投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

妻が一人で外出して、道に迷ったりスーパーで他の人のものを間違えてバッグに入れたりしたときに助けてもらえるようにと、名前や症状を書いたカードをつくった

これはあの、買い物、スーパーに買い物に行ったときに、あの、やっぱり物を探すとか、買った物が自分の物であるかどうかっていうのが、やっぱり判別が難しくなったときに、やっぱ、つい人の物を、あの、自分のバッグに入れそうになったとき、何かあったらしいんですって。あの、買い物したときに、テーブルの中で整理するじゃないですか、自分の買った物をバッグに詰めるときに。で、違う人もやっぱりやってる、テーブルに出してると、区別がつかなくなってくるときがあるんですって。自分の買った物なのか、人の買った物なのか。そのときに、やっぱり自分が病気だから間違うかもしれないってことを、やっぱり分かってもらうために、この札を下げるようになりました。
一人で、あの、行動することが多かったんで、これがあるとやっぱり、何か道に迷ったとか、何か困ったときに、やっぱ助けてもらえるために、やっぱ自分があの、普通にすると、病気にやっぱ見えないんで。自分で、やっぱり病気であるっていうことを、やっぱり分かってもらった方が行動しやすいってことで、一応、ぶら下げながら、一人のときはやってもらってました。

―― それは、ご自身の提案ですか、それともご主人の。

私が作って、で、相談して、「これを作ったけど、ぶら下げてほしい」っていうことを言って、それで納得してくれて、やってます。
だから、結構まあ、役に立ってます、これは。

―― 外出のとき、自分でぶら下げるのを忘れられるっていうことは、それはないですか。

あんまりなかったですね。常にあの、玄関にぶら下げてあるんでね。あんまり、習慣にしてあったみたいで。で、私と一緒のときは、これぶら下げないんです。自分一人のときだけですけども。だから、これやっぱり、ほかの人が何か、何だろうなと思って、何か見るらしいんですよね。そういうのはあります。
これも作ったのは3年前です。やっぱり、いろんなことの障害が顕著になってきたのは、やっぱ3年前ぐらいからで。デイに、料理も3年前から、それから、ヘルパーさんを使い出したのもやっぱ3年前からです。

―― 3年前というのは、発症から4年。

4年、4年後。4、5年、4年後ですかね。3年前、そうですね。丸4年たったころからです。

認知症の語り

夫は退職後も擬似通勤を続けることで、規則正しい生活を維持できている。通勤途上で出会う人たちや車窓から見える山の姿も活力を与えているようだ (音声のみ)

あの、今まで、サラリーマンをやっていたんですよ。だから、サラリーマンって通勤をすることが、すごく、規則正しい生活の訓練になるじゃないですか。なので、多分、わたしを送りに行かなければ、1日寝ている話になるかもしれないんですよ。で、わたしは通勤するので、同じ時間に起きて、規則正しく朝食を食べて、そうすると、必然的に薬をきちんと飲みますよね。だから、そういう規則正しい生活をするために、一緒に送ってもらって通勤をする、あの、擬似通勤をするっていうのも一つ工夫なんですよ。で、外に出ると。そうすると、いろいろ、いろんな人が、あの、毎朝会いますので、そういう人たちと、こう、何とかみて、あ、きょう、こうだねと。で、電車に乗って、あの、実は、うちの通勤電車って富士山が見えるんですね。で、富士山すごい好きなので、ま、あの、電車の窓から富士山を見て、「きょうは、見えるけど、あの、ちょっとかすんでいるね」とか、「きょうは見えないね」とかいうことを、やっぱり、自然をみて感動したり発見するっていうことで、やっぱり、訓練になると思うんですね。意識的にそうやって、外に出したり、規則づけるようなことを日常の生活に入れるように工夫をしています。

認知症の語り

チラシを折り紙にしてゴミ箱を作ってもらったり、洗濯物をたたんでもらったりと、ちょっとしたことでも本人にとって役に立っているという思いにつながる

うちの母ちょっと手の震えもあって、手の使い方がちょっと、割と力入らないので、あれなんですけども、よく折り紙、折ってもらったりとか、あのー、ごみ箱ですね、チラシでごみ箱を作ってもらって、「これ私すごく助かるから、あったら助かるから、これ折ってね」って。ちょっと折れてないときもあるんですが、全然開かなくなってるときもありますけども、うん。そしたら、あのー、自分も何かちょっと役に立ってるかなと思ってるみたいで、それはちょっといい、良かったかなと思うんですけど。
で、ちょっと、あのー、「私、自分の分、茶碗洗うわ」って言うんですけど、まあ、じゃあ自分の分だけでも、じゃあ洗ってね、できることあったら、じゃあ自分でやってもらうようにしてるんですけど、何か全部、私も全部、手出して、「あんな、いいっちゃ、いいっちゃ」とかって言いやす、言い、言い、言っちゃうんですけど、うん。「じゃあ、これお願い」、「洗濯物、たたんでね」とか、それ、うん、「じゃあたたませて」みたいな感じで、そういうところをちょっと役に立ってもらうのもいいと思います。

