主人の場合は、こう、決まった生活がありまして。病気の特性らしいんですけども、何時に起きて、どこに行く。で、主人の場合は、万歩計を付けていまして、手帳に全部、1日の歩数をつけていて、…最初はドライブによく行っていたんですが、ちょっとドライブも危ないかなと思い始めて。わたしも同乗していたんですけども、1日中一緒に乗っているわけにもいかないんで。主人の日課は、午前中がドライブで、あとは、一ぺん家に帰って散歩に行き、フライドチキンを買ってきて、ビールを飲みながらその資格を取る勉強をする、DVDを観ながら。で、また、夕方、ちょっと散歩に行って寝るという、そういう生活がもう、定着していまして。ただ、今、ドライブはもう止めさせようと思って、鍵を取り上げているので、車には乗れないんですが、その分よく歩いているんですね。
投稿者「dipex-j」のアーカイブ
8月に父が急に肺炎をおこして、3日ほど入院して亡くなってしまったんですね。8月のお盆のころが命日だったんです、ちょうど3年前ですけども。で、主人は――それも症状の一つなんですけど―-父親が危篤だというのに、資格を取る勉強をずっとしていまして。あの、暇さえあれば問題集や教科書を、あっちこっちで出していたんですね。で、父親が、危篤で入院しているその病室でもその問題集をずっと開けているというのは、どうみてもやはりおかしかったなというのがありますね。
ほかに、そのとき感じたそのおかしさというのは、例えば、ずっと甘いものが嫌いだった主人が、何にでもポン酢をかけるようになった以外に、甘いものをとても好きになっていたんですけども。父親が酸素吸入マスクをつけられて眠っている横で、主人は甘いお菓子をばくばくばくばく食べながら勉強しているって、それも、ちょっとわたしから見たら異様な光景だったんですね。で、3日間の入院中、看護師さんたちから、「誰かが泊ってください」と「部屋についていてください」っていうときに、わたしはまあ、泊まろうと思いましたけども、主人は、「僕は帰る」と「帰って勉強するんだ」と。
家の前が三叉路で車道と歩道に分れていないんですが、ごみの収集所になっていまして。そこがすごくごみが散らかっていて、カラスが来たり、その辺のところを非常に主人は憂いて、きれいにしていこうという中で、規則を守らない人がいて、特定の人が。そこにこう、手紙を書いたりクレームをつけたり、それがどんどんエスカレートしてきてしまって、そこの人からいろいろクレームがついて、うまく言えないんですけども、問題行動になってしまったんですね。あの、抗議しすぎ、いきすぎっていうんでしょうか、手紙を書きすぎたというので、調べられてしまったりで、迷惑防止条例に触れるんではないかと。…ただ、主人は、そのときに「僕は、何も悪いことをしていない」と「正しいことをしているんだ」と。はっと我に返って、葛藤を生じるっていうところがなくって。で、平気だというので、ちょっと調べてもらった。「病院に行ったほうがいいんじゃないか」ということを言われて。それで、直接わたしが病院に連れていったのが、4月の終わりごろでしたかね。そこで問診で言われたんですね、「ピック病ではなかろうか」と。
どうも幻覚が見えるらしいっていうことに、母と私も、もうそこで腹を決めて。もう家じゅうに、そこに虫がいるぞとか、あと、「泥棒が入ってきて、そこに座ってるのに、何でお前たちは警察を呼ばないんだ」とか、あとは、自分、やっぱり父にしか見えない敵がいるんだと思うんですけど、それに向かって、その、自分のついてる杖で、わあって殴りかかったりとかしちゃうので、そうすると、どうしても、あの、父にはたぶん何かが見えてるんですけども、私たちには当然見えてないですし、壁をがんがん叩いてしまうので、家の中が結構めちゃめちゃになってきちゃうんですよね。
で、そういうので、ま、近くの脳神経外科とかで有名な先生の所に連れていって、で、あの、長谷川式でしたっけ。ああいうのとか全部テストをして、で、その長谷川式のチェックをしたときに、例えば、じゃあ、「100からいくつ引いたら」とか、「今日は何月何日ですか」って言われると、あの、たぶん父の、防衛本能か分からないんですけど、「そんなくだらない質問をおれにするな」みたいに、ま、よくある話なんだと思うんですが、「ばかにしてんのか」って、やっぱ怒っちゃって、そこはもう外に出てしまって。
