投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

たくさんの食材を使って調理しようとすると疲れて座りこんでしまうこともあるが、夫にきちんと食べさせなくてはいけないという役割意識は強い(音声のみ)

まあ、複雑なことが、なかなか少しずつできなくなってきますので、あれを使ってこれを使って、同時進行で、あれもしあげてっていうことは、もう、ほとんどできないですね。

―― 料理は、元気な人がやっても、段取りが悪いとね、前に進みませんものね。

そう、わたしが、もう、ほんとに、ほんと、料理が、わたしも同時進行って苦手なんですけれどもね。で、母を見ていると、それでも一生懸命やってくれているし。うん、で、途中で、こう、あまり、こう、材料とかたくさんあると、「分からなくなってきた」って言って、ふらふらふらってなって、どたっと、こう、椅子に座りこんでしまうんですね。うーん…だから、あまり、こう、材料をたくさん買ってこないこと、ようにして、何が、どこにあるか、もうすぐに分かるように、分かるように、…あの、あまり、こう、…たくさんの食材を使って作るようなものは、おかずは作らないと、そういうふうには決めてやるようにはしていますけれども。まあ、毎回、毎回、そういうふうにはいきませんけれども、それでも、自分で作って続けていますから。ほんとに偉いと思います。

―― 何かご自分の役割っていうのを、意識しているんですね。

意識しているみたいですね。あと、あのー、自分の夫に、ちゃんと、食べさせなきゃいけない、病気なんだし、長生きもしてもらわなくちゃって感じで、その意識は、とても強いみたいですね、はい。……。

認知症の語り

厳格だった父は娘の前ではいいところを見せようとしてかえって混乱するので、父の視界に入らないようにして見守りタイミングよく手伝うようにしていた

でも、やっぱり現実の、今までのその、厳格でまじめな父が、いざ、やっぱりアルツハイマーになりましたってなると、今までさんざん着てたYシャツの着方が分からないとか、ズボンも後ろ前というか、裏返しにはいちゃうだったりとか…ね、こう、今まで当然にやってたことが一切できなくなっちゃう姿って、見ているこっちもつらいですし。で、本人も一生懸命、こう、シャツをどっちが表か裏か、上下かも分かんないので、「あれ、あれ」って言いながらやってて、その後ろに私とかがいると、娘のいる手前、早く着なきゃっていう、いいところを見せなきゃ、みたいなところがやっぱりあるみたいで。急げば急ぐほど、どんどんおかしなことになってっちゃってとか。
だから、父が着替えるときとかは、私たちはわざと見える範囲にはいるんですけど、父の視界に入らないような所に立つようにして、で、父が、自分でやるだけやるんだけど、どうしても、もう疲れたとなると服投げちゃうので、そのタイミングで、すっと行って着せてあげるとかして、極力、本人の自尊心を傷つけないようにしてあげなきゃな、とは思ってますね、今でも。

認知症の語り

正常圧水頭症の夫に「あなたはこの家のどういう存在ですか?」と聞かれ、「赤の他人の口うるさいおばさんだと思ってた」といわれた(音声のみ)

でも今は考えると、やっぱり10月、去年の10月が一番、おかしかったですね。「あんたは誰だ」って言いましたもの。そして、「あなたはこの家のどういう存在ですか」って言われました(笑)。それで、「あなたの奥さんでしょ」って言いましたけどね、そういうのがちょっと分からなかったりしましたね。そして、まあ娘も心配して毎日来てくれましてね。そんなことを聞いて、「お父さんはそれじゃ、お年、ご自分はおいくつ?」って言うと、「50か60だろう」って言いましたね。それで、娘が「自分が50、60と思ってるから、そばにいるおばあさんは自分の奥さんとは思えないで、だから、よその人だと思ってるのよ」なんて言いましたけどね。
それから、もう1回やっぱり言いましたね。あの、「あんたは誰だ」って。ほいで、「奥さんよ」って、「じゃあ、いったい誰だと思ってたの」つったら、「よその赤の他人の、口うるさいおばさんだと思ってた」って言いました(笑)。ほいで、ああ、口うるさいと思われたんだなと思って、反省しましたけどね。

