投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

夫が突然メールを打てなくなり、うつっぽくなったので、心療内科を受診した。1年ほど経ち、うつではないと感じ始め、脳神経外科で検査を受けてもらうことにした(音声のみ)

まずおかしいなと思ったのは、パソコンのメールの送信の仕方が突然分からないって言い出したんですね。「えー、そんな毎日やってることやのに、どうしたん?」っていうので、「いや、ちょっとおかしいねん」って言い出して、そこが私、一番最初だったような気がします。それと、そのメールのやり方、えーと、何だったかな、学生全員に一斉にメールを送るやり方、個人だけじゃなくて学生の、その何十人もいる学生の中に一斉にメールを送るやり方がちょっと分からないって。で、それをあの、私もそこまではよく知らなくって。で、息子に聞いたりとかして、そういうのが何回かありまして。その後に、何かちょっと、うつっぽくなって、内向的、何て言うのかな、外に出るのもあんまり嫌がってて、学校、大学のほうに行くのも、「あー、嫌だな」みたいなことをずっと言い始めてたので、「おかしいよね」って話して。5月ぐらいに、心療内科のほうに受診したのが、2000…(メモに)書いていますかね、2008年ですね。2008年、平成20年の5月でした。
それで、平成21年になって、ああ、やっぱりうつじゃないなと思い始めたのは、そこからで。それで、神経医のほうに今度変わって、もしかしたら、その若年(性認知症)かもしれない。ま、薬局に行ってるので、そんな情報いろいろたくさんありますので、患者さんとも応対している関係上、うつじゃないなって思い始めて。それで、2009年、平成21年の春に、脳神経外科のほうに行きまして。それで、先生とやりとりしてる間に、まあ、その間も心療内科のほうも行って掛け持ちしながら行ってたんですけれども、やっぱりおかしいっていうので、先生に頼んで、検査の、脳の検査をしてもらったのが、春過ぎて秋でしたかね。2010、2009年の9月に、脳の精密検査をして、それで、アルツハイマー(型認知症)っていう、検査の結果、アルツハイマー(型認知症)の疑いっていう診断が出ました。

認知症の語り

妻がたびたび物を失くすので、脳神経外科を受診したところ、精神科を紹介された。そこで問題ないと言われたが、やはりおかしいので、別の精神科を受診して認知症とわかった

今まで、何でもこなしてた女性が、何度か私に、その、銀行のカードをなくしたとか、銀行のカードを切ってしまったとか、通帳をなくしたとか、もうしょっちゅうそれを言う毎日で、これはちょっと尋常じゃないなということで、駅近くにある、その、脳神経外科に一度行かしてもらって、で、そこの脳神経外科の先生が、理事長さんが、ちょっとこれ、ひょっとしたら、認知症のそういう病気になってはる可能性もあるから、精神科の専門の先生行ってくださいということで。で、2002年の3月ごろに、その精神科の先生に、受診に行かしてもらったんです。
そのときには、まあ、「何も別に変わったことないよ」という形で、(妻が)帰ってきました。私ちょっと、一緒に送っていったはいいんやけど、私、仕事行ってて。1人で帰って。で、家内がもう、1人で病院で受診して帰って。その日の晩に、家内に、「病院どうやった?」言うたら、「うん。先生、何もない、言うてるよ」って、まあ気楽に(笑)、えー、言うてたんで、ま、別にさして問題はないんかなと思って。
だけど、それはちょっとおかしいなと思った。それからの後の行動がね、やはり、あの、おかしいんですわ。通常、今までの生活と違って、1人でぼおーっとしてるのが多くて。暗い部屋で1人でいてたり、返事に答えな、こっちが言ったことに対して答えないとか、そういうことがたびたびあったので、やはりこれは病気やということで、また別の精神科の先生、行かしてもらって。 で、そこの先生いわく、2、3回診察を受けさしてもらったら、奥さん、長谷川式の試験を3回目のときに受けさしてもらったら、先生の答えは、「奥さん、間違いなく認知症や」と。

認知症の語り

母の物忘れに気づいて、ひょっとしたらと思いつつ、もう少し様子見ようかと思ったりして、葛藤しているうちに、病院に行かないで1年ほど時間が経ってしまった

あのー、何か同じことを繰り返すいうイメージですね。何か、あれ、さっきも言うてたのにまた言ってるな、みたいな。ちょっとおかしいなっていうのが、最初僕が受けた感じですね。はい。

