しょっちゅう取っ組み合いの、もう最終的には、父もちょっと麻痺があるので、口がもごもご、しゃべりたいことがすぐしゃべれないっていうので、手が出ちゃうんですね。で、まだ50代だったんで、力が、…片方は麻痺があるからいいんですけど、麻痺がないほうの手は普通に力があるので、そっちでつかまれてしまうと、もうどうにも…殺されるっていうか、いう感じなので、もう、とりあえず、つかまれれば水をかけて、ちょっとこう、手を離したすきに逃げる。逃げるというか攻撃するというか。で、こっちもパニック症候群だったので、そういうことをされると、もう倒れちゃうんですね、過呼吸になって。でも、今度、父は、わたしが水をかけたもんだから、倒れているわたしに水をかける、頭の上に水をかける。うん、そういうのが、「何で父親、今、こんな大変な状況に何をするんだ」っていう…。こう、頭ひっくりがえっているのに、頭を蹴られたりとかして、もうやめてとかっていう感じで。
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たぶん、対応がうまくできなかったっていうの、大きかったと思います。もう母親も、手が出たりとか蹴られたりとかっていうことがあったもんですから、父親とこう、接する機会が少ないといいますか、うーん、優しくなれない…っていうのがありましたし。私たち娘は3人いたんですけども、3人とも外にいましたけど、姉たちも帰ってきては「認知症なんだから、優しくしないといけないんじゃない?」っていうことを母親に、姉が言ったことがありまして。それを母は今でも言いますけど、「優しくなんかなれない」と。「なれるもんなら、あなたがしなさい」ということでした。その気持ちがまた、父親に伝わってったのもあったのかもしれないな、と思います。
町の中のデイサービスなので、同じような年代というか、その、同級生であったり、上級生であったりとか、顔を合わせるらしくって。その、子どものときに気にくわなかったとかいうのが、ま、母の話ではそうじゃないかということで、その人の顔を見ると、何かけんかをしに行くとかっていうこともあって。同じデイサービスを利用しているのもどうなのかと思いましたけど(笑)。
―― 現実、何か暴力で怪我さしたっていう事実はあったんですか。
お、お茶をかけてしまうとかっていうのはあって、叩いたりとかはあったみたいですけど、怪我をさせたっていうのはなかったみたいなんですが。その、ヘルパーさんに、来ていただいたときも、お迎えに来てもらったりとかするときも、気にくわない方と、お気に入りの方がお見えになったらしくって。気に食わない方は叩いたりとかがあったりとかしたり、病院に入院してたときも、点滴のチューブを抜いてしまったりとか、それを止めようとした看護師さんを叩いたりとかっていうのあって。で、また、その看護師さんからも、「今日もお父さんに叩かれました」(笑)とか、ヘルパーさんも「叩かれた」とか「物をぶつけられた」(笑)とか言われるんで、私たちは、いつも何かこう、謝ってばっかりいましたね。
えと、その、大きな音とかに反応しまして、あの、道路に近い家なもんですから、車が、大きな車が通ったりとかしたりとか、あと、隣の方が、音楽を鳴らしてこう、車で戻ってきたりとか、そういう音に反応して、ときに、怒鳴りに行ったという話を聞いてます。
―― うーん、「うるさい」っていう形で、こう。
そうだと思いますけどね。
―― 苦情を言いに行くような感じなんですかね。
何か、うーん、苦情を言いに行く…そうですね。あのー、苦情。
―― 苦情っていうよりも、もうとにかく怒りを。
怒鳴りに行ったという感じですね。
―― うーん、そうですか…ま、もともと、こう、怒りっぽい性格ではあったけれども。
そうですね。そのー、そうですね、理由がなくっていうことはなかったと思います。誰かとこう、やりとりをしていて腹が立ったっていうことはあると思うんですけども、外からの、その音とかで、飛び出していくっていうことはなかったですね。…
あとは、その、失語があったものですから。ふだんのちょっとした、こう、バンって、こう、怒ってテーブルをたたいたりとか、物を投げたりとかってするのは、言葉がうまくしゃべれない、イライラなのかなというふうに思っていたんですけれど。やっぱり変に思ったのは、そうやって、そのー、何もなかったのに、近所に怒鳴りに行ったっていうことが一番、私の中ではおかしいなとは思いました。
実際に一緒に暮らしてた妹は、まあ、すごく大変だったみたいで。仕事から帰ってきても、家に入れてもらえない状態とか、そういう状態があったみたいで。特に、やっぱり、妹と、その再婚した義父とのことを、いろいろと、ま、嫉妬心ていうのもあるみたいなんですけれども、あったりとかもしたみたいで、実際にはそういうのが本当にないんですけども、やっぱりそういう、勝手に思ってしまうのもあって、まあ、妹を家に入れなかったりとか、そういう言葉で、妹に対して攻撃したりとか、したこともあったようで。で、結局は、しばらくして妹は家を出ることになったんですね。
