インタビュー時:61歳(2010年2月)
関係:長女(実父母を介護)
診断時:父82歳、母80歳が診断されたのは長女が54~56歳の頃
2002年に父親が脳血管型認知症と診断され、2年後には母親もアルツハイマー型認知症と診断された。ともにアリセプトを内服しているが、母の場合は父よりも進行が急速だった。発病当時、両親は2人だけで暮らしており、長女は隣県に住んでいたが、遠距離介護を行うためフルタイムからパートへ仕事を変えた。さらに次女・三女が仕事を変えて実父母と同居することになり、2007年からは4人で暮らしている。週3回デイサービス利用。
プロフィール詳細
C.F.さんは甲信越地方に住む主婦。パートタイムの仕事をしながら、両親の遠距離介護をしている。最初に診断を受けたのは、父だった。認知症と診断される3年前から、些細な内容で頻繁に会社まで父が電話をかけてくるようになった。電話で友人に同じことを繰り返し聞いているのを見て、ただの物忘れではないと気づいた。間もなくお金の計算や支払いをしたこと自体を忘れるようになり、日常生活に支障をきたすようになった。父親は過去に脳梗塞になったことがあり、神経内科を受診し、2002年に脳血管型の認知症と診断された。アリセプトの内服を開始してからは、病状の進行はかなり緩やかになった。
しかし、今度は母親がアルツハイマー型認知症を発症した。働き者の両親だから絶対に認知症にはならないと思いこんでいたので「まさか」と思った。得意の料理もできなくなり使った調味料もわからなくなった。母の認知症は父を追い越して、子どもの顔も分からなくなるのではと心配になるほど悪化した。
父と母の認知症は全く違っていた。父は5分前のことも忘れてしまうが、理解力が保たれているのでその時々の会話の受け答えはしっかりしていたが、母は理解力そのものが落ちてきていた。長女のC.F.さんはこういう状況になった時は両親を介護するつもりでいたし、「悔いのないように行っておいで」と夫の理解も得ていたので、仕事をフルタイムからパートタイムに切り替えて遠距離介護を始めた。両親の認知症の進行とともに、二人の妹が職場を変更して両親宅に入ったが、長女C.F.さんは隣県の両親宅まで遠距離介護を継続し、姉妹3人で協力しあって介護日程を調整し、介護が一人に集中しないようにした。
C.F.さんは「私には長女の責任がある。妹たちのためにも頑張ろう」と思っている。すでに介護経験のある人たちから情報を得てケアマネジャーに相談に行って介護保険や費用のことなどとても助けになった。困っていることを周囲に伝えることで、より多くの助けや情報が得られたと感じている。受診する病院についてはとても迷ったが、その方面には詳しい妹を全面的に信頼して任せている。まずは専門医に行って診断がついた後にホームドクターにかかったことがよい結果につながった。けれども自分の親の介護は感情が入ってつらいものだ。教科書に書いてあっても、良くなるかもしれないという期待との葛藤や、自分の将来を見ているような切なさが今でもある。
妹が介護しているのを見て「ひどいこと言って。もっとやさしくできないのか」と思うが、C.F.さん自身が介護していると爆発してしまう。母と言い合いになった時「子どもだから介護するのはあたりまえだ」と言われたときはきつかった。「親がそんな100%子どもに甘えていいの」という気持ちが一気に出てしまうことがあった。そんなことが父とも母とも1回ずつあってつらかった。「ごくろうさま」といわれると、わかってくれていると思えるので、自分にご褒美を、例えば「これが終わったら羊羹を食べよう」などと常に考えるようにしている。今はいつも時間に追われている。夫と山歩きや温泉旅行をしたいという希望がある。
しかし、今度は母親がアルツハイマー型認知症を発症した。働き者の両親だから絶対に認知症にはならないと思いこんでいたので「まさか」と思った。得意の料理もできなくなり使った調味料もわからなくなった。母の認知症は父を追い越して、子どもの顔も分からなくなるのではと心配になるほど悪化した。
父と母の認知症は全く違っていた。父は5分前のことも忘れてしまうが、理解力が保たれているのでその時々の会話の受け答えはしっかりしていたが、母は理解力そのものが落ちてきていた。長女のC.F.さんはこういう状況になった時は両親を介護するつもりでいたし、「悔いのないように行っておいで」と夫の理解も得ていたので、仕事をフルタイムからパートタイムに切り替えて遠距離介護を始めた。両親の認知症の進行とともに、二人の妹が職場を変更して両親宅に入ったが、長女C.F.さんは隣県の両親宅まで遠距離介護を継続し、姉妹3人で協力しあって介護日程を調整し、介護が一人に集中しないようにした。
