投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

両親が検査を受けるときは妹が連れて行ってくれたが、説明してもどうせ忘れるのに、行く前にきちんと説明していたのに感心した

検査に行ったときは、妹が連れて行ってくれたんで、あの、どういう状態だったか、ちょっと分からなかったんですけれども。それでもですね、妹は、あとになって、あの、今説明してもですね、あとになって忘れるっていうのは分かっているんですけれども、やっぱり、それ相当の、あの、説明はしておりましたね。
うん、こういう感じで、今、あのー、お父さんならお父さん、お母さんならお母さん、あの、脳のね、あの、検査にこういうところの病院へ、あの、今連れて行きたいと思うんだけれどもっていうのはね、あの、説明していたんで、わたしはそれは感心しましたね。もう、言っても分からないし、もう、そのまま連れて行けばいいわって、もう、中にはね、あのー、だまして、うーん、「病院へ行く」って言わないで、「ちょっと、買い物に行こう」っていう感じで連れ出して、実は、そこが病院だったっていうことも、あの、実際に聞いたことあるんですよね。だから、それを、あの、しないでね、理解したのは一瞬だけかもしれないけれども、それってすごく大事なことだと思いますね。それで、何かの拍子に、やっぱり、思い出すことも、あ、病院行ったよねって覚えていることもあったりして、まあ、あの、脳は不思議だなって思うんですけど。やっぱり、あのー、正常な人と接していると同じようにですね、きちっと説明をして、それで、「いい」って、「一緒に行こうね」って、「あ、行くよ」って、そういう過程がすごく大事じゃないかなって思いますね。

認知症の語り

ロールシャッハ検査や100からの引き算などをやった。「長谷川式」という名前は聞いたことがあるが、点数は覚えていない。画像検査で脳の萎縮が見つかった(音声のみ)

―― 何か検査とかお受けになりましたか。

ああー、……何かあったな。ま、ロール、ロール、ロール何とかっていうのがあるじゃないですか。ロール、え、……これは何に見えますかとかいうやつ。

―― ロールシャッハ?

シャッハ、シャッハ(笑)、そう、そう、そう、歯医者じゃないです(笑)。ロールシャハ、そう、そう。うん、それ何か潜在的なこう何、心なのか頭なのか何か、何か絵みたいなのでしょう。これは何に見えますかっていうやつですよね。そう、そう。ロールシャッハだ、そう、そう。うん、やったことありますよ。何だろうなこれって言って。

―― 100からこう引き算していくようなこととか?

あ、そんなのもありましたね、うん。100から、はい。5ずつとか10ずつとか簡単だ、簡単だったですけど、そのときは(笑)。8とか9とかなかなかそういうのは出てこなかった。意外にシンプルな感じだった。

―― えーと、長谷川式というスケールで言うと何点とかって言われたことありますか。

長谷川式、名前は聞いたことあるな。……うーん、何か、何点っていうのは、うーん、何か覚えているけど。何点だったか忘れました。ああ……長谷川式っていうのありましたね。長谷川式っていうのも、何だかよく分らなかったけど(笑)。長谷川式っていうのだけ覚えていますね。……あれ、何、何だったんですか。

―― 引き算は、100から7を、7ずつ引いていく。

あ、そう、そう、あ、そう、そう、それが100から。100のやつなんだ。そう、そう、それは、やったことある。

―― あと、覚えているもの、何かこう犬とか猫とか何とかから三つ言って、それを順番に言わされるとか?