認知症の語り

母は意識がはっきりしているときは、自分のもの忘れがひどいことに気づいて、長生きしてもみんなに迷惑をかけると落ち込んでいた

―― あのー、例えば、何度も電話をされるとか、同じ物を買ってこられるとか、そういうことが分かったときに、あの、お母さまはそのことをどういうふうに受け止められていたと思われますか。

その時々によって違って、まあ、最初はもちろん否定していましたし。ただ、そのことが、あの、意識が明瞭っていうか――まだらぼけみたいなところは多分あったんだと思うんですけれど――あの、はっきりしているときはやはり、その、自分が同じ物を買ったりとか、同じことを、聞いたりとかする…そういうもの忘れがひどいということに気がついて、すごくショックを受けて、そして気落ちする。そして何かこういう状況で人に迷惑かけるんだったら、長生きしてもみんなに迷惑かけるっていうことで落ち込むことが多々ありました。
まあ母が、かわいそうだなって思うのは、あの、これは認知症で、その、食事をしたこと忘れたりとかって、それから、その、お金の管理のことがどうなってるのか心配になったり、ということがあるので、そこの部分を例えば、今日の夕飯、行ったときにお昼一緒に食べて、「夕飯の準備はしてくれてる?」、「買い物してくれてる?」、「あれ買ってきてくれてる?」っていうふうに心配しないといけない。そういう母がちょっと、とてもかわいそうだなっていうか、気の毒だなと。そういう先に対する不安をなくすように、「夕飯はお姉さんが準備して持ってきてくれるから大丈夫よ」っていうのを、えーと、1、2回言っただけでは、あの、落ち着きませんので、繰り返しそれを質問したりとか、確認するので、何度か言ううちに、「あ、お姉さんが作ってくれるのよね」って言って、「よく頼んどいてね」っていうふうに、あのー、ま、変化していくと。ただ、その過程の中でそういうふうに不安に思うっていうことは、まああの、何、何と言うか、切ないかなというふうに思います。

認知症の語り

時間の感覚が飛んでいる妻は、週2回のデイサービスの日がわからず、毎朝午前3時ごろに出かける支度をする。「行くときは教えて上げるから」と言ったら安心した

最近毎日のようにね、3時ころになると、時間がちょっと飛んできたね。時間が飛んできて、3時ころになると、あのー、支度をして、あのー、「デイサービスが迎えに来る」と言って、自分で支度をして、かばんを持って、靴出して待ってるんですよ。だから私がいるからね、ああ、始まった、またやってるなと、そう思って黙っていて。時にはしかることもあるけども、「今日なんか来ねえんだ」と。
だから、おれがカレンダーに丸つけて、こう、大きな丸つけて、あんの。で、「おまえの時計に日付が出てんだろ」と。「だから、それ見れ」と。「あ、そうだね」と言うけども、そんときは、あの、そう言ってみても、すぐ忘れる。だから最近ね、困ってるんですよ。3時ころになるというと、支度してね、あの、玄関で待ってるんですよ。…それで、あの、ケアマネに、あの、施設のケアマネにね、こういう状況なんだが、まあ、おれもこういう方向でいろいろやってるけども、あんた方のほうで何かいい方法ねえかということでやったら、じゃあ毎日、あの、土日休んでね、あの、週、毎日来たらどうですかと、こういう方向で話もあったんですよ。
で、本人に言ったらさ、「そんな、毎日行かんでもいい」と。「じゃあ、行かんでいいならいい」と。「じゃあ、おれの言うこと聞いて」と。「おれが、行くときはちゃんといついつか言うよ」と、「今日行くよと、朝になって行くよと、夜になって明日は行くよと言うから心配すんな」と。「いやあ、そうしてもらえばありがたい。おじいさん、そうしてくれ」って、「私これで安心して眠れる」と。

認知症の語り

大学教員の夫は休職して、社会とのつながりがなくなったら、目に見えて言葉が出にくくなり、会話が成り立たなくなってきた(音声のみ)

