投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

年を取ってみんながみんななるものじゃないが、病気と思えば仕方がない。結構優秀な人でも認知症になるというから、凡人がなるのはもうしょうがない(音声のみ)

年取ってもね、しっかりした方いっぱいいらっしゃるんですからね、みんながみんななるわけじゃないから、まあ、病気だと思えば、しかたがないかなっていう感じですけどね。何か防げることがあったらね、予防的な何かがあればいいなと思うんですけどねえ……。結構、優秀な方たちでも、認知症でっていうか、話も聞いたことありますからね。だから、優秀な方がならないとは限らないんだなという感じもありますけどね。凡人がなるのは、もうしょうがないっていう感じ(笑)。

認知症の語り

認知症という言葉を聞いて、この先、人に迷惑ばかりかけるようだったら早く死んでしまいたいとも思った。生きていくのに色々と理由付けを考えた(音声のみ)

やっぱりね、認知症という言葉を聞いたときだけ、最初はもうすごいショックでしたからね、何か他人事みたいに思っていたのがね、自分がそうだって言われるとね、じゃ、この先、どうしょうかしらっていう感じでね。こういう、何か、みんなに迷惑かけたりなんかしたらどうしたらいいのかしらって。で、それから、そうかといってね、自分で努力しても治らないものはね、しょうがないなとか思うんですけどね。
だから、まあ、精密検査っていうのは、もう一番最初に、あのー、○○大(大学病院)でやってもらって。で、それから、もう2年ぐらい経っているのかな。だから、ことしまた行きましょうって、娘も言っているんですけどね。でも、どの程度ね、あの、進んでいるかというのを診てもらうの。わたしも、それが知りたいなと思っているんですけどね。だからね、忘れたということは、自分もあまり気が付かないんですよね。何か、自分に直接関係があることでないとね。だから、人から言われなきゃ分からないから。でも、人から言われると、それはそれでまたショックですしね。またやっちゃったなんて。……。

――その何か、あのー、認知症って言われたことに対して、すごいショックだっておっしゃったんですけども、それ、何となく受け入れられたっていうか、まあ、それはどのぐらい時間が必要でしたでしょうか。そんなに時間とかじゃなく。

いや、すごいそれはショックでしたからね。まあ、認知症っていうのは、すごい嫌な言葉でね、私聞いたときはね、すごいショックでしたけどね。でも、もう忘れたって、忘れるっていうことは事実ですからね。じゃ、これを忘れないようにするのにはどうしたらいいのかなっていう感じはありましたけどね。でも、まあ、……だからって、このまんま、どんどん進んでいって、人に迷惑ばっかりかけているようだったら、もうね、早く死んじゃいたいわって、それはありましたね。最初のうちはね。
だから、ねえ、だから、もう自分で何か生きて行くのに、何という、理由づけというのか、希望をね。これがやらなきゃいけないからっていうようなことを、自分でね、考えれ、考えればいいのかなとかって、そんなことも思ったりしてね。だから、とりあえずは、もう犬がいるから犬のためには、絶対、わたしは、ここでのびて、ね、何か挫折していたら困るし。で、あと、謡いはやりたいから、あれはしなくちゃって。まあ、そうやって、自分でいろんな理由づけをしてね。したのは確かですけどね。……だけど、みんな自分のためにしか考えていませんけどね(笑)。娘たちがどう思っていたか知りませんけどね。

認知症の語り

食べたこと自体を忘れるぐらい進んだ人が認知症で、自分はただのもの忘れだと思っていたが、初期でも認知症というのだと言われてそうなのかと思った

――一番最初に自分が認知症だっていうのは誰から聞きましたか。

…んーまあそういうのはなんとなく聞いた。

――なんとなく聞いたときにどんな気持ちに。

そやけども私はあのー…認知症ちゅうと大分か進んだ人が認知症やと思ってたんですけども、最初から、ほで、今聞いた話では何か「最初から認知症ちゅう言葉やに」って教えてもらった。ほやで、あの…認知症って自分で最初は思ってなかった。認知症ちゅうのは大分か進んだ人の言葉やちゅう思ってたんですけど。で、何か進んでくるとあの自分の食べた事も忘れるぐらいの人はまああれで、途中で気つけ…が付くような人はそうひどくないっちゅうのは何か聞いたことがあるもんで……何か思い違いしてたんかなっと思うんですけど。

――最初言われた時は自分は認知症じゃないっていうふうに。

まあ思って、ただの物忘れやって思ってた。

――今は自分の事は認知症だって思えますか。

思えます。

――最初は思えなかったのが思えるようになったのは、何かどういうこうきっかけとか何かあったんですか。

きっかけじゃないけども、最初から認知症やっちゅ言葉教えてらったで、ああ自分も認知症やなと。認知症ちゅうとそのほんとのもう、あのご飯なんかも食べたんも忘れるの、そういう人は認知症やと思ってたんですけど。

