけではないんでしょうけれど、なかなか言葉数も少なく、なおかつ、手を出すとかっていうこともないですね。