認知症の語り

脳梗塞のあとは父の幻視やせん妄も規模が小さく可愛くなって、自分も慣れて来たので父と一緒に幻視を楽しめるようになった

それで、あの、父のほうは、まあ、脳梗塞の後、ある程度復活はしたんですけど、やっぱり身体的に動きは非常に悪くなって。で、それまで振り回されてた幻視とかせん妄も、こう、規模が小さくなって。うん、「そこに池があるぞ」とか言って、「コイがいるから釣る」とか(笑)、何かかわいい幻視とかせん妄になってきて。で、そのときには私ももう慣れてしまったので、父と一緒にその幻視を楽しんでしまったり。で、一緒になって見えないけど、こんなものが見えるのかもと思いながら、あの、何か父がこうやって手振ってるので、「誰か来たの?」って言ったら、「誰それが来た」って言って。やっぱり会社の関係で「部下の誰それが来た」って、「あっ、そう」って。「何か寒そうだから(笑)、寒そうだから、何かコートを着せてやんないと」とかって父が言うんですよ。「コート持ってきてやんないと」「ああ、じゃあコート、どのコートにしようか」とか、一緒になって楽しんでたら、何かふっとその幻視は消えちゃうらしいんですけども。そうしたら父が、「おまえ、何言ってんだ?」って(笑)。私が「どのコートにする?」って言ったら、「おまえ、何言ってるの?」って(笑)、「何でコートが要るの?」とかって(笑)言われたりね。あの、こっちがちょっと「えっ」と思うようなこともありましたけど、まあ、その、そういうのも何か楽しみながらね、レビー小体と言われつつも、だんだん楽しみながら。

認知症の語り

父のお気に入りの椅子に誰かが座っていて気持ち悪いからどうにかしてくれ、といわれたので、塩を置いてお浄めをすると翌朝「現れなかった、よかった」と言っていた

で、次の、また次の数日たって、そして、父のお気に入りの大きい椅子があったんですけど、「あそこにいつも誰か座ってる」って。「気持ち悪いからちょっと見てくれ」って。で、「知ってる人?」ったら、「全然知らない人」って。「だけどね、いっつも来て座ってるね」と、「男の人が座ってる。あれ、どうにかしてもらいたい」って言うんで(笑)、それで見に来たけど何もない、誰もいないんですよ。それで、あれっと思って。
で、また今度は、何か女の人がそこにいるとか、いろいろ。うちの場合は人が多かったんですけど、人が来てるって。で、私も、何だって、もう全然分からないから、じゃあ、もうとにかく何か、あの、お塩で、「お塩を置いてお清めするから、今日はお塩を置くから」って言って、小皿にお塩をいっぱい盛って、あっちこっちに置いて、それで父に、「もう置いたから大丈夫よ」って言って、そして父に寝てもらったら、翌朝、父が、「いや、現れなかった、何も来なかった」って、「ああ、よかった」って言ってて(笑)、あれっと思って。

