インタビュー時:56歳(2012年8月)
関係:妻(夫を介護)
診断時:夫58歳、妻53歳
診断される1年ほど前から夫の異変を感じていたが、2009年に前頭側頭型認知症と診断される。夫と介護者、娘と息子の4人暮らし。その後、夫はコンビニなどのトイレからトイレットペーパーを持ち帰ることが続き、2012年警察に保護されたこともあった。なるべく夫の習慣に合わせて対応を工夫してきた。現在は若年性認知症の人を受け入れるデイサ-ビスに週5日通っており、夫に合った対応をしてくれているので、嬉しく思っている。
プロフィール詳細
F.D.さんは首都圏在住の主婦。夫は、元来几帳面な性格で、大手メーカーの技術系管理職をしていた。ガーデニングが趣味で、近隣に苗を配ったり講座を企画したりしていたが、2008年ごろから急に段取りや要領が悪くなり、たった今、苗を配った家がわからなくなったり、イベントの事前のセッティングでもたもたしたりするようになった。また、食べたいものを子どものように要求するといったわがままや定時前に帰宅してしまうことも頻繁になった。ごみ問題で規則を守らない人に強く抗議しすぎて、近所とのトラブルがおきることもあった。このようなおかしな行動が増えて、隣に住む夫の父親が精神病を疑うほどの変貌ぶりだった。
最初アルコール依存症を疑ったが、専門病院でピック病*を疑われ、2009年5月に大学病院神経内科で画像検査により前頭側頭型認知症と診断された。その後、前頭側頭型認知症に詳しい医師をF.D.さんが見つけたが、数回通っただけだった。8月には、夫の父親が肺炎で急死したが、危篤の病床で嫌いだった甘いものをパクパクと食べ、資格試験の問題集を出して勉強する等の異様な行動をとり、葬儀でも喪主としての役割も果たせない夫の姿があった。1年間休職の後、定年を前に病名を会社に告げることもないまま退職に至った。
何時に起きて、どこに行くという決まった生活をするのがこの病気の特徴で、午前中はドライブと散歩で歩行数を日記に付け、午後はフライドチキンを食べビールを飲み、試験は受けに行かないのだがDVDで資格試験の勉強をする日課がしばらく続いた。身だしなみにも気を使わなくなり、2年間風呂に入らず、歯磨き、ひげそりもしなかった。家族会で聞いたことがあったので、夜中にシャツのボタンやパンツのゴムを切っておくと、朝、夫は目覚めて仕方なく着替えていた。マイペースで3年間過ごしていたが、コンビニなどのトイレからトイレットペーパーを持ち帰ることが続き、2012年5月、警察に保護される事件を機に、F.D.さんは問題行動を解決しようと動き出す。
参加していた家族会では,問題行動を軽減するためのリセット入院など多くの情報を得た。家族会の代表は3年ぶりの検診にも付き添い、夫の気を紛らわしたり、関心を惹いたりするのに一役買ってくれた。6月からは若年認知症に対応可能なデイサービスも見つかった。フライドチキンの箱の中に天ぷらを入れて食べさせてくれたり、知り合いの何とかさんがお待ちですよというような夫が納得して動いてくれる言葉かけを探してくれたり、根気強い対応がありがたい。今では週5日10時半から16時まで過ごしている。
病院で、メマリー、パロキセチン、抑肝散を処方されたが、現在、抑肝散は中止している。効いているかは正直わからない。外出時には必ず鍵をかける習慣の夫は、鍵が見つからないと出歩くこともなく家で留守番をしている。いつまで有効かはわからないが、本人の習慣やルールを上手に活用するのがむしろ効果的と感じている。また、F.D.さんも合唱サークルに参加してストレス発散するなど自分の時間を作り出すコツがわかりはじめてきている。ただ、糖尿病のある夫にとって、散歩や徘徊を禁じることが持病の悪化に直結することが心配の種でもある。
夫が診断されてから、息子と娘がどういうふうに受け止めるかという心配がいつもつきまとってきた。夫の症状の変化をみていくことは子どもたちにとって重荷となり、将来結婚においてもハンデになるのではと思う。それでも子どもたちが強くたくましく生きていってくれることを祈っている。
