インタビュー時:61歳(2012年2月)
関係:夫(妻を介護)
診断時:妻60歳、夫60歳

2007年に妻が解離性障害と診断され、2011年には前頭側頭型認知症と診断される。妻と個人事業を営む長女、次女と双子の孫の6人暮らし。別居の長男がいる。夫は2009年胃がん、2010年白血病を患い、入退院を繰り返した。次女は介護施設に勤めている。妻は要介護2でデイサービス週2回利用。家族会は、同じ悩みを抱えた人と話ができる機会になっている。
※インタビューは家族21さんと妻(認知症と診断を受けたご本人)、長女の3人が同席して行われました。

プロフィール詳細

近畿地方在住のJ.W.さんは団体職員として勤務。2006年以前から妻は不眠や食欲・意欲の低下に加え「死にたい」と口走る等の状態が続いていたが、更年期からくるうつと思い内科に通院していた。2007年に紹介を受け大学病院の精神科を受診し、解離性障害と診断された。以来、2011年まで月1度の割で診察を受け、薬をもらっていた。

一方、J.W.さん自身も2009年2月に人間ドックの健診で胃がんが発見され、胃の2/3を摘出、翌年2月には白血病治療のため9月まで入退院を繰り返した。J.W.さんの入院中、妻は一人で電車に乗って見舞いに来てくれて、2009年6月頃までは家計簿や日記をつけ、家事もこなしていた。

2010年6月頃から、家計簿を付けなくなり、トイレットペーパー丸々一本使ってトイレをつまらせたり、お酒と薬を飲んで昼夜逆転して朦朧としていたり、家の鍵をなくしたり、火の元、戸締まり、お金の管理もあやしくなった。軽度の自動車事故や車を止めたことを忘れての駐車違反等が続き、2011年3月、認知症の疑いもあり、生活を正し、家族の休息も必要との判断から、約25日間検査入院した。SPECT等の結果、前頭側頭型認知症で、治らない病気だと説明を受けた。自分自身の大病の後でもあり、J.W.さんはこれで妻を「怠け者」と思わず、もう少し優しくなれるかなとホッとしたくらいであった。その帰りに病院近くの本屋で、認知症の本を何冊か買い求めた。

前頭側頭型認知症がわかるケアマネジャーは少なく、介護施設にパート勤務中の下の娘のツテで精神科のある病院に併設された老健施設のケアマネジャーにお願いし、同時にその病院の精神科医に主治医になってもらい、要介護2の認定を受けた。

元来、妻は卓球等のスポーツが好きで活発で明るく、落ち込んでいる家族を励ます一家の太陽のような存在であり、J.W.さんも温和な性格であった。それが、病気が分かった後でも「えらい、えらい」と辛さを訴え続けられるとつい我慢できずに、J.W.さんは妻を叩いてしまう。妻は、「何で怒られるのかわからん」と嫌がる。施設の人のように患者さんとして接すればよいのだろうが、家族には難しい。怒ったり叩いたりした後は、自分を責めて落ち込んでしまう。介護中心の生活なので、自分の楽しみをしながら、介護しないといけないと思う。ホームページで家族会を知り、昨年の花見の会から参加している。家族会で同じ悩み抱えた人に話を聞いてもらうと一番心が落ち着く。

最近、妻は雨が降っても寒くても日課のように神社に参り、写経をし、常に家族の誰かの心配をしている。デイサービスには週2回通っているが、お年寄りやどこか身体の悪い人ばかりで、妻は行くことを嫌がる。リウマチ、逆流性食道炎、股関節臼蓋形成不全等の持病があるが、薬は精神安定剤を寝る前に服用しているだけである。妻は家にいるのが退屈で駅まで20分の距離を何度も往復しながら家族を迎えに行っている。一人でいるときに見守りが出来る体制があるとより安心だと思う。

私は: です。

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