投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

妻が手足が冷たいというので、血行をよくするため朝晩マッサージしていたら、脳に変化があったのか、表情がよくなり、体重にも変化が出てきた

あと、あの、下半身を、その訪問リハの先生にマッサージしていただくのはいいんやけど、毎日毎日が足冷たい、手冷たいということであると、やはり、それが私が気になることであって。で、今、その、朝10分ほどのマッサージで、晩、お風呂入る前に20分ほどのマッサージを、足元から、大腿部、で、腕のほうも、手先から肩越し辺りまでマッサージして。で、まあ、そういうことも毎日、マッサージをすることによって、家内にやっぱり変化が出てきた。要するに、いらない老廃物が血の流れによって発散するのと、で、えー、私もふれあうことによって、家内に、えー、表情が良くなってくるというと、やはり脳に変化があったのか。その、体重にもこう、変化が出てきてます。

認知症の語り

「歌があんだけ歌える」というのが本人の自信となり、自分にとってもプラスになっている。音楽療法を始めてから話が長くなり、理解力も出てきたような気がする

ほんで、それやってくうちにね、もう何回か、2回、3回通う、あの、通ってるうちにね、もう自信がついてきて、本人に。うん。もう終わるなり、「今日これまでにしましょうね」、「お父さん、私、大丈夫やな」言い出してね。「大丈夫。あんた、すごいな」言うて。「何でそんな歌えるんや?」言うて、うん。「歌、歌えるから、もう私大丈夫やな」って。「大丈夫や、大丈夫や」言うてね、もうそれぐらい。それからずっとね、もう今で3ヵ月終わったとこです。6月からやからね。6、7、8(月)、3ヵ月終わったとこなんですよ。もう自信ついてね。もう、そこ行くのがものすごく楽しい、うん。もう、そやから行って、もう部屋出るときにはもう、「私、大丈夫よね」。もう、いつもそれ言うて帰ってます、うん。
そやから、それがね、やっぱり僕に対してものすごくプラスで、やっぱりある時には、やっぱりね、しょげて、沈み込んで、うん。「私、何でこんなやろ、みんなに迷惑かけてばっかしな」。「お母さん、大丈夫や。そんな心配するなよ、な。おかしいもんが何で、あんだけ歌、歌えるんや」言うて。「そやろ」と、「あ、そやな。私歌えるもんな」。「そうやんか、そんなもん、あんた全然心配ないし」って、うん。「んな、おかしなったもんがな、あんだけ歌、歌えるはずないよ」言うて、うん。僕のね、1つのやっぱり励ましの言葉になってますしね。
もう、そやから、今、まあここいい薬があればね、それはそれに越したことないんですけども、やっぱり薬ではやっぱり難しい、うん。ほんなら、やっぱり僕が思うように、やっぱり環境やろうと、いうことでね。んで、そういう心をね、やっぱり和らぐ、そういうものを取り入れていけばね、何とかもうね、希望も出るんやないかということでね。これはもう、本当にもう、僕のこの病気に対してのね、人生体験で、これはもう、ほんまにぜひ思いますね、うん。
僕もずいぶん、これでね、自信持ってんですよ。そやから、今の家内の状態どんなんかいうたら、よう、「どういうふうに変わりました?」聞かれんですけども、まあ、この3ヵ月間終わりましたけれども、あの、元気が出た、いうんかね。その、話にもね、交流会行っててもね、こう、僕聞いてるんだけども、今までもう、短い言葉でこう、繰り返し、繰り返しの話やったんですよ、うん。「私は駄目人間でね、どうのこうの」、もうそれが繰り返しやったんです。けども、最近ね、うん、ちょっと話の内容が変わって、話すことも長くなってきてね、変わってきてんですよ。うん。「へっ?」て思ってね。ほんで、ほんでそれも先生に、「話し方が変わりましてね。もう理解力ができたような感じするんですよ」言うたら、「ああ、そうですか、よかったですね」て。ほんで、家の生活面でも、あのー、動きがね、活発になってるんですよ。

