あとは、やはりその、今、家内になぜ化粧さしてもらってるかというと、その、化粧することによって、家内の、あのー、喜び、ほほえみが出る形が多くなって。で、やはり、それは私が家内に直接、こう、肌を触れあうことによって、家内にはこれ77kgのときの体重のときです。一番肥えてたのは、3年ほど前で。
だから、そういうこともあって、今、家内のお化粧を一生懸命させてもらってるというのと、まあ、家内もほとんど元気なころは、私にだいたい素顔をあまり見せない家内だったんで、やっぱりこの化粧っていうのは、家内にとっては大事なことなんやなということで、えー、お化粧のほうも、ま、半端じゃないんですけど、やはり、いろいろなとこの、その、メーク教室に行かしてもらって、自分なりにメークを勉強したりとか、今、取り組んでいるのは、その、えー、メークボランティアで、まあ、今度また9月11日に行かしてもらうんですけど、その、メークのボランティアの会にも所属さしてもらって、ま、本当に2回目、メークボランティアの…老人ホーム訪問ということで行かしていただく。
なぜ、そういうことをさしていただくのかというと、その、肌が、その方に温かい手をね、差し伸べることによって、その方に、やはりその、変化があると。で、その変化が、やはり私は、この家内から得たことで、それをやっぱほかの方にも通じるのかな。だから、そういうことを、やっぱり私はさしていただいて、で、それが、やはりその病気の方に直接伝われば、そういうことも私には、あのー、家内の介護もイコール、そういう方に病気にはこういうことも大事なんですよっていうことを訴えたくて、あの、自分なりに、まあ、あの、男なりの化粧法を、ま、勉強いたしまして、そういうメークボランティアにも自分は出てきたいなということで、まあ、最近はそういう形でさしてもらってます。
投稿者「dipex-j」のアーカイブ
うん、それと、父の場合は、あの、おかげさんで、逆に言うと、5分ほど前にけんかしたことも忘れるわけですよ。ただ、何となくね、○に何かしらんけど、怒られて気分悪いなって思いは残るとは思うんですけど、○にいつ何を言われて怒られたのかっていうこと忘れているわけ。うん、だからね、あの、女優になっているんです、わたし。わたしは、今、女優よって、お父さんに5分前にあんなひどいこと言ったけど、そんなこと言った覚えないわって感じで、ものすごく優しくできるの。「お父さん、大福食べる」とかね。あの、父が喜ぶ話、もう、父は、こういう話をすると喜ぶっていうのは分かっているんですよ。例えば、あの、山菜好きだからね、山菜採りに行ったときの話とか、山菜の料理方法とか、それ忘れるから何回言ってもね「うーん」って喜ぶんですね。で、その話を、もう、飽きもせず繰り返したり、うーん、だから、今、わたしは女優ですっていう感じで。そういうので乗り切っている。
まあ私のことを今、分かるときと分からないときがあるので、分かるときだと当然、父も自分のことが分かっているので、そのときに話した内容を全部、今メモ取ってるんですよ、ベッドサイドに置いてるんですけど。まともに会話ができたときの話を、じゃあ、昨日はここまでの話をしたっていうのメモ取っといて、翌日とか翌々日とかに父と話をしてて、あの、バチッとこう、周波数が合って、会話がまともになったときに、「そういえばさ、さっきの話なんだけど」って、何日か前の、最後の話の話をすると、「ああ、あれはこうでしょ」って話がつながってくので、これは、ここ1年ぐらいでようやく編み出した技だったんですけど、あ、これなら会話ができると思って、やってるとこですね。
だから、うまい具合に、それで見送っていってあげたいなと思うんですよね。
―― その、つながる話とつながらない話って、何か特徴があったりするんですか。
ありますね。つながる話のときは、もうちゃんと目を見て話をするし。で、あのー、会話の中でも、もう明らかにちゃんとした名詞をパコンって言ってきますし、で、「ああ、そうなんだ」とか、相づちもちゃんと打てるんです。で、ただ、あのー、アルツハイマーのせいでこう、周波数が合わなくなっちゃうと、もう目もどっか、こう、どっかほか見ていて、私の後ろを見てるんですよね。こう、たぶん「何、誰かいる」って言ったら、「うん」ていう話をしてるので、何か全然違うものが見えてるみたいですし。そのときとかは、会話をしても、まあ、あのー、「ふうん」みたいな、こう、どっか見ながら「ふうん」っていうぐらいで、何もつながらない。