認知症の語り

診断直後は奈落の底に突き落とされた状態だが、そこにサポートが何もない。どんな小さなものでもよいから希望とともに病名を告げて欲しい

診断直後ですね、…診断されたときに、あの、ただ、病名を告げられて、で、まあ、わたしもそうですけれども、皆さん、もう、何かもう奈落の底に突き落とされたような状態で帰宅するわけです。で、…そこにサポートが何もない、相談するところもない、あのー、ま、どっか探せばあるかもしれませんけれども、あのー、……そこにサポートはぜひ必要だと思います、…はい。
本当に、…絶望しかないですから、何の希望もないですから、あのー、そこに精神的なサポート…っていうか、あのー、診断、診断された直後に、わたしは、その病院に、先生が診断した直後に、ソーシャルワーカーでも看護師でも誰でもいいですから、ちょっと別室に行って、で、あのー、「大丈夫ですよ」って、あのー、「ま、病気ではあるけれども、…元気に暮らしてらっしゃる方たくさんいらっしゃいますよ」とか、ひとことでもいいので、そう伝える…人間が絶対に必要だと思いますね。……絶対に、その、「はい、認知症です、さようなら帰ってください」っていうのは、もう、その、その帰り道に…自殺しちゃったっておかしくないような…ことですので。それは、本当に真剣に考えて病院も、あのー、……何か…そういう対応、そんなに難しいことじゃないと思うんですね。ひとことでいいので、…例えば、…何かパンフレットを作って、…それを渡すでもいいですし、何か希望を、どんな小さなものでもいいから、希望と一緒に、診断しないと、あのー、あまりにもひどいと思います。

認知症の語り

抗認知症薬を貼った時には焼印を押されたように感じた。「幻視が見える」という私を誰が普通の人間と思ってくれるだろう、そう思うととてつもなく孤独だった

ただ、そのー、…まあ、最初に(リバスタッチパッチを)貼ったときは、…ま、高齢者は背中に貼るの(を)、わたしはこの辺(胸のあたり)に貼るんですけれども、…最初に貼ったときは、…何か、認知症っていう、何か、焼印を押されたような…感じがしまして。……何か、誰にも見られたくないなっていう…あのー、別に、わたしは、認知症に対して何の偏見も持っていないと、自分では思っていたんですけれども、……やはり、認知症っていう、その認知症っていう言葉は、……非常に重たいですね。…あのー、ま、結局、その誤解されているからなんですけれども。……その言葉、…うーん……何て言うんですかね、もうあなたは終わりですみたいな、そういう………あのー、感じがすごく…ありましたね。

ま、自分は認知症なんだと思ったときに、あのー、どんどん、進行するしかないんだって。どんどんどんどん何もできなくなっていくんだ。……で、…わけが分からなくなって、家族を苦しめるんだ。…そして寝たきりになって死ぬんだ…っていう、……それを、……乗り越えるという、受け入れる、受け入れるとも違う。……うーん…ま、何と説明したらいいか分からないんですけれども。ま、だから、そのー、薬は効いて体調はよくなったんですけれども、……まず、…あのー、誰にも話せないと思いましたね。…話せない。「わたしは、認知症です、わたしは幻視を見ます」って言って。誰がそれを理解してくれるだろう。…誰も、「わたしは幻視が見えます」って言って、……誰が…わたしを普通の人間って思ってくれるだろうっていうことは、すごく思いました。

………で、何ですかね、まあ、言えないと思っている。しばらくそうだったんですけれども、そのときというのは、そのー………とてつもなく…孤独でした。あのー……何か、こう、自分で、……渓谷に、何か平均台のような細い……、台というか橋というかがあって、すごく深い渓谷に、…そこを1人で歩いているような、そういう感じがしました。…で、しっかりしなくちゃいけないってずっと思っていたんですね。ちょっと気を、気をしっかり持って、…自分さえしっかりすれば、何とかなる。歩いて行ける。大丈夫…って、こう自分に何度も言い聞かせるんですけれども、でも怖い(笑)ものすごく怖いんですね。で、…もう足がすくんで前に出ない。あのー、怖い……でもしっかりして、……進まなきゃいけない。何かそういう感じがしていました……。