認知症の語り

音楽療法は歌によって昔の記憶を取り戻して、生活上できなくなっていたことをできるようにする。ピアノの伴奏に合わせて妻が何曲も歌えることに感動して涙がこぼれた

それで今ね、やっぱり一番、あの、家内の、うれしい場所ができたんですよね。それがね、音楽療法なんです。……あの、これもやっぱり、まあ音楽がいいということは、知っとったんですけども、まあ、こういうふうに専門に音楽療法があるということは知らなかったんですよね。これもやっぱりね、交流会の仲間からなんですよ。がんや脳卒中のケア、その他、認知症に対しても、すごくやっぱり熱心にやっておられる先生がいてはるということを聞きまして、もう早速に、お世話になったわけです。
ほんで、まあ、ちこっとお話して、音楽療法いうのはね、どんなんか言うたら、歌で、まあ楽器でも、歌を歌うだけじゃなくて、楽器、踊り、まあ、その他いろいろと、その人に合うた…。これ別に教えるわけじゃないんですよ。レッスンじゃないんですよ。できないことをね、やっぱり教えて、習ってもらう、そういうんじゃないんですよ。歌によって、昔の記憶を取り戻して、ね。今の記憶に近づけて、生活上でできなかった、忘れてきたこと、それを取り戻すための、音楽療法なんです。それを聞いてね、うん。
ほんで、そんなんで「ああ、うれしいです」言うて。「まあ、どこまでできるか分かりませんけど、ちょっと先生お願いします」いうことでね。「分かりました。ほな、ちょっと様子見ましょか」いうことで、「座ってください」。で、いきなりもうピアノでね、だあっとメドレーで演奏でね、ずっと。それがね、僕もびっくりしたんですよ。もう全部歌ってくんですよ、彼女自身が…。もう、ほんま、あのー…もう、あの、何もピアノ伴奏やられるだけでね、何も見ずにして、もう次から次へと、もう歌っていくんですよ。もう童謡から、えー、演歌からね、民謡からね、すべて、うん。
ほんで、先生、要するに、まあ、1日目はどれだけできるかいう、まあ、様子見ですね。それでね、ピアノずっと弾いていくんですよ、うん。それから後から、次からどういうふうにしよう、いうことで、やっぱり見るわけですよね。で、ところが、もう家内がずっと歌ってくもんやからね、僕もびっくりしてね。何で、こんな歌えるんやな思てね。ほんまびっくりしました、ええ。すごいな、思て、うん。ほんでね、もう、そのときはもう感動と感激でもう、もう胸熱くなってね、僕自身も涙こぼしましたけどね。もう、それが40分間も、ほんま相当な曲。もう50曲以上、全部歌うんですよ。「ええっ?!」思てね。「何で、お母さん、何でこんな歌えるんや?」言うてね。「何か知らん、出てくる」言うて(笑)。出てくるんやで、うん。

認知症の語り

医師に2-3歳児用のパズルを勧められ、初めのうちは上達して本人も喜んでいたが、次第にできなくなったので、つらい思いをしないよう、できないものは排除していった

で、やはり、先生からこういうことやったらいいよっていわれることは、いろんなことやりました。まずは、あの、2、3歳児用なんですけど、パズルをやってごらんって言われたんですね。空間認識がだめになってるんですね。ですから、その、2、3歳用のパズル、えー、6ピースかそのくらいしかピースがないんですけどね。それをこう、入れる、はめ込まなきゃいけないのがうまくはまらないんですよ。あの、まあ、私たちからいったら、形がありますので、そこにはめていけば、はまるじゃないって思うんですけども、それができないんですね。で、それをやりながら、あのー、まあ、最初はそうですね、20分ぐらいかかったのかな。それを毎日毎日やったんです、これを。そうすると、本当に7、8分でできるように、もう、なったんです。すごく喜びましたよね、本人は。
で、そこまで行く間に「難しいんだよ、お母さん。お母さん、やってごらん」って言ったんですね。でも私、何にも考えてなかったので「うん、やってみるよ」って言ってやってたら、本当に2分もかからないでできるんですね。で、そこで主人は落ち込みまして。ああ、いけないことしたなっていうのは、そのときに私も学習したんですけどね。
で、それから、そうやってがんばって、7~8分ぐらいでできるようになって。で、それが喜んでたんですけども、やはりそれも長く続かなく、それからまたどんどんできなくなっていきました。で、それはやってて、できなくなったものはみんな私、排除していったんです。治る病気じゃないのに無理にさせて嫌になったら、もっとつらい思いすることですよね。だから、それは排除しようと思って排除しました、できなくなった時点で。