認知症の語り

父がある日突然、娘である自分に向かって「あなたは副社長だ」「娘は嫁に行ったはずだ」と言い出した。20分ほどの出来事だったが、私がショックで寝込んでしまった

ある日、父がこう、かしこまって座ってて、私が声を掛けたら、「自分を、振り回さないでください」って言うんですよね(笑)。で、「お父さん、何言ってるの?」と。そして、それまでは私のことちゃんと娘だと理解して、その日まで、いつも普通に親子でいたわけなんですけど、そこから突然、その、……「自分を振り回さないでください」って。「な、何言ってるの?」って言って。「あなたは一体誰なんですか」って私に向かってまじめに言うんですよ、初めて会った人みたいに。そして、今度、ちょっと、「お父さん、どうしたの」って、「私のこと、分かる?」って言って、「見える?」って言ったんだけども、やっぱりこう、目がどこかうつろっていうか、どっかに行っちゃってる目をしてたんですね。で、「お父さん、見えるの?」って言ったら、こう視線をそらすんです。自閉症の人、…の方みたいに。あの、こう、…目、視線を必ずそらすんですね。
それで、おかしいなと思いながら、でも、こっちはちょっとびっくりしたので、「どうしたの?」って、まあ、「私よ」って言っても、あの、「あなたは副社長だ」とか言いだして(笑)。「どこの会社の副社長?」って言ったら、自分の取引先の今までの、会社の名前を言うんですね、いろいろ。で、「えっ、違う」って言ったら、じゃあそこの、あの、副支店長だとか言いだして、「いや、違う」って。で、あの、「私は娘だ」って一生懸命言い張ったんだけど、全然分からなくて。
そして、主人を呼んだんですよ。ちょっと急に、その、分からなくなったんで。で、主人を呼んだら、その、「お父さん」って主人が声掛けたら分かるんです(笑)。…何かそこでね、あの、すっごく大変なショック受けて、…まあ、皆さん、そうなのかなと思うんだけども、親が子供を分からなくなったっていう瞬間。うーん、そこが、あの、もう本当にね、ショックで。それで、私が「あれ?」と思って、じゃあ、主人のことは分かるんだと思って、それで、「じゃあ、孫の名前は?」って言ったらちゃんと言うんですよ。で、「娘は?」って言ったらね、言わないんですよ。で、今度、子供たちもやってきて、「おじいちゃん、どうしたの?」って。で、まあ、あの、父は孫たちのことは分かるから、普通に話してるんです。そして、娘が、「じゃあ、この人誰だか分かる?」って私を指して、そしたら、父が「分かんない」って。「あらー?」と思って(笑)。で、それで、娘が「おじいちゃんの子供だよ、娘だよ」って言って。言ったら、…あの、「えっ?」て、「何でここにいるんだ。嫁に行ったはずだ」って。……で、しばらくしたら、そのせん妄が解けたのか、ふっと戻った感じで、で、「ああ」って(笑)言ってくれたんだけど、その、まあ、20分か30分の出来事だったんですね、ずっとしゃべってて。だけど、それがすごくショックで、その日、私、寝込んじゃってね(笑)。こう、うーん、分からなくなる、もう親が分からなくなってしまったって。だから、そこで、初めて寝込んで。

認知症の語り

レビー小体型認知症の人は、いきなり後ろから声をかけられると驚いて抵抗することがある。それが施設では「不穏」とされてしまうが、正しい対応をすれば問題はないはずだ

レビー小体型認知症の方が、あの、デイサービスとか、いろいろ施設を利用するようになって、ところが、施設のほうでは、その、なかなか対応しきれないといって、お断りされてくることが多いんですね。で、それが、あの、要するにやっぱり、レビーの方の心の、その…、心のもとっていうか、本音? あの何、本人の思いっていうのを、やっぱり受け止め切れてないっていうか、理解できないんだろうと思うんですけど。「もう反応がないから分からない人」っていうふうに、たぶん施設の方たちは思ってて、そこにその、例えば声掛け一つにしても、まあ皆さんに普通に「何々さん、あっち行きましょう」とかって言うのかもしれないんですけど、今、その、突然声を掛けられると、割とびくってするのも、まあ、ほかの方もそうかもしれないけど、レビーの方は特に強いんですね。あの、神経的なものというか、神経が張ってるっておかしい、緊張してるのかな。
だから、あの、声掛け一つにしても、正面から行って、ま、何でも同じ、アルツでも同じですけども、正面から行って、声を掛けたり(すればいいけれど)。で、そういうことをしないで、ポンと肩をたたいて、「さあ、あっち行きますよ」っていうふうなこと、まあ、日常茶飯事されてると、そこで、レビーの方はやっぱり「何で?」って、「今、何でここで声掛けたの?」とか、「理由が分からない」とか、そういうことで今度は抵抗が始まるんです。すごい、あの、苛立ちとか。そうすると、ほとんどの施設で、「不穏」だとか、そういう扱いを受けてしまって、あと「暴力」とか。で、それで、「もう断ります」ってなるんですけど、実はレビーの方は、きちんと説明されると、で、納得がいくと、ほとんど、…あの、理解できるので、あの、何も問題はないんです、本当は。

