診断時:51歳
インタビュー時:61歳(2016年2月)

システムエンジニアとして仕事に追われる中、1987年に体調不良で休職。その後、休職と異動を繰り返すうち、2005年配送先で道に迷う、台車を置き忘れるなどが増え、精神科でアルツハイマー型認知症と診断された。当初は、認知症に対する誤解と偏見から絶望の日々を送っていたが、今は、認知症は不便であっても不幸ではないと思える。講演活動や当事者会の活動を積極的に行う。2015年、61歳を機に、ケアハウスに転居するも、iPadなどのIT機器を生かし単身生活を続けている。クリスチャン。

プロフィール詳細

M.S.さんは、中学校の数学教師を経て、1978年24歳の時に東京のコンピュータシステム販売会社にシステムエンジニアとして入社する。1987年、仕事の忙しさに加え、マンションの管理組合や会社の労働組合の役員の活動が重なり体調を崩し、休職する。その後も復帰と休職を繰り返し、事務職を経て配送グループに配属された。生きている意味を問うなかで聖書と出会い、1994年洗礼をうけ、クリスチャンとなった。

配送先で道に迷ったり、台車をユーザー先に忘れたりすることが増え、不安な日々を過ごすようになる。2005年10月精神科でCT検査を受け、アルツハイマー型認知症と告げられた。思いもよらぬ診断に頭が真っ白になり、質問すらすることができなかった。認知症の本をあさるように読んだが、「発症から6年〜10年で全介護になる」など悲惨な情報に絶望し、2006年2月、25年間勤めた会社を退職した。

同年4月に父が亡くなり、6月に記憶を委ねていたパソコンが故障しパニックに陥った。見かねた弟の判断で郷里の兄の元に帰った。M.S.さんは、「私の気が狂うことが神の御心ならば、私はそれを受け入れます」と祈り、神にすべてを委ねることで心に平安が戻り、眠りにつくことができた。教会に通うために、郷里から自宅に戻った。その後、主治医からはグループホームへの入居を勧められたが、教会に通うことを優先して自宅マンションでの単身住まいを続ける決断をした。

認知症にともなう生活上の困りごとには日々直面するが、不自由に感じた体験はその都度書き出し、自分にできる工夫を考え書き留めた。失った能力を嘆くのではなく、残された能力に感謝して生きるように心がけた。認知症についての講演や支援組織の集まり、当事者の交流会に参加し多くの仲間を得、苦しいのは自分だけではないと励まされてきた。いまでは、「認知症は不便であっても不幸ではない」と思える。認知症と診断されれば何もできなくなるという誤解や偏見は、認知症と診断された人自身から、認知症と生きようとする力を奪ってしまう。2014年には、「認知症になってから希望と尊厳をもって暮らし続けることができ、よりよく生きていける社会を創りだしていくこと」を目的に、認知症当事者によるグループ「日本認知症ワーキングループ」を仲間とともに発足させた。

2015年6月、食事の準備などができなくなり、市の外郭団体が経営するケアハウスに入居。今もパソコンや携帯電話などのIT機器を活用して講演活動を続け、四季折々に咲く花を見に出かけ、iPadに記録する日々を送っている。

私は: です。

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