認知症の語り

病院から言われて三度の食事でお皿に何が載っていたか思い出して書くようにしていたが、生真面目な人なので食べる前にメモをしたりしていた

あの、病院から言われたのは、毎日食べたものを3度3度書いてくださいって。それも、食べたお皿を見ながら中に載ってるものじゃなく、食べ終わってからこのお皿に何が載ってたかなっていうの、考えながら書きなさいっていうのが先生の指示だったんですよ。でも、それも難しかったんですね、なかなか。初めのうちはいいんですけども、なかなか難しく。でも、あのー、ま、きまじめな人なので、書かなきゃいけないっていうのはあるんですね。
で、食事を出してると、私に隠れて横、テーブルの下のところにメモを置いて、こう書くんですね、食事ある目の前で。それを初め、気がつかなかったんです。で、それをやってる途中で、こんなストレスたまることしなくてもいいっていうふうに私は思ったんです。だから、「お父さん、食べよう。食べていいよ。おいしく食べてしまおう、食べてからお母さんが教えてあげるから」って言って、で、このお皿、お魚だった、お肉だったっていうような、あの、問いかけをしながら。そうすると、「うーん、魚だったかなあ」とか言うんですね。「そうすると、そうね、魚だったね、これ。じゃあ、魚は煮魚だった。焼き魚だった」っていうふうな振り方をして、あのー、書かせていくようにしたんですね。で、最終的には、もうそれも難しくなってきたので、食べ終わってから、お父さん、今日はね、お魚、煮魚でね、焼き魚だったからねっとか、お肉だったからねとか言いながら。お野菜はこういうのあったねとか、そういう言い方をして、ずっと書いていったんです。

認知症の語り

においがするものが嫌いな母には向かないと思ったが、植物系のアロマが気に入って、それで気分の浮き沈みが激しかったのが安定した

で、もう、これはもう大変だなと思ってたころに、今度アロマのお話が来たんです。で、アロマっていうのは、息しているだけでね、あの、脳の一番古いね、脳を刺激するから、すごくいいんだよっていうことを聞いて。で、においがする物、大っ嫌いだったんですよね、母は。化粧品のにおいとかね。だから駄目かなと思ったんですけど、ちょっとあの、植物系のやつを焚いたら、「ああ、いい。いいにおいがする」とか言って。何かね、すごい、こう、浮き沈みがすごく激しかったのが安定したんですね、結構。だから、あ、それは良かったなと思って。うん、焚いてましたね。

認知症の語り

精神科にかかっても母の攻撃性が収まらなかったとき、糖鎖のサプリが脳にいいと聞き、取り寄せて毎日飲ませていたが、飲みにくいうえ高いので続かなかった

そこから今度、町の病院に行ったんですけど、精神科なんですよね。そうすると、「何でわたしがこんな、精神科なんかに来なくちゃいけないんだ」って。で、お医者さんに何か聞かれても、もうすごい攻撃的なんです。うん。で、返事しなかったりとか、うん。で、そういうような状態が続いたんで、何か病院に連れてっても効果ないのかなってふうに思いまして。
で、あの、そのときにね、脳にいいっていう、あの、糖の鎖って書いて、糖鎖っていうのが脳にいいっていうことで、その糖鎖を使ったサプリがあるっていうことで、それをあの、取り寄せて飲ませました。何か1ヵ月に3種類ぐらい、毎日のように朝、昼、晩て飲むんですけども、それも何か、あの、外国製だったので、粒が大きくて飲むの大変で。食後、毎食後に飲むっていうことでね、何か薬と間違えるんですよね。で、すごくけんかの連続で、何ヵ月だったのかな、結構高かったんですよね。ね、何ヵ月か飲んで、で、もう本当に疲れたんですよね、それが。ね、それ、まだ入る前ですけども、施設に。

認知症の語り

認知機能が落ちないよう大人の練習帳を買ってきたり、一緒に体を動かしたり、編み物をさせたりしたが、子どもに宿題をやらせるような態度に母が抵抗したのでやめてしまった

―― その、最初に、その、(認知症と)闘うっていうふうに思われたとき、あのー、いろいろ試されたこととかってあるんですか。

ありますよ、もう。ほんとにあります、もういっぱい。その、大人の練習帳とか、こう、ドリルを買ってきたりとか。もう、あの、朝、毎日わたしが出勤の前に、お母さん、6時ぐらいに起きてもらって、散歩に行ったりとか。あとは帰ってきてから、わたしが帰ってきてから、夜に、こう、ちょっと体を動かすようなことを、スタジオみたいにしてストレッチやったり、リズム体操やったりとか、機能を落とさないようにするようなことをしたりとか。母親は母親で、ま、自分もちょっと、あの、自覚があったので、編み物。編み物すごい得意なので、「手先を動かすといいのよね」っていう感じでやったりとか。
もうほんとに、今思えば、そういうことやっちゃいけないというようなことは、結構、あの、子どもに宿題をやらせるのと同じような形で「今日、やったの」って。帰ってきたら、「ここ、やったの」っていうような形でやらせてしまっていましたね、はい。

―― その、子どもにやらせるようなことをやってしまってた、っておっしゃってたんですけど、お母さま自体はそれに対して抵抗感は?

