とにかくどこを受診していいか分かんなかったんです、最初。なので、院内紹介という形で老年科から神経内科行って、そのうち検査が始まって、だんだん、その、パーキンソン症状も出てきて、すくみ足とか、すり足とか、前かがみな姿勢とか。でも、お医者さんの前で「歩いてみてください」って言うと、普通に歩くので、「大したことないですね」で、1年間、MCI(軽度認知障害)っていう時期があったんですけど、そこがね、滑ってるんですよね。そのときにもパーキンソン症状出てたんですけど、お医者さんの前に行くと普通に歩くので、確率というか、「まあまあ、様子見段階ですね」って。
様子見てるうちに、1年たったころにガクッと。あ、おかしいって。「これはちょっと、本格的に検査したほうがいいですね」の流れで、で、SPECTだとか…シンチテストっていうか、検査とか、いろいろやるようになって、まあ、レビー小体型認知症と。
投稿者「dipex-j」のアーカイブ
画像検査をしましょうっていうことに3年ぶりに…なって。で、主治医の先生の紹介で地元の大きな病院に行ったんですけども、そこに主治医の先生も来てくださって、その依頼した大きな病院の先生も来てくださり、あのー、患者会の方も来てくださって、何か、みんなで、「さあ、ご主人」と言って、主人が「わあー」とか「僕は帰ります、さよなら」とか言うのを抑えて、「まあ、まあ、きょう受ければ、10万円もらえるから」とか、いろんことを言って。「へえー、そうですか、じゃ、受けましょう」と言ってまた座るけど、「僕は帰ります」とか言ってまた立ちあがって。そういうときも、やっぱり、すごく上手にこう対応できれば長もちするし、MRI、あ、シンチグラフィですか、あれ、受けながらも、「うあーっ」とこう起き上がっちゃって、頭や体に巻いたベルトをはずすのを、患者会の方も、「まあ、まあ」となだめながら、何十分も付き添ってくださったんですけどね。だから、そういうときの介護ではなく、付添のスタッフがいるとありがたいなとほんとに思いますね。高齢者だったらもっとこうよろよろしていて、あのー、歩みも遅いんですけど。若くて力があると、あっという間にいなくなっちゃうんで…大変ですね。
―― あの、診断は問診だけでついたのですか。
あの、画像とですね。…でも、あとになってほかの患者さんに聞くと、遺伝子で分かるっていう、脊髄に針を刺して、という検査でも分かるっていうのも聞いたんですが。…うちはまだそれやっていなんいですよね。そこまで主人が受けてくれるかどうかは分からないんですけどね。
―― 初めて聞きました、遺伝子でって。
ああ、それは、デイサービスの中にも家族会があって、月1回、集まりがあるんですね。そのときに、遺伝子に数字がついていて、何番だと何とかなのでと、奥さんたちがおっしゃっていたので、わたしまだ分からないなと思っていますけど。
―― 診断時、点数が満点に近かったのが、今は、長谷川式で7点で。
この間お電話で先生に聞いたら、「7点ですね」とおっしゃって。でも、…言われたのは、「アルツハイマーとこのピックでは、あのー、答えるときの患者本人の、協力度が違う」と、「ピックの人は、そういうこと自体に、ちゃんと答えないことがあるので、点数では分からない」とは言われたんですけどね。もう、帰りたい一心、もう早く立ち去りたいっていう感じで何か答えていましたけど。
あの、近くの、脳神経外科とかで有名な先生の所に連れていって、で、あの、長谷川式でしたっけ。ああいうのとか全部テストをして。で、その、長谷川式のチェックをしたときに、例えば、じゃあ、「100からいくつ引いたら」とか、「今日は何月の何日ですか」って言われると、ま、たぶん父の、その防衛本能か分からないんですけど、「そんなくだらない質問をおれにするな」みたいに、ま、よくある話なんだと思うんですが、「ばかにしてんのか」って、やっぱ怒っちゃって、そこはもう外に出てしまって。