ああ、そう、そう、そう、そう。それは、あれでしょう、やっぱり、例えば、犬、猫、トラとか言って。それ、はい、どうぞって、はい、犬、猫、トラっていうそういうやつでしょう。……それは、やりましたね。

―― なるほど。

それは、(笑)犬、猫、トラとかさ、非常に簡単だったですけどね。

―― えーと、何かこう脳の検査とかそういうことはされましたか。

脳の検査、脳の検査って何だろう。…………何かやったな。……何かやったよ、何だったかな。……こういうのかぶりましたね。……かぶって、うーん……あれで、何ですかね、脳のい、いしょく、いしょくじゃねえ、萎縮をみるんですよね、確かね。それやりましたね。それは、何か少し、萎縮しているっていうふうに言われたことあります。………うん、…そ、それで、それを診てもらって、若年性アルツハイマーというようなことになったのかな。もちろん、あの、ロールシャハみたいなのも、これが何にみえますか、あれは、何にみえますかとかねそういうのもやったです。……あまり覚えてないです(笑)。

認知症の語り

継続的に診てもらっていて、主治医は母のことをよく知ってくれている。診断に疑問を感じているが、確認してどうこうということでもないので、そのままにしている

かかりつけ医の先生で、ずっと、ま、継続的に診ていただいてますし、まああの、年に1回、あるいは2年に1回ぐらい、どうしても肺炎を起こしてしまうということがありまして。で、そこの病院に入院して、治療していただいて、そしてリハビリして、帰ってくるっていう生活をしていますけれど、それで先生もよく母のことを、知ってもらえていますし、そこの職員の方も、繰り返し入院するということもあったので、場のなじみというか、そういうこともあり、それから対応も、よくしてくださって、特に困るということは、ないです。
ただ、その、アルツハイマー(型認知症)っていうふうに診断がついているんですけれど、まあ、私の中で、アルツハイマー(型認知症)という、病気と母の症状と、進行状況と合わない…ように思えて、そのことについてだけは多少疑問に感じています。で、まあ、主治医に確認すればいいんですけれど、まあ確認してどうこうっていうこともないかなという、治療法が変わるとか、対応が変わるということもないようですので、一応そのまま、経過を見ています。

認知症の語り

最初の病院では、若い先生で年寄りの気持ちがわからないことがあり、母は苦手だった。診断後、ホームドクターに変わり、丁寧に説明してくれる今の先生は母も好きだと言っている

―― 最初に病院に受診されたときのことを伺いたいのですが、あのー、医療者との関係で何か困ったこととか、ああ、良かったこととか、こう、病院、受診に関して何か思いがあったら教えていただけますか?

ああ、そうですか、そうですね。一応、心療内科のほうに最初は受診してましたけれども、うーん、そうですね、すごく若い先生で、あのー、やっぱりお年寄りの、お年寄りの気持ちはちょっと分からないところがあって。なん、こないだもそんな、それ、説明したでしょ、みたいな感じで。あの、ちょっと、何かすごく母が(笑)、あの先生、ちょっと苦手やわとかは言ってましたけどね。うん、うん。

―― 検査は、ま、画像診断とか、いろんな機材を使うんですけど、それに怖がられるとか何かそういうことは大丈夫ですか?

大丈夫でしたです、はい。

―― 今は、受診はどんな間隔で行ってらっしゃるのですか?

今は1カ月に1回ですね。今ちょっとこちらの、向こうの病院から、個人のお医者さまに変わったんですけれど、うん。

―― 専門医の診断の後、ホームドクターにということですね。

そうですね、うん、はい。

―― 分かりました。その、ホームドクターとかの関係で何か、あの、困られているとか?

ああ、すごく先生は、ものすごく優しくて、あのー、すごく丁寧に説明してくださる先生なので、あの、母もすごく大好きですね。

認知症の語り

父はどうせわからないだろうという医師の態度が嫌だった。家族は、検査結果だけでなく、医師に具体的な日常生活上の留意点や対応方法を教えてほしいと思っている(音声のみ)