認知症の語り

最初は幻視を否定して闘って疲れていたが、夫婦で一緒に確認して「ぽん」と手を叩くおまじないで幻視を消せるようになり、本人にも動じない気構えができてきた

最初は、あの、虫とか蛇とかでも、「何が、どこ、どこに」って。こっちの視点で、そんなのあるはずないっていう視点でやると、接点がないので、闘って疲れてたんですね。そうだ、と。相手目線だっていうところで、あの、受け入れるとか、受け止めるっていうのももちろんしたんですけど。そのうち、ないものはないし見えないので、受け止めも受け入れも、何かね、それすら不自然になってきちゃったんですね。で、何をやったかっていうと、じゃ、一緒に確認しようって。で、「蛇が」って言ったら、「どこに蛇がいる?」って、「一緒に行って退治しよう」って、一緒に退治することもしたし。そばに行って、「じゃ、触ってみましょう」って。
で、彼が触ったり、私が触ったり、「危ないから、かまれるから」とか言うと、「じゃ、私が触ってみるね」って手を出すと、「あれ、いなくなった」って。確認をすると、「あ、それってじゃあ、僕だけだったのね」ってこと、何度も繰り返すうちに、動揺しなくなってきたので。「じゃあ、気持ち悪いの消しましょう」で、わが家では「すっきり、さわやか、元に戻った。せーの、ポーン」って。この音と一緒に消すんですね。今のなし、みたいな。今までの不安も心配も、見えてたと思った虫や蛇もなし。で、すっきり、さわやか、元に戻って、平常心に戻りましょうっていう。潜在意識の活用でもあるんですけど、やっぱり気持ちが「ない」と思えば「ない」。思いが形になるっていう言葉があると、思いの中のものが消えると、現実は消えるっていうことの応用ではあるんですけど。「すっきり、さわやか」って言ってるうちに、「あ、消えた」っていうことが増えてきて。そのうち、「ポーン」て言うだけで「元に戻った」って言うし、反復って、わが家でのおまじないは結構、いいですね。だから、そうそう、何か最近、あれ、ポンと音がしたなって思うと、自分で、あの、ベッドの、このシーツのしわとかがウジャウジャいるって、一時期大騒ぎしてたのが、何回もポン、ポン、たたいて「消えた、消えた」とかってやってましたから。
お皿の上のパンくずも、フレンチトーストに切り替えたんですね。そうすると、パラパラ落ちないので、しっとりしたまま口に入れるわけですよ。だんだんおまじないと、おまじないは、あの、いろいろなところに応用し、食べ物に関してはカサカサしたものじゃなくて、しっとりしたものに変えるだけで、ずいぶんと改善できました。そのうち、経験値で動揺しなくなり、そして、まあ、あの、抑肝散っていうお薬も、主人の場合は3週間目くらいから、穏やかになってきたので、それも味方だねって。いろんな味方が増えてよかったね、よかったね、よかったねを繰り返す中で、動じない、あの、気構えが本人の中にも出てきたって感じですかね。

認知症の語り

夫はカプグラ症候群が出ると、私を偽者だと思って「うちのやつの洋服を勝手に着て」と言って大声を出したり、大股で歩いて追いかけてきたりする

それから、カプグラ症候群ていう…私以外の偽者っていうんですか、どうも複数出てくるんですよ。で、特に夜とか、夜中とかなので、ちょっと振り向きざまに「どっから来たんだ」とかですね。「うちのやつの洋服、勝手に着て」みたいな。侵入者だ、偽者だと思ってるから、排除しようとするんで、当然手が出るし、追いかけられるし、ぎゅっとつかまれるし、はねのけられるし、で、痛い思いをするわけなんですよね。で、「私だよ、私だよ」って言えば言うほど、「なりすまして!」みたいな。そのときの大きな声と、大きな力と、「こんなに動けるの?」っていう、すり足だった、あの日常はどこに行ったのっていうくらい、大股で階段もどんどん、どんどんできるし、すごいですよ。
だから、怖い、痛いもあるんですけど、あの、奥のほうで、「こんなにできるんだ」っていう可能性にうれしい気持ちも表れたり。あ、泣きながらとかね、つらい思いしながらも、可能性に触れたときの希望の喜びとか、何かすごい、何かこう、ジェットコースターのように(笑)、1つの場面で過激な心模様が入れ替わりしてるんですね。

認知症の語り

夫は、誰もいないソファに向かって話しかけたり、今日は15人来ているがおかずは足りるかと聞いたりする。こぼれたパンくずが虫のように動いて見えてトーストを食べられない

えー、椅子とかにこう、洋服をほいっと、こう、掛けとくと、それが人に見えて、知らないおじさんとか、子どもとか。それから、何かいろんな複数の人が現れるようになって。で、私から見ると、ですよ、ソファに向かって「どうしたの、どうしたの」って。「もう日暮れだから、あの、お母さん心配するから、おうち帰りなさい」って、それは小っちゃい子どもを諭すような言い方なんですね。かと思うと、「何だよ、人んちに勝手に入ってきて」って、また別の椅子に向かって言ってるときは、説得してるんですよ。「勝手に人のうち入ってくるんじゃない」って。「帰ってくれ」って言ってるときもあれば、そのうち、壁に向かって、「皆さん、今日のミーティングは」って言い、何か演説してる感じなんですね。で、あるときは、こうやって呼ぶわけですよ。「どうしたの?」、したら「あのさ」って、「今日、15人ぐらい来てるんだけど、おかず足りる?」とか言うわけですよね。
本当ね、形を変えて見間違う誤認から。それから、動いてない物が動くので、壁のシミも虫だし。お皿のパンくず、こう、トーストした後、パンがこう、割ったりとかするとパサパサと落ちる、あの、パンくずがお皿の中で何十匹も動いてるように見えると。「もう虫がうようよいる。食べれない」って。「ああ、だからトーストは食欲が(出)ないんだ」と思ってね。食生活から日常から、いろんなところで、ま、幻視のあれこれが起きるようになった。