―― そんときは、やっぱり何か、まあ年だし、少しは忘れっぽくなるかな、みたいな感じですかね。

はい。それが半分と、さっき申し上げましたように、母親の姉がそういう病気になってましたんで、もう当時。だから、ひょっとしたらっていうのも、何か、でも、その、すぐにこう、検査に行ったりとか専門医に行こうという、アクションを起こさんかったのは何でかっていうと、ま、その辺はちょっとこう、あのー、日が流れたっていうのは正直なとこですね。で、行かなあかんな、でもまあ、もうちょっと様子見とこうかな、みたいな感じで1年間ぐらいは経ったように思います。

―― なんかやっぱり、まあそうかな?と思っても、気のせいかな?とか、そんな感じですかね。

だから、はい。こう、いろいろ、そこは。何か、はい。

―― ありますよねえ。希望としてはそうじゃない方が…

はい。こう、希望としては自分の中で否定してたり、やっぱりそうなんかな?とかいう、こう、葛藤の中で1年が経ったみたいな感じです。はい。

認知症の語り

夫が受診したがらないので、本人が納得するよう症状を書いて説得した。受診先では精神病棟での入院検査を勧められたが、夫のことが心配で外来検査に変えてもらった

もう(夫が病院に)行きたがらなくて(笑)。それ行かせる、息子に言われて「行かなきゃダメだよ」って言われて、それでわたしも何とか行かそうと思うけど(笑)、本人に言えないんですよね。「病院に行ったらどうか」って言うことをね。それで、いろいろ、今までのことをこう思い出して、あんなことができなくなった、こんなことができなくなったっていうのを紙に書き出して、「やっぱり一度行った方がいいんじゃないかな…」とかってね、主人に見せました。それで、「じゃあ行ってみるか」って言ったんだけど、行く気にはなったんだけれども、あのー、(夫の出身大学)関係の病院は嫌だって言うので。(そうじゃない先生のところを)探して。それで、まずは診てもらいましたね。
でも、はっきり、その先生はあのー、(認知症の疑いがあると)言わないんですよね。「そうじゃないでしょうかねえ」ってこう、問診をしてね、言うんですけど、「やっぱり検査しないと分からないですから、検査入院しましょう」って言われて。それで、辞める前の忙しい時だったんですけど、「10日ぐらい、入院してください」って言われたんです。それで、わたしたちは、まあ、しなくちゃいけないものかなと思って、もう入院の準備して、それでその病院に行ったんですよね。そして、案内された所が精神病棟だったんです。
それで、(午後)4時にはもう、あの、面会は終わりで、(午後)9時にはもう(誰も)いない、一斉に薬飲んで寝る。もう「個室をお願いします」って言っても、「個室はありません」って言われてね。うわあ、こんなとこに10日間もいたら、一体どうなるのかしらって、あの、主人は普通の暮らしをまだしてますしね。どうなるんだろうねって、すごい、ちょっと不安になって(笑)。あのー…入院病棟の方にね、もう、「おっしゃるとおりに、検査に通いますから、入院だけはやめてください」ってお願いしました(笑)。そしたら、その方が、その、向こうの先生と掛け合って、それで「じゃあ、検査に来てください」っていうことで。それで、検査に通いました。
それでも、最終的には、「いやあ、分からない」ってその先生が言われるんですよね。それで、主人はもう怒って(笑)、怒って。「こんなに調べても分からないんじゃ、僕のよく知ってる先生のところへ行って、調べてもらうからいい」って言って(笑)。