もう最初のころは、まだ父もしゃべれましたし、まひもなくって。認知症になってなかったものですから、しゃべることもできましたし、理解もできてたので、父のほうにも説明をされたりとかはありましたけれども、父がもうしゃべれなくなって、本当に認知症が出てきた時点では、父と私と一緒に診察、あ、診察室に入って、検査の結果を聞きに行くんですけれども、お医者さんがですね、父にはどうせ分からないだろう、みたいな感じの態度があって。もう主にしゃべるのは、まあ娘が来てるからかもしれませんけど、私に対しての説明で、CTの説明を受けるときも、こことここがあれだから、分からないんだよ、みたいな言い方のときもあったりとかして、どういう医師なんだろうと思うこともありましたけど。
家族が気づくのは身近なので仕方がない、とは思うんですけども、相談しに行ったときに、きちんと「それは認知症です」とか、「認知症ではまだないです」とか、ま、「認知症かもしれないですけど、この何カ月間は様子見ましょう」とか、その的確な答えをですね、返してほしかったなと思います。
で、病気の、その脳の病気の説明の部分だけではなくって、家族が困っているのは、日常生活の中でのことなので、その、治療もそうですし、対応もそうですけど、その、具体的な日常生活を送っていく上での注意点であったり、留意点であったり、対応方法について的確に教えていただくことが、一番必要かなと。こういう場合に、何でこういう行動が起こるのかっていうことを、まあ、脳に障害があるからっていうのは分かるんですけど、こういうことが起こってるから、こういう気持ちでそういう行動になってしまうんだよって。じゃ、こういうときはちょっと大変だけど、気持ちを落ち着けて、こう対応すれば、落ち着いて接することができる、落ち着くようになるのではないかという、具体的な方法を教えていただければ、ありがたいのではないかと思うんです。

認知症の語り

母は父の健康管理について自責の念を抱いていたので、認知症かもしれないと思ってもそれを認めたがらず、専門医にかかるよう勧めても中々行こうとしなかった

で、母のほうは、父が脳梗塞になってしまったという段階で、すぐに、『あ、私がお父さんの健康管理、ちゃんとしなかったら病気にさせちゃったんだ』って、やっぱりこう、自責の念があるんですよね。で、(それが)あった上に、もしかして、これって、何かあの、認知症とかなんじゃないだろうかというのを、母がやっぱり思ってはいるものの、認めたくないっていう気持ちもあるので、私が父を、「いや、たぶんちょっと、そういう専門の先生に診ていただいたほうがいいと思うよ」というのを言っても、「いや、大丈夫。お父さん、大丈夫。今日、疲れてるだけよ」っていうふうに、やっぱり母のほうがなかなか(病院に)行かせようとしなかったんですよ。
最近は、痴呆とか、ぼけっていう言葉とかも使わなくなってきてて、そのときももう、使わないようにしましょうね、って言われてきているときだったのは間違いないですが、やっぱり、その、母とかの、何か、70代の母とかの年齢からすると、もうアルツハイマー、認知症イコールぼけ、ぼけ老人みたいな印象がすごく強くて。で、特に父の場合は、あの、アルツハイマーですよって言われたのは65になってないときなので、言ってみたら若年性というものだと思うんですけど、母は、その、若年性アルツハイマーっていう言葉を知らないので、まだお父さんがそんなにぼけてないっていうふうに、やっぱり、そんな年じゃないっていうふうに、やっぱり思ってるところはあったみたいなんで。その母のほうはとにかく、認めたくないっていう思いはすごく強かったみたいですね。
で、父自身も認めたくないと思いも当然あったでしょうし。ただ、私は、「早く薬を飲むほうがいいんじゃないの」っていう話を、切々としていて、で、あ、えーと、そうか、ああ、「じゃあ、まあ認めることは認めて、で、あの、治療を早くすることによって、一緒にまともな時間でいられる時間がもっと長くなるかもしれないよ」っていう話をして、で、やっと納得して、で、行こうかって話になったっていうところですね。

認知症の語り

前頭側頭型認知症と診断された後、夫は病院に行かなくなった。3年ぶりに検査が必要となり、主治医や家族会の人までもが協力してくれて何とか病院に連れていった(テキストのみ)