で、一度、認知症の心配もあるんで、検査して、入院検査してみて、ま、何もなければ安心やから、あの、検査して、入院して検査したらどうですかって言われて、入院したのが23年の2月の15日から3月10日まで。で、そのときに、まあ2人と、本人にも、先生は説明してましたんでね。ま、その、脳、脳の、その、前と横が、えー、黒くなってるっていうか萎縮してるって。…何だかな、あの、ペーパーテストみたいな、あのテストとか。血流の、えー、血流ですかね、あの、画像に出てて、えー、血流の流れないとこ赤く写ったりとか、悪いところは緑色に写ったりとか。*そういうの、いろんな検査してみたら、あのー、前頭側頭型の認知症というふうに診断されたんですよ。
*SPECTでは赤やピンク等の明るい色から緑や青等の暗い色になるにしたがって,血流が低下していきます。
ま、そんときにも、あの、長谷川式の検査をしたんですけども、まあ、えーと、検査値を1点か2点ぐらい、やっぱり下回ってたっていうことでしたね、うん。
―― 検査値っていうのは正常値ですか。
あ、正常値、正常値ですね。何、23点*でしたっけ。20何点が、あのー、以上が、まあ、認(知症)、じゃないっていうことにはなってると思うんですけども、それよりかやっぱり下回っちゃったっていうことだったんですね、その時点で…そうですね。で、そのとき、まあ、でも、まあ、その、大阪に私はそのときにいたんですけれども、やっぱりそれを知ってから1、2年ぐらいはもう結構、うん、悲しかったというか、やっぱり今までの母の、あのー、思い出があったので、もうそれがなくなってしまったっていうふうに、もう戻らないのかなっていう思いで、やっぱり、うーん、悲しい思いはありましたね、うん……うん。
*正確には21点以上が非認知症とされます。
あの、自分で病院は探しました。いくつか、やはりあの、こっちの○の地で探したんですけれども、その中でここへ行きたいっていう病院が、自分で見つけて、で、そこへ一緒に行きまして、で、そのときにアルツ、若年性アルツハイマーではないかって最初の診断で、心療内科で言われたんですね。で、詳しく調べてみましょうということが始まったんです。
で、調べまして、2月、3月かかりまして、あのー、いろんな検査しました。脳波の検査をしたり、MR(I)撮ったりとか、血流の検査をしたり、それから知能のテスト、ペーパーテストをやったりとか、いろんなことをやったんですね。で、それで、ああ、やはり、あの、変な言い方なんですけど、純然たるアルツハイマー病ではないかと。普通、あのー、いろんなのが混ざったりするんですね。でも、主人は最後まで、本当にアルツハイマーだけだったんですね。
あの、主治医ははっきり言いましたね。あのー、まあ、そんときは母親をちょっと外に出して、あの、「家族に」ってことで僕と姉とか呼ばれて、「もうお母さん、こういう状態です」と。で、「それもかなり進行してます」と。あの、「発症はもうずいぶん前に発症されてるみたいですね」、みたいな言い方でした。
―― そうですか。
はい。かなりもう、明確に問診、あのー、それは検査結果が出る、出てからですけれど、最初の行った時も、もうまず間違いないでしょう、みたいなニュアンスで言われました。はい。
―― あの、画像の説明なんかはありましたか。
ありました。その2回目の、あの、検査結果を持ってったときは。1回目のときは、何かこんな、こう、母に絵を描かして、それは相当ひどかったみたいです、点数が。50点のうちの16点ぐらいしか取れてなかったみたいで。まず、まず間違いないというふうに、1回目のときに、あの、1回目のその、あのー、連れていったときにもう言われました。で、確定診するために一応、その、あの、放射能(放射性薬剤)のちょっと入る血流検査を受けてくれということでした。
―― あ、そうなんですね。そしたら、あの、ここの部分があの。
血が流れてませんと。
それでも、最終的には、あのー「いやあ、分からない」ってその(精神科の)先生が言われるんですよね。それで、主人は怒って(笑)、怒って。こんなに調べても分からないんじゃ、あのー、僕のよく知ってる先生のところへ行って、あの、調べてもらうからいい、っていう。それで、あのー、主人もその友達のね、アルツハイマーの、あの、専門の。その先生は、あの、病理の先生で、あのー…病院を紹介してくれたんですね。そこに、あの、そこへ行って、それで日本に3台しかないっていう、あのー、PETに、で調べて。それでまあ、ほぼ間違いないだろうっていうことになりました。