もう、とても強くありましたよ。もう全然進まなかったですからね。やらなかったですね。明日やるからとか、あー、うん、言って。その練習帳とか、計算ドリルとか、脳を若返らせる何とかとか、そういうことはほとんどやんなかったですね。ただ運動は、もう週末とか朝の運動は…割と続けてましたけど。「もう今日はいい」。わたしがすごい早く起きて「行くよ」って言っても、「いい」って言われちゃうので、ちょっと続かなくなって、やめてしまいましたけど、はい。

認知症の語り

漢字の書き取り、計算ドリル、パズルなどをやったが、全く効果がなく苦痛だけで終わった。できなくなっていくことは本人も自覚しているのですごくつらいだろう

字は書けたんですね。3年前ぐらいまで。漢字は結構難しくなったんですけども、片仮名、平仮名は結構自由に書けたんで。で、いっとき、それ、まあ練習やったんですけども、まったく効果なくて駄目でした。漢字の練習、仮名の練習とか、あとは計算ドリルもやったんですけども、まったく効果なしで。ま、苦痛だけで終わって。
だから、うちにいっぱいあります、本が。子ども向けの計算。まああとは、小学校1年、6年生駄目だったら5年生、5年生も駄目だったら4年生、いろいろ。あと、じゃあ、1,000円持って買い物に行きました、おつりはどうしますとか、何かいろんな、りんご何個買ったとか、あるじゃないですか。そういう問題集みたいのも買って、やってみたんですけども、だんだんとやっぱりレベルを下げていったんですけども、やっぱり難しい。
あとはパズルとか、ジグソーパズルも、最初は結構、何100ピースもできたのが、最後はもう10ピースでも駄目になったとか。そういう、すごくはっきり見えてくるんです、そういうのが。あとは、ま、カルタで、漢字の偏とつくり、組み合わせて1個の字を作るとか、そういうカルタがあるんですよね。それも最初はうまくいくんだけど、だんだんとそれもやっぱり、まったくできなくなって。かんむりと偏と、何かを組み合わせれば、何の字ができるとか、そういうのもやってみたんですけども、やっぱり、それは……
だから、なかなか不思議な病気だな、というのはそんときも…。本人はやっぱりすごくつらいんですけども…。だから、本人はやっぱり、一応できないっていうことを結構自覚してるんで。そういうときは、常に。やっぱり、そういう子ども向けのいろんな問題集とドリルと、やっぱりまあしたくないんで、だんだんとやっぱり気がめいってくる、やんない。

認知症の語り

脳に対するリハビリは本人に苦痛を与えるので断ち切った。スポーツクラブで運動したり、朗読絵本を読み聞かせたり、自分の得意分野ではまだ頑張れるようだ

あと、リハビリに、脳に対するリハビリはまったく今は、そういうのは考えてないんですね。本人がやっぱり苦痛ですから。苦痛のことはもうやめようと。それはもう、その二つの病院で、もうそこでもう完全に断ち切ったっていうことで、やめました。だから、あとは、何とか療法、何とか療法っていうのもいろいろあるのも、一応あれ、やってる人も結構多いんですけども、私はそれは、一切やってない。絵画療法とか例えば、音楽療法とか、まあいろいろね、園芸療法とかあるんですけども、そういうのはうちでは一切やってないです。
だから、女房にとってのリハビリは、やっぱりスポーツクラブに通って運動するということと、あとは自分の一番得意でボランティアでやってた、あの朗読絵本を、子どものためにもう一遍、読み聞かせやってみようと。で、結構あの、読み聞かせやると、結構、反応が来るじゃないですか。「おお、すばらしい」っていう反応。それがもう、うれしくて。だからそれをいま糧(かて)に練習。練習はもう結構苦痛なんですけどね。でも、一応頑張るんです。そういうのがある、そういうのに関しては。だから、自分で頑張れる…本人は頑張りたくないんですって。日々の中ではいろんな何か、自分がもう駄目になったことに対しても、やっぱりやろうと、チャレンジ精神ももう持ってないんですよ、ほとんど。ただ、得意だった分野に関しては、もう、頑張ろうという気はあるみたいで。