*ピック病は前頭側頭型認知症の一つのタイプです。
最初アルコール依存症を疑ったが、専門病院でピック病*を疑われ、2009年5月に大学病院神経内科で画像検査により前頭側頭型認知症と診断された。その後、前頭側頭型認知症に詳しい医師をF.D.さんが見つけたが、数回通っただけだった。8月には、夫の父親が肺炎で急死したが、危篤の病床で嫌いだった甘いものをパクパクと食べ、資格試験の問題集を出して勉強する等の異様な行動をとり、葬儀でも喪主としての役割も果たせない夫の姿があった。1年間休職の後、定年を前に病名を会社に告げることもないまま退職に至った。
何時に起きて、どこに行くという決まった生活をするのがこの病気の特徴で、午前中はドライブと散歩で歩行数を日記に付け、午後はフライドチキンを食べビールを飲み、試験は受けに行かないのだがDVDで資格試験の勉強をする日課がしばらく続いた。身だしなみにも気を使わなくなり、2年間風呂に入らず、歯磨き、ひげそりもしなかった。家族会で聞いたことがあったので、夜中にシャツのボタンやパンツのゴムを切っておくと、朝、夫は目覚めて仕方なく着替えていた。マイペースで3年間過ごしていたが、コンビニなどのトイレからトイレットペーパーを持ち帰ることが続き、2012年5月、警察に保護される事件を機に、F.D.さんは問題行動を解決しようと動き出す。
参加していた家族会では,問題行動を軽減するためのリセット入院など多くの情報を得た。家族会の代表は3年ぶりの検診にも付き添い、夫の気を紛らわしたり、関心を惹いたりするのに一役買ってくれた。6月からは若年認知症に対応可能なデイサービスも見つかった。フライドチキンの箱の中に天ぷらを入れて食べさせてくれたり、知り合いの何とかさんがお待ちですよというような夫が納得して動いてくれる言葉かけを探してくれたり、根気強い対応がありがたい。今では週5日10時半から16時まで過ごしている。
病院で、メマリー、パロキセチン、抑肝散を処方されたが、現在、抑肝散は中止している。効いているかは正直わからない。外出時には必ず鍵をかける習慣の夫は、鍵が見つからないと出歩くこともなく家で留守番をしている。いつまで有効かはわからないが、本人の習慣やルールを上手に活用するのがむしろ効果的と感じている。また、F.D.さんも合唱サークルに参加してストレス発散するなど自分の時間を作り出すコツがわかりはじめてきている。ただ、糖尿病のある夫にとって、散歩や徘徊を禁じることが持病の悪化に直結することが心配の種でもある。
夫が診断されてから、息子と娘がどういうふうに受け止めるかという心配がいつもつきまとってきた。夫の症状の変化をみていくことは子どもたちにとって重荷となり、将来結婚においてもハンデになるのではと思う。それでも子どもたちが強くたくましく生きていってくれることを祈っている。
*ピック病は前頭側頭型認知症の一つのタイプです。
インタビュー家族31
- 好きな食べ物を子どものようにねだる夫に対して、冗談半分で「前頭葉が委縮しているんじゃないの?」と言ったが、検査を受けたら本当にそうだった(テキストのみ)
- 前頭側頭型認知症と診断された後、夫は病院に行かなくなった。3年ぶりに検査が必要となり、主治医や家族会の人までもが協力してくれて何とか病院に連れていった(テキストのみ)
- 長谷川式認知症スケールが診断時は満点に近かったが、今は7点になっている。医師はピック病患者は検査に協力的ではないので、点数ではわからないと言う(テキストのみ)
- 診断は問診と画像診断でついた。家族会で聞いた話では遺伝子診断もあるらしいが、夫がそこまで受けてくれるかわからない(テキストのみ)
- 検査中でもすぐに起き上がって帰ろうとする夫を、主治医や家族会の人と「今日受ければ10万円もらえるから」となだめすかして受けてもらった(テキストのみ)
- メマリー、抑肝散、パロキセチンの三種の薬を飲んでいる。今は家に閉じ込めているので薬はなくてもいいかもしれないと思うが、主治医に飲み続けるように言われている(テキストのみ)