認知症の語り

最初にもの忘れに気づいて進行を遅らせる薬をもらおうと受診したときは、100引く7の計算もでき、3つの言葉も覚えていたので、薬を出してもらえなかった

はじめにおかしいなと思ったんは人の名前を「あの人会社におった人、なんという人やったかいなあ」とそれが思い出せないもんで、ちょっと変やなと。初めにそれが気づいたんですけど、それからこうどこへ何かをしまったのに「どこへしまったかな」ってことが忘れるようになったもんで「おかしいな」っちゅうのが一番最初に気付いたことです。それで…何か薬が遅らせるのがあるとか聞いたもんで、検査してもらおうって、出していただけたらと思って検査しに行ったんですけども。
行った所で「あんた一人で来たん?」と言われたもんで、「えっなんでこんな近くで」とは思ったんですけども、それで検査してもらって、「100から7をずっと引いてって下さい。」と言われたもんで、それがずっと計算ができて「ほうえに(そんなに)できるやんか」って言われて。それから3つの言葉を…あの「覚えといて」っちゅう言われて、でほかのことで雑談しといて後で「3つの言葉何やった?」って言われて、それもちゃんと覚えていましたもんで。
それから何か紙に「好きな事書いて」って言われたもんで、まあ教養のある言葉でも書こうかなって思ったんですけども(笑)、まああの…「たくさんお金が欲しいわ」(笑)って書いて、でそれをあの渡して、で雑談しとって、後で「何て書いた?」って言うたもんで、「お金がたくさん欲しいわ」って書きました。「誰でもな」って、先生笑ろうて見えたんで。それでまあほかの事も全部言えたもんで、そのときは薬もあの出してもらえやんと何もそのまま帰ってきたんですけども。

認知症の語り

同じ病気の人から勧められて、自立支援医療を申請して薬代の負担が楽になった。障害年金も申請したらいいといわれ、自分も他の人に勧めたいと思って申請したが却下された

――あの、介護サービスとか、何か公的なサービスみたいなことを受けてらっしゃる?

あの、サービスは受けていません。はい。ただ、その、同じ病気の方から、会ったときに、……障害者手帳とか、医療支援、自立医療支援とか、あの、障害者年金の話を聞いて。で、その方は、もう、その、診断と同時に「こういうものがありますから、取ってください」って、「申請してください」って、何か病院から言われて申請したと。で、「あなたも申請しなさいよ」っていうふうに言われて。それまで、あの、あることは知っていましたけれども、その、申請するって、全然考えてもいなかったんですけれども。
で、言われて…申請しました。で、確かに、その、自分が働けなくなって、で、なおかつ、結構な薬代がかかったので、これが一生続くのかと思ったら、かなり気が重くなっていたんですけれども、あのー、その自立支援医療だと、ま、…だいぶ、楽になるんですね。それが、ほんとに、あの、……気が楽になったというか、あの、お金の心配はあまり心配…しなくていいっていうのは、…とても助かりましたね。
で、…あと、年金。ま、障害者年金で、彼女も、あのー、「障害者年金?」って言ったら、彼女が、「いや、わたしは働いているときでも、とったよ」って言って。で、その「ソーシャルワーカーから、あなたは病気で働けなくなったんだから、当然もらう権利がある。だから、もう、堂々と胸を張って申請しなさいって言われて、で、わたし、障害者年金もらっているよ」って言われたんですね。で、まあ、ちょっと抵抗はあったんですけども、でも、わたしも、じゃ、同じ病気の人がいたら勧めたい。…あのー、うん、「申請したほうがいいよ」って。で、「わたしは、申請しなかったけど」っていうのも、何か説得力がないので、何か、何かそのためにも、「じゃあ」って思って、申請したんですね。
で、結局、あのー、却下されたんですね。ま、理由は分からないですけれども、却下されて。で、…あのー、…でも、……それは、ちょっとほっとしましたね、却下されて。うん。ていうのは、ま、働けないのは働けないんです。その、そういう体調ではない。もう、働くことは無理です。……でも、…でも、何ていうのかな、…ねえ、そんな……お金をいただくのもおこがましいという気持ちもあるので、ま、却下されたときは、「あ、よかった」って、…思いました。はい。

認知症の語り

調子の良い時にはパートで働き、調子が悪くなるととんでもないミスをして、結局辞めてしまうということを繰り返した。本当に情けない人間になってしまったんだなあと思った

6年間、あのー、わたし、うちにこもっていたら、この治るものも治らないと思って、あのー、こう、人と接することがいいんだと思ったので、あのー、パートの仕事に就いたんですけれども、あのー、それでも仕事が覚えられなかったり、…あのー、……調子が悪くなると、ま、体もつらいんですけれども、とても注意力がなくなって、とんでもないミスをするんですね。で、自分、自分でも、ほんとに全力で精一杯やっているんですけれども、あのー、ほんとに……不注意なミスをして、…で、何ていい加減な仕事をする人だっていうふうに、職場の人から思われて、上司からも叱責されて、…あのー、で、結局辞めてしまうっていうようなことを、あのー、繰り返していました。で、辞めてしばらくうちにいると、また…よくなるんですね。また、こう、健康になったような感じになるので、あのー、うちに、うちにいてもいけないと思って仕事に就いて、また辞めてということを6年間繰り返していました。
で、あのー、自分では、その…何とかうつ病を治したいと、もう、強固に思ってまして、もう、……よさそうなことは何でもやりました。ヨガもやりました、呼吸法をやったり、リラックス法をやったり、あのー、…認知行動療法のようなものを自分で本を読んで実践してみたり。もう、何でもやりましたけれども、で、どれも、まあ、ある程度効果はあったんですけれども。……やっぱり、ずうっと、あのー、…調子よくっていうふうにはいきませんでした。で、自分では、…あのー、ほんとに情けない(笑)人間になってしまったなあと思っていまして。…もう、何か自分が信用できないというか、…ま、ほんとに、わたしが、もう、…何か、…もうどうしょうもない人間になったんだなっていうふうに…思っていました。