だから私たちはたぶん、テレビを見てるときに、何かのこう、ドラマとかがあったら、ドラマの物語があって、間にコマーシャルが入って、続きから始まっても、普通に見てるじゃないですか。でも、父にしてみたら、コマーシャルが入っちゃうと、そこでまったく分からなくなっちゃうんだろうなと思うので。そのコマーシャルの部分を抜いてあげて、コマーシャルが入る前の、最後の話をもう1回してあげると、こっちからまた始まってくという感じなので。まあ、手間は確かにかかりますけど
意欲的に生活の中で、えー、うーん、自分を出せる場をね、うん、するっていうのは大切なのかなっていうのは、うん。でも、できないことを責めてはいけないということで(笑)。ちゃんとこう、頭の中に入れるように。で、わたしは意外と、病気だからといって、こう、あの、怒っちゃいけないとか、そういうふうには思っていないので。うーん、人としてやっぱり、それはしちゃいけないよっていう思ったことは、がつんと怒るんですね。うん。だから、まあ、彼が言うには、あの、「僕を厳しくしてくれて、ありがとう」って何か言うんですね。「もし甘えさせて、そのまましていたら、僕は駄目な人間になってたかもしれないけど、厳しくしてくれてありがとう」って言うこともね、あったりとかするのでね。うん。
でも、それは夫婦関係なんですよね。どこのご夫婦でも、それができるということではなくって、わたしと彼との、まあ、今まで生きてきた、あの、関係であったりとか、今の生活の関係だったり、考え方だったりが、そういったことが、あのー、できるというか、うん。ま、どこのね、ご夫婦でもそうやってできるということではないので、やっぱり病気になっても、自分たちなりの生活のパターンていうのは、こう、作っておくっていうことがすごく大切かなって思うのと、やっぱりいろんな情報が、あのー、入る中で、それを丸のみに、こう、自分の家庭とか、あの、彼の症状とかに合わせてしまうと、無理がいくときがあるんですね。ああ、あの方がやってることがとってもよかったから、ぜひ、あの、うちの主人にやってみましょうっていうふうに、まあ、やってみて駄目で、そこであれすればいんですけど、何か、あの人にできたんだから、あなたもできるよっていうような感じで、パターンで合わしてしまうと、本人に無理がいくので、やっぱり情報を、こう、取り入れたらね、自分の中で、よくこう、噛みくだいて、それをこう、夫婦ん中で生かしていくということをね、わたしはこう、気をつけていきたいなっていうふうには思っているので。やっぱり、自分たちの生き方とかそういったことを、こう、うん、病気、たとえ病気でも、こんなふうに生きたいねっていうことをね、夫婦で話し合っとくっていうのは、とっても何か、あのー、いいかなっていうのは、うん、思いますね。
あのー、やっぱ結局、本人が一番、あの、受け入れるのが大変で。病人になり切れない。今でもね、そうですけどね(笑)。今でもやっぱり、あのー、なり切れないところがありますけどね。うん、うん。やっぱり受け入れるのが一番大変で。その、やっと受け入れた本人を、今度はわたしが受け入れるんだ、また。大変ていうかね、今までの対応ではダメで、わたしが変わらないとダメっていうところがありますよね。
―― その、自分が変わらなくちゃいけないっていうのは、何かヒントがあったんでしょうか。
家族会で、あのー、教わったことなんですけど、「怒らない、ダメと言わない、押しつけない」、それがね、3つの3原則なんですね。ああ、そうか、あのー、彼はそういう意味では病気なんだなっていうことをね、こう、ハッとさせられる言葉でしたね。
―― 普段からやっぱり、その、3つは何気なくやってしまってたことなんですかね。
言ってしまってましたね、やっぱりね。あの、今までの本人のイメージが抜けないもんですから、何でそんなことをするんだろうとか、例えば、何で飛び出、ぷいっと飛び出していくんだろう、あのー、言いたいことがあれば言えばいいのにって、こう、ふっと思うわけですよね。でも、本人は言いたくてもそれを言葉で言えない、そのつらさが、あの、多分出ていくっていう行動で、わたしに何かを言ってるんだと思うんですね。それで、まあ一緒に暮らすにはね、やっぱりあのー、彼を受け入れてるっていうことを態度で表す。受け入れてるんだよって、病気のあなたを受け入れてるんだよっていうことを態度で表すことが、その「ダメ3原則」じゃないかなっていう気がしますね。