- 強迫的な常同行動を抑えようと、メマリーと抑肝散にパキシルのジェネリックを追加してもらったが、突然眠ってしまうようになったので、今は抑肝散をやめている(テキストのみ)
- ゴミ出しのルール違反者への抗議がエスカレートして、迷惑防止条例に触れるほどになり、人から勧められて病院に行ってピック病と診断された(テキストのみ)
- 危篤状態の義父の横で、夫がお菓子を食べながら資格試験のための勉強を続けていたのは異様な光景だった(テキストのみ)
- 午前中ドライブして、家に帰って散歩してフライドチキンを買ってきて、ビールを飲みながら受験勉強をし、夕方また散歩に行って寝るのが夫の日課だった(テキストのみ)
- デイサービスの送迎車のところまで車で夫を送っていくのだが、自分で運転をしたがるので、毎回いろんな理由をつけて説得しなくてはならなかった(テキストのみ)
- コンビニのトイレからトイレットペーパーを持ち出して警察に通報されたが、店長が映画『明日の記憶』を見ていたので、理解を示してくれた(テキストのみ)
- 夫が持ち出したペーパーをこっそり女子トイレに返していたが、男子トイレの紙が足りなくなるだろうと思い、ショッピングセンターの総務に電話をして事情を説明した(テキストのみ)
- 本人が受診拒否していたので、物を持ってくることをやめさせられないと思っていたが、警察に保護されたことをきっかけに受診して、認知症の薬を処方してもらえた(テキストのみ)
- リセット入院とは認知症の人が持って来たくなるものがない環境で短期間入院して行動パターンを変えるというものだが、自分たちが住む町ではやっていない(テキストのみ)
- ピック病の夫は入浴を拒み2年間もお風呂に入っていなかった。着替えもしないので、寝ている間にシャツのボタンやパンツのゴムを切って無理やり着替えさせた(テキストのみ)
- フライドチキンの箱にお弁当を詰めたり、箱の手前に用意してあったおかずを置いたりして馴らして行くと、夫は箱がなくてもデイサービスの昼食を食べられるようになった(テキストのみ)
- 脳の何かの反射でいつも缶ビールを口に当てていたいだけなので、ビールを水に入れ替えても「ああー」と気持ち良さそうに飲んでいる(テキストのみ)
- ピック病の夫は10時を過ぎないとフライドチキンは販売しないのに、毎日7時くらいに出かけては「まだだった」と帰ってきて、再び出かけていく(テキストのみ)
- 夜7時ごろ散歩に出かけた夫は遠方まで歩いて行って帰れなくなった。夜明け近くに保護されて帰ってくる夫を警察署で待つのは嫌な気分だった(テキストのみ)
- 夫は防犯意識が強く家に鍵をかけずに出かけることはないので、自分が外出するときに鍵がないと言えば夫は家を空けない(テキストのみ)
- 家族会には子どもたちの集まりがあり、娘も認知症の親を持った子どもと話してみたいと言っていたが、忙しくて行けなかった(テキストのみ)
- 前頭側頭型認知症の人は「あずかれない」と言われることが多いようだが、夫は最初に問い合わせたデイサービスの施設で受け入れてもらうことができた(テキストのみ)
- 夫は前頭側頭型の相貌失認という症状で、近所の人に会っても挨拶しなくなっている。説明のしようがないし、どこかに引っ越してしまいたいと思うこともある(テキストのみ)
- 夫が定時より早く会社から帰ってくるようになった。有給休暇の消化だと言うが、頻繁なので、会社でうまくいっていないのかと思った(テキストのみ)
- 会社にはしばらくは人事部付で在籍できたので、転職するつもりで勉強していたが、結局病名も言わないまま退職した。円満退職を迎える方法もあったのではないかと思う(テキストのみ)
- 以前は情より知という感じの人だったが、今は何かにつけ「愛しているよ」と言う。二人のなれ初めや子供の名前を誰がつけたかなど聞いて、原点に返っているようだ(テキストのみ)
- 数年間、夫の言動をおかしいと思っていたので、前頭側頭型認知症と診断されて病気のせいだったと腑に落ちた。しかし、今後、夫がどうなっていくのかはわからなかった(テキストのみ)