認知症の語り

夫がうつ病と診断された時も自分は疲れとしか思っていなかったが、薬を飲んでもよくならず、おかしいと思った。病院を4、5軒回って、詳しい検査の結果、診断がついた

家ではあまりそういう感じが見えなかったので、まあ、時々、何か1点を見つめて、ぼうっとしてる時があったので、わたしの場合はもう疲れとしか思ってなかったんですね。新しい部署になって、まあ、その人間関係とかですね、そういうことでちょっと疲れてるのかなって。まさか、彼がね、そういう病気になるっていうのはまったく考えられなかったので、多分、ほんとに自分の中でそういった病気っていうのは、まったく、こう…受け入れられない、部分だったんですけど。
まあでも、あの、4、5軒、病院を回っていったんですけども、最後2軒ぐらいの時は、わたしも一緒に行って、先生のお話をですね、聞いたりとかして、家での様子とか、まあ、そういったことを先生にお伝えしたんですけども。あなたの場合は、「この薬を飲んでれば、まあ、多分、ゆっくり休めてよくなると思いますよ」というふうにですね、言っていただいてたので、ああ、この薬を飲んどけば、このうつ病はね、もうだんだんそのうちよくなるのかなっていうふうに、わたしも、軽く考えていたので、うん。で、本人も、ああ、治るのかと思いながらも、でも、何か変な状態がずっと続くなということでですね、うん。ちょっとまた違う病院に行って、そこでまあ、詳しい検査をしていただいて、「認知症という病気ではないか。うつ病ではなくて認知症という病気ではないか」ということを言われて、そこからですね、またほんとに詳しい検査をしていって、最終的に診断がついたというような形だったんですけど。
あそこに行っても、なかなかよくならないから、こっちに行って、ね。やっぱり先生との、こう、何となく、相性っていうのもあるもんですから、その、話しててもなかなか、受け入れてもらえない部分があったり等して。まあ、ちょっと人伝いに、いい病院を探して、行っていたんですけども。うーん、そこで、話はゆっくりは聞いてくださるんですけども、「まあ、よくなるでしょう」っていうようなね、回答ばかりだったので、それと反比例して体は何かちょっと変だし、仕事も、何となくうまくいかないっていうのがね、あって。どこかないか、どこかないかなっていうような感じで、思って回ってたような感じですね。

認知症の語り

臨床心理士の協力のもと、妻のリハビリをがんばってやってきたが、1年ほどして妻が苦痛を訴えるようになり、心理士に言い出しにくくて転院することにした

もう女房に言わせると、楽しくない、リハビリをね、一つ障害が出始めたら、その障害を少しでもね、ストップかけようかと思って。だから、その臨床心理士の方と、いろいろ相談しながら、だから、私もやっぱり、いろんな提案をするんですけども、いろんな調べた結果とか、あとまあグッズを買ったりとかして。まあ、例えばこういうグッズをこういうふうにリハビリに使えないかとか、そういうのを一応、いろいろ考えて、(臨床心理士の)先生に提案したりとかはしてました。
で、それを忠実に、女房はちゃんとまあ、やってたんですけども、そのうち、だんだんそれに対してやっぱ抵抗するようになって。「もうやりたくない」と、こういうリハビリは。「もうつらいから、したくない」ってことで。で、女房の方からもう、「やりたくない」っていうのはあって、もうけんかになって、毎日けんかになってて。「これ、やらないと駄目なんだ」っていうことでね、けんかしてて。それでもう、その、リハビリやってるときは、やっぱりいつも、けんかばっかりしてました。それもやっぱり、非常にその、まあ、それもやめて…、もうほんとにけんかの連続で、「やらないと進行するんだ」ってことでね、強制的にやらして。それをだから、1年ぐらい。1年ちょっと続いたのかな。
いろんな…いろんな、だから材料、まあ、その(臨床心理士の)先生と考えながら材料作りまして、(妻に課題を)与えて、訓練して。その繰り返しを、ずっと1年ぐらいやってました。それが一番苦痛だったらしくて、だから、(妻の)お母さんがやっぱ死んでから、本格的にリハビリ始めたんですよ。だから、お母さんの看病してるころは、やっぱりあの、なかなかそんなふうには、リハビリもそんながんがんはできなかったんで、亡くなってから、特に本格的にリハビリを始めました。まあ、でも1年間ぐらい、でも本当に、ギブアップしたんで。ついに、病気以上に病気(苦痛)になったんで、今度は。それで、やめました。
だから、そのリハビリをやめるにあたっての、なかなか(臨床心理士の)先生にもう言えなくて。それは、どうやって先生に言おうかなと思っていたら、何か理由をつけようと思って。で、転院を考えたんです、こっそりと。で、「リハビリをもうしたくない」ってことを、なかなかその臨床心理の先生に言うのもちょっと、あんなにもう、僕が提案した、先生もいろんなこと考えてくれて、一緒に頑張ってやってたのに、すごい言い出しづらくて、やめる手として転院を考えたのも、一つの手なんで。