大学を休職するまで、去年の、えーと…そうか…結局、今年の初めから、えーと、今年の1月から休職っていう形に、結局なっている状態なんですけれども。授業をずっと、ま、少なからずやってたときはやっぱり、あの……あんまり、そう、さほどこう、変わるようなことはなかったんですけども、やっぱり大学行かなくなってからは、何か目に見えて…何か社会とのつながりがなくなったっていうのが…大きいんでしょうか。あの、言葉がね、出にくくなってますね。だから…そうですね。大学行かなくなってから、話すのがちょっと、えっと、主語述語の、主語が抜けて…思いを先に言っちゃうので、何のことを言ってるのか分からないときがあるんです。
だから…さっきも話してたんですけども、「ピザ食べたから」って。そのピザ、何でピザなんだろうという、どこでどういうふうにしてピザ食べたのかって、その、内容が、思いだけ、言うので、何のことを言ってるんだろうというので、全然理解ができない。最近、特にそうなんですけども。えーと……自分の一番、強く残ったことだけしか言わないんですね。だから…話が全然分からなくなっている状況ですね。

認知症の語り

ボランティアに行っていた介護施設の職員から妻が字を書けなくなっていると言われ、家で便箋に書いた文字を見てみたら四角の升の中に収まっていなかった

それから、もうしばらくしたらね、今度ね、あの、今度字を書けなくなった、いう話。というのは、あの、皆さんで習字の、もう、しよういうことで、そん中で、一緒にやってもうてんけども、「奥さん、よう、字書きはりへんかったよ」いう話が来たん。「えっ、そうですか」言うて、それはないやろ思て、ほんで家帰ってからね、もう家内がずっともう、家帰っても、そう仕事がないもんで、ずっと自分で、こう、自分の名前とか住所とか、いろんなことをね、こう、便せん書きにずっと書いとったんですよ。それが残っとったもんで、えー、見たんですよ。
そしたら、その自分の名前、○いうのがね、もう、ばらばらなんですよ。もう形になってないの、うん。音と訓がもう、こうの、こうなってんです。「お母さん、これ、おかしいわ」いうて、うん。「これはちゃんとな、この四角の升にはまらなあかんねん」言うて。「あ、そうか。あ、そや、そや。おかしいな」言うて。ほんで、また自分で書いてみたんですよ。ほな、やっぱり、こうなんですよ。ほんでね、「お母さん、違うで」。ほんで、こう、四角の枠を作ってやってね、ここに書く、はまらなあかんねん、ちゅうことで、うん、言って。言って、升を作ってやっても、同じように今度はみ出るんですよね。「えっ」と思って、うん。いうことから始まってて、ちょっとやっぱりおかしいな思て。うん。

認知症の語り

夫は月に1回、家族と一緒にカラオケに行って歌っていたが、次第に字幕が追えなくなり、そのうち字幕がどこにあるかもわからなくなったので、行くのをやめた

それと、あの、家族で月に1回、カラオケに行きました。歌うこともいいっていうの、今は音楽療法はやってますよね。確かにいいと思うんです。それで月に1回、娘はもう結婚してましたので、月に1回帰ってきて、あの、一緒に外食して、で、カラオケ行ってっていうのを、それもう2年半ぐらい続いたんですかね。
で、初めは上手に歌ってたんです。でも、次に今度は、あの、字幕を追いかけられなくなるんです。だいぶ遅れていくんですね。で、そうこうして、でも最後、歌うんですよ。で、長女が「お母さんが一緒に歌ってあげたら」って言うんですね。で、そうすると主人は「嫌だ」って言うんですよ。だから、そこだけ自尊心あるんですね。だから、あの、自分でやろうという。それでやらせ、やって行ってたんですけども、その、今度遅れてるだけじゃなく、字幕スーパーがどこにあるかが分からなくなる。で、「ここに字幕スーパーあるよ」って、こう、押さえていくけども、それもだんだん難しくなってきた。そこで、あ、もうカラオケ行くのやめようっていうので、やはりそれも2年半ぐらいでやめたんですね。