そして、手術を勧められましたんです。だけど、もうそのときに、夫が87かしら。それで、夫はね、どうしても、今から頭の上ね、穴を開けるのは嫌だって言いますし、私もそれがいいかどうか、ちょっとね、あの、あれで、(セカンド)オピニオンといいますか、ちょっと知り合いの東京のほうの、あのー、お医者さまにね、ご相談したり何かしましたら、いくら体力的にね、よくても、ちょっともう年齢的に無理ではないかっていうようなお話を、いただいたりして。ちょっとお医者さまへのお返事もぐずぐずね、検査や何かもしておりましたときに、ちょうどそちらのかかってました病院が編成替えで、あの、神経内科とかそちらがなくなってしまったんです。それで、またほかのね、お医者さまにお移りして、それでそちらで認知症のね、としての、お薬をいただいたりね、何かするようになりましたけども。
まあ、ちょうど今からもう5年になるんでしょうかね。でもそれほど、私もまあ大勢今まで、認知症の方々ともかかわったりなんかしてましたもんですからね。あの、強い方もありますし、ま、年を取ればね、高齢でなれば仕方がないことと思って、うん、ま、そのまま覚悟を決めて、しておりますけどね。
私がね、おかしいなと思ったのは、結局、もの忘れが、あの、始まったころですね。買い物に行って、うん、何を買いに来たか忘れてしまって、ほかの物を買ってきたということがありましてね。それで、自分も少しおかしいと思ったらしくって、ずっと循環器のお医者さんにね、かかってたんですけど、もの忘れが激しいっていうことを申し上げて。そして神経内科かしら、そちらへ、まああの、診察をね、していただいたというようなことで。もの忘れぐらいで、私も年齢的なもの忘れというふうにも考えてましたから、あんまり、こう、重くも思っておりませんでしたね。
あとは、何でしょう。それほど普段では、考えておりませんでした。そのご診察の結果にね、あの、正常圧水頭症というご診断をいただきまして。で、これは、「ほら、ほら、あの歩き方がおかしいだろ」って、お医者さんがおっしゃるんですけど、私にはどうしても普通に見えたの。そうして、これはその、だんだん、あの、認知症が進んで、それから、あの、何、えー、失禁、尿失禁がね、強くなるっていうようなお話をね、先生からいただきましたけども。どうしても、その、歩き方、歩き方っておっしゃるのが、私、不思議に思いましてね。
それで、お医者さんにかかったときに、認知症にもいろんなタイプがあるっていうことを勉強させていただいて。確かにね、父の認知症と母の認知症とは、全然違います、ええ。あの、父は、傍から見るとどこも悪くないように見えます。電話の受け答えはしっかりしているし、あの、そのときそのときの理解力はすごくあるんですよね。政治討論会なんかもね、ちゃんと分かりますし。ただ、5分前のことが、忘れているもんですから、駄目といいますかね。知らない人が見ると、え、この人何も分からないんじゃないかと思って、こう下にしてみる、見たりですね。言葉使いも、このおじいちゃんはもう何も分からないおじいちゃんなんだわっていうことでね、そういう言葉使いされることもあるんですけど、そういうのは、やっぱり、間違いですよね。そのときは、わたしたち以上に、脳はクリアになっていて、すごく理解力はありますからね。ただ、母に関しては、やっぱり理解力そのものが落ちてきてますね。ですから、いろんなタイプがあるんだなっていうこと勉強させていただきました。
だから、まあ、これ、経験してない人には分かりにくいよな、と思いながらも、まあ家族同士、話をすると、「うちもそう」みたいな…。で、そういうときに、○○(フェルラ酸*を含むサプリメント)っていうのがあるんですけど、あの、アシュワガンダ**っていう成分がやっぱりハーブで入ってるんですけど、それが入ると落ち着くんですね、3日目で。だから、薬は不具合がいっぱい出続けた。でも、サプリメントは人によって効く、効かない。ま、食品だから、効くっていう言葉が自体がね、ちょっと分野が違うのかもしれませんけど。主人にとっては好ましい状況に、周辺症状が和らぐ。カプグラもそうだし、嚥下もそうだし、それから、気持ちのシャキッと感みたいなの。そういう意味では、薬以外の可能性でも取り入れるっていうスタンスとしては、わが家では丸ですよね、選択としては。