認知症の語り

がんの母親の看病中にうつ症状があった妻は、精神科にかかっていたが、主治医である精神科医からうつ病ではないようだと専門医を紹介され、そこで認知症と診断を受けた

ちょうどその時、妻のおふくろさんと同居をしてまして。おふくろさんが、その大学病院に入院してたんですけども、がんで。それが、がんの看病してたんですけども、本人が。その同じ大学病院で、精神科に通院してて。だから、最初やっぱりあの、看護疲れとか、やっぱりもう、結構しんどいがんだったんで、そのやっぱり影響かなという、最初は本人も、たぶん先生も思ったと思うんですよね。それでやっぱり、うつに、なったんじゃないかっていうことで、そういうのが、あったと思うんです。だから、認知症の障害としては、その先生、全然考えなかったらしいんですよね、まったく。想定してなかったらしい。だから、あくまでもその介護疲れ、看護疲れとか、そういう、ま、いろんなそういうので、やっぱりちょっとショック受けて、うつになったんじゃないかという診断を受けてます。でも、それだけじゃ、本人はなかったような、何か違うということがあったみたいで。で、いろんな検査とか、薬はうつ関係のいろいろな薬飲んでても、まったく改善しなかったらしい、しなかったんで。で、先生もやっぱ「おかしいな」ということだったみたいです。

―― で、半年後に、そのご主人にちょっと相談があるって。

はい。今までこういう経緯で、こういう検査して、こういう薬飲んだけれども、まったく効果ないんで、ちょっとうつ病ではないんだろう。違うんではないかと思うけれども、よく分からないので、自分のよく知ってる、もっと専門の先生を紹介したいんでってことで、一応紹介されました。

―― その時はどのような検査とか、診断とか受けて・・・。

ええとですね、まあもちろん、そういう神経、心理的ないろんな、さまざまなテストとか、あとは脳のもちろんSPECTから、MRIとか全部、脳のやっぱりいろんな検査をそこでして。で、3カ月ぐらいの検査の後に、実はアルツハイマー病(アルツハイマー型認知症)ではないかということで診断を受けました。

認知症の語り

市立病院で聞いた診断が受け止められず、専門外来に行った。診断に違いがあり、設備やメンタル面のサポートにも、病院間で差があるため、2カ所を使い分けて通院している(音声のみ)

健康保険組合のほうから、えー、心療内科のある市立病院なんですけど、そこを紹介していただいて、紹介状書いていただいて、そこに行って検査をしたんですね。ま、MRIだとか、脳波とか、何か5つぐらいやったのかな、5つぐらいの検査をしたところ、あの、診断が出まして、若年性アルツハイマー(型認知症)ですと、海馬が委縮が見られるんですっていう診断をいただいたっていう感じです。
そのときは、えーと、「中ぐらいですか、ね」っていうふうに言われたんですけども、何か、ちょっと、あまり、こう、…わたしたちも受け止めることがなかなかできなくって、うそだろっていうところもあったので、そのあとに、若年性アルツハイマー(型認知症)の専門の外来があることを友達から聞きまして、で、そこのほうにお電話して、紹介状はなかったんですけども、何でしょう、ファックスで問診のやりとりをして診ていただけることになって、そこで、セカンド・オピニオン的なかたちで診ていただいたんです。そのときには、初期っていうふうに言われたんですね。
だから、こう、お医者さんによって、診断の何ていうんでしょう、あれが違うっていうのもあるし、で、あの、長谷川式っていう、あの、筆記とかのテストありますよね、あれも、点数が、えーと、(テストをしたのは)2カ月ぐらいしか違わないのに、(結果が)ぜんぜん違っていて、市立病院でやったときには、何かわたしはそこには立ちあっていなかったんですけど、16点だったんです。で、もう、(専門の外来では)23点だったんですよ。だから、何かそれもやり方とか、環境ってありますよね、それをやる部屋の環境?実際、市立病院だとほんとにわさわさした中で、先生がいつも外来の患者を診るお部屋の中の、わさわさした環境の中で、何かこう時計とか見せながら、こう何かやっていたんですけど、(専門の外来では)ほんとにそういうちゃんとお部屋があって、こぎれいな中でゆっくりした環境の中でそれをやらしてもらえるんですよ。だから、何か、やっぱそういう環境の違いで、病院の診断も変わるんだなってすごいわかりました。うーん。

―― あの、ご自身たちの感覚としては、そのあとから行かれたほうがぴったりくるっていう感じですかね。

今、実際、使い分けているんです。市立病院ですと、そういう、家族の、こう気持ちとか聞いてもらえるような余裕がないんですよ。あの、お薬をくれて、ほんと3分間診療ですよね。だから、本人の問診をするだけでいっぱいいっぱいで、あと、お薬をくれるだけで。でも、こういう病気ってメンタルな部分でいうと、本人も大変なんですけど、家族のほうは最初ってすごくパニクるので、家族として、あの、診てもらいたいところもあって、その専門外来の、ところに行ったときに、一番最初は20分ぐらい話を聞いてくれて、で、わたしのほうの話を聞いてくれたりとかがあったので。今、使い分けているのは、そういう、こう、何ていうんでしょう、気持ちの部分でのしん、診断(診察)とか、あと、やっぱり大きい病院ですので、先進医療の情報とかは入ってきますよね、治験とか。そっち(市立病院)はもう定期的な、ま、診断(診察)とお薬をもらうっていうふうに分けて、使い分けています(笑)。