認知症の語り

介護に苦しむ人が集まる家族会に参加して自分の症状を話している、という同病の女性の、「理解してくれなくても知ってくれたらいい」という言葉が自分を変えた

あの、友達にも多分理解できないだろうって、そんな幻視が見えるなんて、理解できないだろうって。で、そのときに、あの、…同じ病気の人と…話がしたいってすごく思ったんですね。同じ病気の人なら、…この気持ちを分かってくれるだろう。…で、あの、何か必死になって探しました。……で、…とても難しかったんですけれども。
でも、何とか1人の方と会うことができたんですね。で、ちょうど、わたしと同じ世代の…女性だったんですけども、やっぱり、その方も、あの、全然パーキンソン症状もありませんし。あのー、何時間話しても、全く、病気とは分からない。わたしと同じような方でした。……。で、その方と会ったときに、……あ、ほんとに救われたんですけれども。やっぱり、同じ苦しみを…味わって、同じ恐怖を味わって、……あの、…でも、その方ほんとに、あの、一生懸命、…何か、前向きの、わたしよりも一歩も二歩も…前を進んでいる方で。
何か家族会に出て、自分の症状を話してらっしゃるとか……言ってらして。で、わたしが、その……「この病気のことを言って、…理解してもらえますか」って言ったんですね「誰にも理解してもらえないんじゃないんですか」って言いましたら 「理解してくれなくてもいい、知ってくれたらいい」って「こういう病気があるんだ。こういう病名があるんだって、そういうことを、そういう人がいるんだっていうことを知ってもらうだけでいいんです」っておっしゃったんですね。
それは、ほんとに、あの、……わたしを変えましたね、その言葉は。あ、そうなんだって。「理解して…もらおうって思わなければいいんだ」って。あ、そうかって。わたしは、その一言で、わたしも言っていこう、…親しい人から順に…わたしの病気を伝えていこうと思いました。で、また、その方、家族会でお話されているって言ったので、わたしが、そのー「つらくないですか」って聞いたんですね。ていうのは、要するに、ネットとか見ても、…レビーの…家族がいて、こんなに苦しい、こんなにつらい、こんなに大変だって、ね、介護活動だって皆さん書いてらっしゃって、…あ、わたしもそうなるのかって、わたしが、その…加害者になるのかって…思っていましたから。その、「そういう話を、聞くのはつらくないですか」って聞きましたら、あの、……「それでも、わたしはわたしの症状を分かってほしい。症状を分かってほしいというか、彼らの、理解が深まっていくように、彼らがより深くレビーを理解するように、わたしはお話する」っておっしゃいました。……で、ほんとにすごいなと思いましたけれども。あ、そうなんだって。そうなんだ。…言わなければ分からない。……そうなんだ、…言っていかなくちゃいけないんだって…何かすごく思いました……。

認知症の語り

レビー小体型認知症は、右肩下がりに悪化していく病気ではない。副作用が出ないように慎重に医療を受け、明るく笑って過ごせばすごく改善する。希望をもって欲しい

私も、…この病気を診断されたときには、あの、何の希望もなくなったと思いましたけれども。あのー、それから1年数カ月ですけれども、わたしの症状はかなり改善していますし。ですから、この、…この病気は、あのー、右肩下がりにどんどんどんどん悪くなっていく、どんどんどんどんいろんなことができなくなっていくという病気ではないんですね。適切な治療、…慎重な…薬の副作用が出ないように慎重に慎重に、あのー、…医療を受ける。あと、適切なケア、ストレスがかからないような、そして、こう、あのー、自分の健康を管理、あのー、……健康であるように気をつけて、食、食にしても運動にしても、いろんなこと、生活に気をつけて、そして、あのー、……楽しく明るく笑って生活していれば、すごくよくなりますから、あのー、ほんとに改善する、薬よりも改善しますから、だから、あのー、希望を持って、絶対にそんな絶望的な病気ではありませんから、あのー、…希望を持って大丈夫ですから、あのー、……ねえ、この病気と一緒に…うまく付き合いながら、あのー、慢性病みたいなもの、糖尿病とか…そういうのと同じですから、そう思って、あのー、生活していっていただきたいと思います。