認知症の語り

以前は母が警察官だった父の給料が安かったという愚痴を繰り返すのが嫌だったが、次第に父のことも忘れて法事にも行かないと言うようになったのはちょっと悲しい

次は父のことで、警察官だったんですけども。警察官はね、給料が安くてって。もうその話の繰り返し、繰り返しで。で、わたしは最初はね、何か父も苦労して、仕事してね。あの、それこそ夜も寝ないでっていうかな、そういう終戦直後でしたから、そういうことで、あの、一生懸命やってきて、もう66歳になった途端に亡くなってしまったっていうか、そんな感じだったので。で、その父をけなしてることになりますよね。だから、すごく最初、嫌だったんです。うん。でも、あのまあ、病気だ、だよねって思って、だんだんそういうことに対して、うん、あのー、理解、理解っていうのかな、せざるを得ないですもんね。
で、大丈夫になってっていうことが、いろいろ次々と起きて、うん。その次は、あの、あれなんですね、今度、お父さんとお母さんが元気かっていうことにすごく関心持って。で、1つ1つそういうことを言わなくなって、うん。で、父のことに、父じゃないや、あの、わたしの父ね、のことに関しては、あの、亡くなった後ね、何回忌とかいうのがあって、「一緒に行こう」って言ったんですけども、何か…そういうのね、あの、「法事に行ったらお金かかるから、あんた1人で行っといで」いう感じで。で、「だって、あの、喪主はお母さんだよ」って言っても、「知らないよ、そんな、近くに行ったから、ご飯作ってあげただけ」とかね、父の(笑)。ええっ?!みたいな(笑)。だんだんそういう感じになって、忘れてってるんですよね。うん。そういうのはちょっと悲しいなと思いましたけど。

認知症の語り

若年認知症の夫はある日突然セーターやシャツを着る順番がわからなくなり、ネクタイも締められなくなったが、今日は一人で締められたので本当に嬉しそうだった

あの、夏場はまあ、Tシャツなど、こう、1枚着るだけでいいんですけども、冬場になると、セーターやシャツ、何枚か着ますよね。そうしたら、いつも、あの、置いておくと、まあ、ぱーっと着てたんですけど、ある日突然、どれを着ていいか分からない、1番に。「えっ?」とか思ってですね。あの、そうすると、彼が「僕はあのー、どれを着ていいか分かんないので、あの、ハンガーに番号を書いてくれ」って言われたんですね。んで、ハンガーに1、2、3っていうふうにそれぞれ書いて、えー、そこに、着る順番に服を、こう、掛けておいて。で、ちょっとはそれで着てたんですけども、今度、その、1番、2番、3番とか、ちょっとした瞬間に、そのハンガーがちょっと、2番が落ちたりとかすると、もう分かんなくなっちゃうんですね。前まではそれが、こう、分かっていたのに。だから、本当に急に、何かこう、本人にとってその状況がぱっと変わってしまうと、うん、あの、受け入れられなくなってしまうことがね、そういったことがあったりとか。
何が起こってくるかっていうのは、何か全然、予想が、あの、できないんですけども。でも、でもですね。できるようになる時もあるんですね。急に今度は突然、以前できなかったことができるようになったりとか。で、今日もそうだったんですけど、ネクタイが、36年間締め続けたネクタイが、ある日突然できなくなったんですよ。「えっ、ちょっとこれ、何かおかしくない」とか言って、言うので、「ああ、ちょっとここ違うね」って言って、もう、もう、その感覚がもう、ずれてしまうと、もうできないんですね。だから、まあ、ネクタイとかも、頭よりも、こう、手で覚えてるんですけども、その感覚がもう、ちょっとずれてしまうと分かんなくて。もうずっと、わたしが、こう、ネクタイをこうしてあげてたんですけど、それがまた、今日突然、わたしが「ネクタイするよ、あと、わたしがね、こうしたら、ここに、首に、こうかけたら、わたしがあとするからね」って。ふと、わたしがこっちで何かをしてる間に、「どう」って見せてくれて。ばっちりできてたんですね、100%。「すごいじゃない」って言ったら、「そうやろ、やればできるんだよ」っていうのがね、本人の中で、もう自慢、もう、ほんとにうれしい顔でね。