認知症の語り

これを飲めばよくなりますと医者に言われたが、状態はどんどん悪くなり、自分はうつではないと思った。気分は楽しいけど、できたことが急にできなくなり、俺は誰だ?と感じた

―― 認知症というふうに診断される前に、うつ病というふうなことで、医療機関にかかられたって伺ったんですけれど、そのときはどういう感じだったんでしょうか、最初。

ええ、4カ所ぐらい(の病院)に行きました。ほんで、「これを飲めばよくなる、よくなります」ということを言って、あの、お医者、あのー、そのお医者さんがですね、「飲めばよくなります」って、「よくなります」と言いますから、「はい、そうですか」って(うつの薬を)飲んでたわけですね。で、全然よくなることよりも、どんどん悪くなっていくっていうんですかね、そんなことですね。

―― それで、これはうつ病じゃないんじゃないかっていうふうに思われたんですかね。

ええ、普通は、まああの、普通のお医者さんに行くと、「うつ病」って言われたからね。それで、わたしはですね、あの、生活をしていって、いつでも楽しくあり、で、人の前で、えー、指示をできる。「お前、おかしい」とか、きちっとできることはできるんですよ。だけど、とくぜん(突然)、できなくなったですかね。急にです。「ああ…」、もう、こうなって(うつむいて)。ほんで、言葉悪いんですが、「おれは誰だ?」ってね、本当そう思いました。何が何か分からないんですね。

認知症の語り

診断の1年半くらい前から母は怒りっぽくなっていたが、あるときものすごい形相で後ろから殴りかかってきたことが気にかかり、専門家に診てもらうことになった(音声のみ)

それから、2010年の夏ですから、診断まで1年半ですか、その間に、やはりというか、その変化がありまして、すごく、こう、怒りっぽくなったんですね。うーん、感情が、こう、…あふれかえってきて、もう、ぎゃあっと声を出したり、あと、物にあたったり、……こういう、机と椅子とか壁とか、そういうところにも手を打ちつけて怒ったり、そういう時期がずうっと続いて。で、あまり、小まめに自分の感情を表現する、表現して発散するタイプじゃ、若いころからなかったものですから、わたしとしては、ちょっとためこんで、ちょっとヒステリックになって、そういうふうになることが若いころからあったもんですから。まあ、やっぱり、それもその延長線上で、年をとって、そういうふうになっているみたいな、感情が抑えられなくなって、あのー、極端なかたちで出ているだけなんだって。それでも、1年半ぐらい思っていたんです。……。
そうしましたら、えーと、…去年ですね、去年の、夏か秋か、これも、そのころですね、ですから、姉が、予約(注:一度専門医の予約を取ったがキャンセルしている)をとってくれたときから1年ぐらいしたときなんですけれども、やっぱり感情的に怒ったことがあって、そのとき、わたしが母に対して背中を向けているときに、背中から殴りかかってきたんです。で、わたしは、とってもそのとき驚いて、「人が背中を向けているときに、殴りかかってくるなんて、なにごと?!」って言って、母の両腕をこう正面からつかんで、目を見てもうすごく怒ったんですよ。そうしたら、母の、こう、何か、うーん、言い知れぬ感情を、こう…抑えて黙ってしまっているというか、…黙って、わたしのことを、こう、一生懸命見ている、わたしの目を一生懸命見ているんだけれども、自分の中にある感情を、とても言葉では説明できないっていうような感じの顔で、にらみつけるというか、すごい表情というより、形相ですね、形相で、人を、こう、…見つめたまま黙ってしまったんですね。
そのことが、わたしの中で、ちょっと…ずうっと気になってまして。やっぱり、おかしいんじゃないかって。で、姉と会ったときに、「いやあ、こういうことがあった」って言ったら、姉が、「やっぱり、わたしはそれはおかしいと思う」って「一度ね、専門家の方に、認知症の専門家の方に診てもらうべきだ」っていうことを、強く言いまして、わたしも、それに説得されて、「じゃ、…やっぱり、予約をお願いね」ってことで。