もともとは、主人が、(診断された後)診察を受けに行かないので、薬も出していただけないっていうことで。もう3年も経つのに。で、(地元の)主治医の先生に往診をお願いしていたんですね。で、来ていただければ、薬が出せると(いうので)。その話と、急に(画像)検査も受けましょうっていうことで、その検査は、その(主治医の)先生ではできないので、こちら(の大きな病院)に行きましょうという流れになったときに、その(家族会の)代表の方が、「わたしも行きましょう」と、「ごあいさつもしたいし」ということで。
で、こっちの(大きな)病院の先生は、地元の家族会の顧問でもいらしたり、その(地元の)主治医の先生は、前頭側頭の本を出してらっしゃる方で、そういうこともあって、何か、結集じゃないですけど、主治医の先生は、途中で、「僕は、もう、行かなくてよければ失礼しましょうか」とおっしゃったんですが「いえ、(家族会)代表の方も来てくださるし」ということで「お願いします」と「じゃ、行きましょう」ということで、わたしも心強いというか。ただ、内心、そんなに皆さんが一生懸命来てくださっても当人が家から出なかったらどうしようとか、車から降りなかったらどうしようという不安もありましたけども。
ま、結果的には、その家族会の代表とわたしと主人(の)3人で(大きな病院の)検査室に行ったときには、もう主人はがんとして受け付けなくって。で、検査の方が、病院の先生を呼んでくださって先生が降りてこられても「嫌だ」と。で、もう、出ていっちゃったり追いかけたりして(笑)。で、そこへ、(地元の)主治医の先生も到着されて、主治医の先生は、説得される感じの方で、「仕事やりたいっておっしゃっていましたよね」と、「これで仕事につなげましょう」と。でも、わたしは、そのころは、もう説得は駄目だと思っていたんで、ご褒美しかなくって、これをやれば何万円もらえるからと、そのほうが、ばっと動くんです、主人が。
で、結局、検査の病院の先生も、「もうこれ、奥さん駄目です、無理ですね」って「あの、注射をして眠らせてっていうのもあるけど、そこまでしなくてもいいでしょう」とおっしゃっていたんですけども、「いえ、いえ」とわたしが言って、病院の前でもわたしは引きさがらず、検査室でも引きさがらす、そうしたら、先生も、主人に「さっきの件、15万はどうしますか」とか、何かこうのってくださって、で、主人も受ける気になったという感じで。そのご褒美でつるみたいな、最終的にはなりました(笑)。

認知症の語り

最初、夫の様子から気が狂ったと思い、どこを受診したらいいかわからなかった。院内紹介で老年科から神経内科に行き、検査を受けたが、診断がつくまで1年間あった

で、階段が上れなくなってきたんです。で、そのうち、わーとか、うーとか、こう、階段の手すりのところを、こう、何て言うの、捕まえて、がん、がちっと固くなってるわけだよ。「どうしたの?」、したら「寄っちゃ駄目」みたいな。「階段滑り落ちてくる。壁が崩れてきてるから、近寄っちゃ駄目」とか言って。「わああ」とか言って叫んでるんですね。だから、普通の<物音>感覚からすると、「どうしたの?」みたいな。あ、その、レビーの症状の、その、知識的なこととか、その、情報がまったくないときに、本当、気が狂ったかと思って。だからまあ、家族は、あの、主人と主人の母と私の3人なんですけど、まあ途方に暮れたというか、最初は。
で、そういうこともあって、とにかくどこを受診していいか分かんなかったんです、最初。なので、院内紹介という形で老年科から神経内科に行って、そのうち検査が始まって、だんだん、その、パーキンソン症状も出てきて、すくみ足とか、すり足とか、前かがみな姿勢とか。でも、お医者さんの前で「歩いてみてください」って言うと、普通に歩くので、「大したことないですね」で、1年間、MCIっていう時期があったんですけど、そこがね、滑ってるんですよね。そのときにもパーキンソン症状出てたんですけど、お医者さんの前に行くと普通に歩くので、確率というか、「まあまあ、様子見段階ですね」って、様子見てるうちに、1年たったころにガクッと。あ、おかしいって。「これはちょっと、本格的に検査したほうがいいですね」の流れで、で、SPECTだとか…シンチテスト(心筋シンチグラフィ)っていうか、検査とか、いろいろやるようになって、まあ、レビー小体型認知症と。でも、全身病なので、レビー小体病というふうに国際的には言われる流れですね、っていうところだったんですね。