C.F.さんは「私には長女の責任がある。妹たちのためにも頑張ろう」と思っている。すでに介護経験のある人たちから情報を得てケアマネジャーに相談に行って介護保険や費用のことなどとても助けになった。困っていることを周囲に伝えることで、より多くの助けや情報が得られたと感じている。受診する病院についてはとても迷ったが、その方面には詳しい妹を全面的に信頼して任せている。まずは専門医に行って診断がついた後にホームドクターにかかったことがよい結果につながった。けれども自分の親の介護は感情が入ってつらいものだ。教科書に書いてあっても、良くなるかもしれないという期待との葛藤や、自分の将来を見ているような切なさが今でもある。
妹が介護しているのを見て「ひどいこと言って。もっとやさしくできないのか」と思うが、C.F.さん自身が介護していると爆発してしまう。母と言い合いになった時「子どもだから介護するのはあたりまえだ」と言われたときはきつかった。「親がそんな100%子どもに甘えていいの」という気持ちが一気に出てしまうことがあった。そんなことが父とも母とも1回ずつあってつらかった。「ごくろうさま」といわれると、わかってくれていると思えるので、自分にご褒美を、例えば「これが終わったら羊羹を食べよう」などと常に考えるようにしている。今はいつも時間に追われている。夫と山歩きや温泉旅行をしたいという希望がある。
インタビュー家族01
- 用もないのにたびたび父から電話がかかってきたのは、今から思うと認知症のはじまりだったのかもしれないが、その時はわからなかった
- 両親が検査を受けるときは妹が連れて行ってくれたが、説明してもどうせ忘れるのに、行く前にきちんと説明していたのに感心した
- 認知症の両親は降圧剤をはじめとして様々な生活習慣病の薬を飲んでいたが、高齢なので、父は前立腺の薬と認知症の薬、母は認知症の薬だけに絞ることにした
- 脳血管性認知症の父は電話の受け答えもでき、その時々の理解力はあるが、5分前のことを忘れてしまう。アルツハイマー型認知症の母は理解力そのものが落ちてきた
- お金を払ったかどうかわからなくなる。おれおれ詐欺が心配で通帳と印鑑を預かった。見舞金なども変なところにしまいこんでいた
- 父が喫煙者なので、離れて暮らしているとタバコの不始末による火事のことが心配だった。夫には認知症になる前にタバコをやめたほうがいい、と話している
- 父にひどいことを言ってしまったときも、父は覚えていないのだから、自分が女優になったつもりで気持ちを切り替えて、やさしくしたり父が喜ぶ話をする
- これから私たちの顔がわからなくなったとき、自宅で最後まで看取るか、施設に預けるか、姉妹で話し合っている
- 当初は、三姉妹が通いで2人暮らしの両親を見ていた。遠方に住む妹たちとの役割分担は性格や仕事の状況を加味して、1人に集中しないよう半年くらいの日程を組んで介護した
- 最終的には職場を変更して妹2人が認知症の両親と同居することになった。重い荷物を背負わせてしまい、妹たちが体を壊すのではないかと思うと心配で涙が出てしまう
- 実家の両親のところに介護をするために頻繁に通っているが、自分の場合は環境が整っていて、夫も姑もいい人で快く送り出してくれるので感謝している
- 舅が療養中、介護をしている友人に助言をもらっていた。両親のときにそのことが役立ってスムーズにいった。介護の情報は自分から困っていると開示することが重要だ
- 両親は二人ともよく体を動かしていたので、身体的な病気になることはあっても認知症には絶対ならないと思っていた
- 働きながら介護している友人は上手にヘルパーさんを利用しているが、私の両親は他人が家にいるとパニックを起こすので、自分が勤務日数を減らすしかなかった
- 同じ介護をしていても他人が悪くなっていくのは客観的に見られるが、自分の親だと感情が入りすぎる。自分がこれから行く道を見せてもらっていると思うと切なくなる
- 母や父に「子どもが親の面倒を見るのは当たり前だ」といわれたときは、「親が100%子どもに甘えていいの?」という気持ちで、思わず言い返してしまった
- 一人で見ていたらつい手が出てしまうのではないか。普通に触っているつもりでも力が入ると叩いていることになる。だから介護は一人ではできない
- 両親は延命措置はしたくないと言っているし、自分もそうしたい。このまま穏やかにできるだけ自然な形で枯れていけたらいいと思っている