薬で歩行障害で困り、あるいはパーキンソン症状の歩行障害を改善させようと思って、そっちを強化すると、今度、認知症状が進み、幻視が進みって、うちのケースそうだったので、本当にあの、シーソーゲームのように行ったり来たり。そんな中で巡り合ったものだったから、余計、宝物ですよね。可能性をつなぐのには、やっぱり、選べる選択肢は幅広くあったほうがいい。焼き塩もそう、おまじないもそう。「元に戻った、ポーン」もね。それから、オッケー、オッケー、大丈夫って。まだまだいけるって。何かそういうかけ声の中の1つにもこれがあったので、教えてあげたいあれこれの1つですかね。はい。
*フェルラ酸…イネ科植物の細胞壁に多く含まれているポリフェノール
**アシュワガンダ…インド原産の低木で、全草が「専ら医薬品として使用される成分本質」に指定されたため、現在はこの成分を含むサプリメントは販売中止になっています。
ちょっと私、ボランティア活動がもう、長かったものですから、その間に――ま、今からもう55年ぐらい前からボランティア活動をずっと続けておりましたからね――で、長い間の中でみんな対象者が、あの、障害の方もその親御さんもお年を召しますし。ですから、あの、高齢化の問題も一応はそのグループで、高齢化の会合や何かもね、あの、講演会とかそういうこともしましたし。ずいぶん、いろんな意味でお勉強はしてきたつもりです。
それから、黒川(由紀子)先生の「回想法」、ああいうのも割に早くからね、お勉強はさせていただいて、やってはおりました。でも、駄目ですね。自分で、いわゆるお勉強をして、こう、「同じことを繰り返したり、何かするのもね、それは病気がなせることで、それにはね、優しく何回でも同じことをお答えして」なんて、皆さんにはお教えもして、伺ってるボランティアで伺ってるお年寄りたちに対しても、本当にそういうふうな態度でずっと、接してきましたけどね。さて、自分のことでいよいよ夫が、こう、少し症状が進んでひどくなってからは、ああ、私は駄目だ、実際に思いましたね。
ですから、まあ、あの、ある程度はね、うーん、回想法なんかだって、自分でやればいいんでしょうけども、なかなかね。うーん。あのまあ、心がけてはいても、夫はそれについてきませんからね、1人だとね、あははは。でも、向こう(デイサービス)で皆さまとお話してるのがとてもいいことだと思って、感謝してますけどね。
先生のアドバイスは、いろいろきめ細かに、あの、伺ったごとにしてくださいましたけど、あの、ウォーキングを勧められたり、それから、初期だったもんですから、今までできなかったこと、あの、「旅行とか、そういうこともいいことですよ」っておっしゃってくださって。それで、時間がたくさんできましたので、今までしたくってもできなかったこと、そういうことを、主人に聞きましたら、あの、主人は絵が好きなので、それでちょっとやってみたいっていうことで、私は、絵は苦手なので、ちょっと乗り気じゃなかったんですけど。でも、一緒についてかなきゃ行けないと思って、そいで絵をしたり、それから、あの、書くことが好きなので写経したり。
ええ、ええ。そんなようなことをして、それから、あの、あれです。お庭の、今まで忙しくて気がつかなかったことで、あの、四季折々に咲く花とか、そういうのを見て美しいとかそういうふうに、気がつくようになりました。そいで、ちょっと、いろいろ、うちの、植物の手入れをしてくれたり、体を動かしたりしますので、そういうことはとっても、リタイアしてから良かったと思います、はい、ええ。
それとか旅行なんかも、あの、癒されて。もう年だもんですから、お寺なんかお参りさせていただきますと、何か気持ちが和むみたいだし、それから、写経も何かね、精神衛生上、いいみたいだし。水彩なんかでもできたとき、すごくね、あの、好きなように、こう描けばいいんだもんですから、ルールがないもんですから、とってもいいかなと思うんです。楽しいみたいで。それで3年たったら、画集を作るという(笑)。お楽しみも持ってるんです、ええ、ええ。
―― すばらしいですね。
ええ、ええ。いいかしらと思ってね。まだ今、2年半ぐらいだもんですから、ええ。
―― 楽しみですね。
ええ、楽しみ、楽しみにしてます、ええ。