―― あの、お母さまの、その嫉妬心ていうのは、誰にどのような形で、向けられるんですか。
それはもう、周りの人みんなだったと思うんですよね、たぶん。何かそれっぽい感じがあると、もうそういうふうに思っちゃうとか、うーん。例えば、あの、飲みに行ってた所とかがあったみたいで、義父とですね。そこのお店の、働いてる従業員の人とか、そういうことがなくっても思ってしまったりとか、うん。
あと、実際に存在しないんですけども、実際に、あの、付き合ってる人がいて、で、子どもがいてっていうの、もう勝手にもう作っちゃってて。で、「そんなのはいないよ、そんな人」って言っても、「いやあ、分かんないんだよ」ってって、「絶対いるんだから」って言って。そう、で、「鍵まで作って」とか、もうすごく具体的なんですね。「鍵もある」とか。
で、それはもう、病気になってからしばらくしてだったと思うんですけれども、それはもう今はないですけども、嫉妬心は続いてて。うん、こっちが本当に、聞いてて嫌んなっちゃうんですよね、だから。ずっと言ってるんで。しかも、実際にないことなのに。実際にない人に対して、そういう思いをずっと、あの、思っちゃってるわけですから、何かそんなふうに思ってて、かわいそうだなっていうか。
それでもやっぱり、なおかつ病気は進んでいくということで、ちょっと、2002年に診察受けたときは、母も勤めてましたんでね、ちょっと大手の会社の総務で。で、私も勤務してて、(妻は)1人でここで、生活してるのが多くて、それが、まあ、1年半ほどあって、やはり、その、言ってることがもう、妄想とか、変な人が来たとか、お金盗まれたとか。で、ごみがここに、ここのうちのガレージにごみがものすごく集まってたりとか。私はそのときに、その病気がそういうことを起こすと分からないから、「誰や、こんないたずらした」いうんで町会に怒鳴り込んでいったんですよ。だから、それはひょっとしたら家内の、ごみを持って行ったはええけど、ごみをまた持って帰り、ほかのごみを持って帰ったりして、それ何度かしてたんやと思いますね。だから、そこを私、見てないし、近所の方も何も言ってもらえないから、結局、そういう、ごみだめのような形になってましたね。
ご飯食べに行ったときも、何かあのー、お魚のね、あの、お味噌汁っていうんですか、こう、頭から何から入ったのあるじゃないですか。そういうの大好きだったのに、お店からそれが出てきたらね、こんなもの入れたのをね、売るのかってすごく怒るんですよね。で、自分で作って食べてたでしょって思うんだけど、で、それはね、あの、何で怒ったかって後で考えたら、何て言うんだろう、上手に食べられなくなっちゃってたっていうか、うん、て。骨をね、しゃぶったりとか、そういうふうにしながら、あのー、ね、上手に食べてたのに、そういうのが何か、あ、どういうふうに食べるんだろうって、たぶん戸惑っちゃったんだと思うんですよね。
で、病院に連れてっても、もう病院嫌いだから、何かすごい怒る一方なんですよね、うん。そういうことがあって、そう、そのー、何て言うのかな、腫れ物に触るような時期っていうの、ありましたね。
―― 期間にすると、どれくらいの長さでしたか。
そうですね、あの、東京にいる、うんと、母が東京にいるとき、連れてきたとき、うーん、3、4年はありましたね、うん。だけど、努めて、あの、そういうふうに、もう、いつ怒り出すか分からないんですよ。うん。それでできるだけ、あの、いつも一緒にいて、うん、ていうことを心がけるようにしてましたね。
何かあのー、飲みに行ったり、ご飯食べに行ったり連れてっても、何かあの、機嫌が今まで良かったなと思ったら、急にそこでね、カラオケ歌い出してきた、歌い出した人がいたら、急に怒って「帰る」とか言い出したりとか。うん、そういうことは山ほどあったんですけど、うん。
あの、一番やっぱし困ったのは母親のときですね。で、父親がとにかく、あの、父親に対してこう、暴力的な言葉を吐いて。で、あのー、「ちょっと寄り合いに行ってくる」っていうことを言って出てったのに、あのー、「そんなこと聞いてない」って言って、ものすごい剣幕で怒ったり。で、そういうことがあるもんですから、あと、隣の人を泥棒呼ばわりしたり、こう、近所づきあいがちょっとぎくしゃくしてしまって。で、父親がしょっちゅう、わたしの所に来て、愚痴を言うわけです。
で、うちにおってもね、夕方になるとね、「お父さん、うち、うち、帰ろう」って言うじゃない。「ここ、あんたのおうちだよ」って言うけども、分からんわけね。で、まあ、夜中なんかよく言ったね。そんで私は手つれて、わざわざ真夜中にずっと歩いて。ま、しーんとしていますわ。それで、ずっと回ってうちへ連れて帰って、「うちへ帰ってきたよ」って。そうすると、それが、多少言わなくなるというか、そういうこともよくありましたね、夜中に手つれてね。