先日、えーと、今、京都市美術館でされてはるフェルメール展に、絵の鑑賞に行かしてもらったんですよ。もともと、そういう絵の鑑賞が好きだったんで、絵をもう、えー、日本画描いてたぐらいなんで。そこに行くことによって何か変化がないかなって思ったら、やはり変化があったんですよ。えー、鑑賞に行った翌日は、そのー、絵のことに関してお話をさしていただくと、家内に笑顔が出たりとか、何かをしゃべろうとする意識が出てきたと。
だから、えー、今、そういうことが大事じゃないかっていうことで、なるべく、その、家内が昔好きやったことをもう一度しようじゃないかと。で、今、水泳にまた、この2、3週間前から連れていってますね。ていうのは、それはなぜかというと、歩くことが不完全になってきたんで、やっぱり水の中やったら、十分歩けるんじゃないかなということで、今、あの、プールに、え、1週間に1度行かしてもらってます。そういうことも、やはり脳のいい形で変化、出てきてるんじゃないかなと思う。
―― 先ほど、ご主人から、そういうあの、読み聞かせる落語ですか、そういうのをおやりになってるって伺ったんですけれども、あの、それは何かこう、みんなにやってあげるっていうのは、こう、やるとみんなが喜んでくれる。
あ、それはもう、そうです。
―― で、その喜んでもらえるのがやっぱうれしいなと思って、また一生懸命練習しようと。
そうです、はい。
―― さっき、あの、実際に朗読されてるのを聞かせていただいたんです。
あ、そうですか。
―― うん。このテープで。
ああ、それで。
―― すごいなあと思って。
そうですか。
―― すばらしく上手で、ほんとに。
そうですか。
―― 何か聞き入っちゃいそうな感じで。
あ、うれしい。
―― ほんとにすごいなと思ったんですよ、はい。
そういうのこう、どのぐらいの割合で。あ、うーん、何ていうか、また近々やりなっていうふうに思われます?
うーんと、あの…そういう人、そういう人がいれば。
―― あ、いれば。
そう。そうです。
―― 声がかかれば、そこに向けて頑張って。
そうです、はい。はい。
『まんじゅうこわい』。“きょうは町内の若いもんの宴会だ。どうせ暇だからって言うんで早くから仲間が集まりまして、みんなでわいわいやり始めました。話題はといいますと、それぞれに自分のきらいな生きものを言い合おうじゃないか、ということになりました。
「おれは何と言ってもへびがきらいだねえ。あんなにょろにょろした生きものがいるだけで、ぞおっとするよ」。「おれは、たぬきだ。何でも、おばけになって出てくるそうじゃないか。まだおばけには会ってないけど、おばけはごめんだねえ」。「おれは、くもがきらいだねぇ。あのべたべたした糸の気持ち悪さったらないねえ」。「やっぱり、こうもりだよ、こうもり。けもののくせに、ぴらぴら飛びやがって、気味が悪いわい」。「おれは毛虫がきらいだあ」・・・。”
今は思ってることは、あの……。あの、うち、病気以前から地域の中でボランティア活動やってたんで。あの、読み聞かせの、落語絵本っていうのがあって。読み聞かせをやってたんです。朗読絵。それを、病気になってからも今やってます、少しずつ。
ちょっと見てね、言葉の何か記憶をよみがえらすみたい。だから、行を追ってないんですよね、今はまったく。だから、最初のこの絵と、絵と文字の雰囲気で、今何を読むかっていうのが、何か思い浮かぶみたい。みたいです。頭が分かる、何となく分かるんですって。だから、「実際は読んでない」とは言ってた、最近はね。読んでないんですって。そういうのがあります。
で、去年はまあ何回か、大きなとこでもやってみた、やったんですけども、今年もまあ2回ぐらいやったのか、ちょっと大きいとこで。それで、だんだんと大きい所はやっぱ難しくなってきたんで、今度はあの、一応ボランティアの方がいて、そういうことをやってるボランティアの方がいて、一応話をしてみたら、あの、子ども向けの、障害者向け、障害者が集まるような、子どもが集まる所があるんですって。そこに行ってやったらっていう話になって、そこで今度やろうかなっていうの、思ってます。
―― 付けて出られるのは安心ですか。
これ。それはそうです、はい。これがあると、こういうふうに分かるでしょ、私だっていうこと。そいで…これがないとちょっと、ちょっと怖い。もしかしたら、私何かあの、あの……これみたいに、ちゃんとして、しておいてくれれば、あの、私はあの、楽々っていうか、何か。
―― ご自分が病気だっていうことと。
そう。
―― それから、住所とか連絡先が書かれて。
そうです、そうです、はい。それがないとちょっとね……困ります。
―― あると安心して、さっきのお友達と会いにも行けますし。
はい。そうです、そうです…。そうです、はい。