認知症の語り

父が脳血管性認知症という診断で2年間通った病院では5分診療で空しく感じていた。ケアマネージャー(ケアマネ)に紹介された開業医に行ってみたら、レビー小体型だとすぐにわかった

私がちょっと体調崩してしまって、あの、母はその間も骨折、って、ちょっと出たり入ったりしてたんですよ。私が体調崩したんで、ヘルパーさんをお願いすることになって、ちょっと、何年っていうのはちょっとず、ちょっとずれがあるかもしれないんですけど、あの、ヘルパーさんが入っていただいたときに、…そのときのケアマネさんが、「今、大きな病院にかかられてるけども、地元にも、その、認知症をよく診てくださる先生っていらっしゃるんですよ」って。「個人で、個人の先生で、開業医でいらっしゃるんですよ」って聞いてたんですね。
だけど、父も私も大きな病院に行ってるのに何で開業医の、先生のほうに行かなきゃいけないのかな、なんて、まあ、ちょっと昔風な考えでいて、で、だけど、大病院のほうは、2カ月に1回行って、簡単な何か動作をして、「はい、じゃあ、また普通に暮らしてください」って(笑)、言われて、その、じゃあ、認知症の人の生活にはどういうふうにね、どういうふうに対処して、どういうふうにしていったらいいのかって、そういう話も一切無く、まあ、あのー、先生の顔を見て、その、待つのは2~3時間、診察は5分みたいな感じで、で、だんだんむなしくなってきて(笑)。
最終的に、「お父さんにちょっといい先生いるらしいから、そこ行ってみようか」って言ったら、父自身も、その、せん妄があったり、それから、動きにくかったり、まあ、どうも自分が今、昔の自分と違うっていうのを、もうずっと思ってるわけなので、で、それを私が言った一言で、「分かった、じゃあ、行ってみよう」と言って、まあ、開業医の、先生のところに伺ってみて。そうしたら、もうそこで、それがもう最初の診察から2年たってまして、…で、まあ、2年間、その、ひどくな、ひどくなったというか、…せん妄とかそういうのに振り回されましたけども、まあ、何とか生活はしてたということになるんだと思います、今振り返ってみれば。
そして、あの、その開業医の先生のところに初めて行って、ドアを開けて、父が先に歩いて入っていったんですが、その姿を見て先生が、「あ、レビー小体病だ」と言ったんです。歩く姿だけで。で、…何? レビーってと。だから、あのー、当時の病名はびまん性レビー小体病という形だったんです。

認知症の語り

母を連れていった最初の病院で、同行していた妹が医師から「あなたたちも大変ね」といきなり言われたことに戸惑いを感じた。今は別のところに通っている(音声のみ)

ただ、その、そのときに一番最初のもう、すぐに、あのー、アリセプト処方されて、「アルツハイマー(型認知症)っぽいね」っていうようなこと言われたときには、先生に、妹が、「あなたたちも大変ね」って言われたらしいんですよ。「あなた方も大変でしょ」っていうことを言われたらしくって。何か、うーん、それを聞いたときに、私はちょっと何か、うーん、でもやっぱり一番大変なのは母なんじゃないかなって思ったんで、その場でそういうことを言う、いきなり言う、別にそういう、あの、ことを、打ち明けた、介護の大変さとか打ち明けたわけではないと思うんですけど、そういうふうに言われたっていうのはちょっと何かなって思って。妹も何か、そこで何かおかしい、おかしいっていうか、何、うん、何かちょっとって思ったらしいですけどね。

―― うん。そんなふうに言われた先生の所に、今もずっと同じように通ってらっしゃるんですか。

あ、違くって、またあの、別の所に通ってるんですね、うん。