インタビュー時:59歳(2017年3月)
関係:長男の嫁(義母を介護)
診断時:義母78歳、嫁51歳
2009年に同居していた義母が認知症の診断を受けた。しばらくはデイサービスやショートステイを利用しながら在宅で看ていたが、次第に症状が進行し、通帳を「盗った」と家人を攻撃したり、トイレにおむつを流したり、対応に困る出来事が続くようになった。会社員として勤務しながら、目を離すことのできない義母を在宅で看ることに限界を感じ、老健施設に3ヵ月、自宅に1ヶ月と、施設と自宅を往復するようなケアプランをケアマネージャーに組んでもらった。
プロフィール詳細
北陸地方在住のT.T.さんは結婚後、義母が介護老人保健施設に入所した3年前まで30年以上、義母と一緒に暮らしていた。長男を出産して1年経った頃、義母から仕事を辞めて子どもをみるから働きに出るように言われ、以来ずっと会社員として勤めに出ている。
異変を感じたのは、義母が78歳の頃であった。民謡、華道、茶道、コーラスなど、たくさんの趣味を楽しんでいた義母が、だんだんと活動を減らしていく中で、唯一続けていた茶道のお稽古から帰ったある日、「今日変なことがあった」「道具一式を家に忘れた」と口にしたときである。しっかりした人だったし、義母自身も「自分はしっかりしている」と自負している人だったので、T.T.さんは驚いた。
その後、お茶の先生が膝の悪い義母を気遣ってかけた言葉を「ボケていると言われた」と被害妄想的に受け取ったのをきっかけに、義母は稽古に一切通わなくなってしまい、急激に状態が悪くなっていった。地域包括支援センターに相談し、かかりつけ医から認知症との診断を受け、デイサービスに通い始めたが、家族皆が勤めに出ているので、日中一人になる義母のことがT.T.さんは心配だった。当初は物忘れがある程度だったので、大丈夫かとも考えていたが、物忘れから通帳や洋服が「無くなった」「あんたが盗った!」と、とくにT.T.さんに対して攻撃的に当たるようになり、加えて身の回りのこともどんどん出来なくなっていった。ある日、トイレにおむつを詰まらせるという騒ぎが起こり、「おむつを流さないで」と業者名義の張り紙をした。それから同様の騒ぎは無くなったものの、自宅での介護は難しいという思いが、T.T.さんの心中にますます強くなっていった。
そんなとき、ケアマネージャーから「ショートステイでお世話になっていた老健施設に入所できますよ」と伝えられ、夫と相談の上、義母に入ってもらうことになった。基本的に老健には3ヶ月間しかいられないので、3ヶ月ごとに翌ひと月は在宅となる。ケアマネージャーには、家族全員が働きに出ていることと、認知症であることを考慮してもらい、老健と在宅を往復する形をとり、在宅時のケアプランはショートステイとデイサービスを組み合わせ、実質的な在宅期間を1週間程度になるようにしてもらった。
義母が初めて老健から自宅に戻ったときは、様子はあまり変わらなかったが、数回目以降から住み慣れているはずの我が家を「ここどこ?」、30年一緒に住んだT.T.さんに向かって「あんた誰け?」と言い始めた義母をみて、T.T.さんは認知症の進行を感じた。お菓子の乾燥剤を食べようとしたり、おしっこで濡れた衣服をそのまま着用していたり、汚れた衣服をどこかに隠してしまうなど、目が離せない。お手洗いの問題は一番深刻で、臭いのためにT.T.さんが味覚障害になってしまうほどだった。血縁の親族の訪問もなく、あまり顧みられていない義母をT.T.さんは可哀想に思う一方、このまま在宅を続けたら自分が病気になってしまう、在宅時の介護者は自分だけというこの状況では、もう在宅は無理だとも感じた。今は、できるだけ老健に入所させてもらい、もし移転するように言われたら、次は特養を探そうかとも考えているが、できれば自宅から近いこの老健で、看取りまで居させてもらいたいと思っている。
義母と親しく、介護経験のある義母の姪が、T.T.さんともよく交流してくれ、仕事をしながら介護をしているT.T.さんに「大変だね」と理解を示してくれるので、とても助かっている。
異変を感じたのは、義母が78歳の頃であった。民謡、華道、茶道、コーラスなど、たくさんの趣味を楽しんでいた義母が、だんだんと活動を減らしていく中で、唯一続けていた茶道のお稽古から帰ったある日、「今日変なことがあった」「道具一式を家に忘れた」と口にしたときである。しっかりした人だったし、義母自身も「自分はしっかりしている」と自負している人だったので、T.T.さんは驚いた。
その後、お茶の先生が膝の悪い義母を気遣ってかけた言葉を「ボケていると言われた」と被害妄想的に受け取ったのをきっかけに、義母は稽古に一切通わなくなってしまい、急激に状態が悪くなっていった。地域包括支援センターに相談し、かかりつけ医から認知症との診断を受け、デイサービスに通い始めたが、家族皆が勤めに出ているので、日中一人になる義母のことがT.T.さんは心配だった。当初は物忘れがある程度だったので、大丈夫かとも考えていたが、物忘れから通帳や洋服が「無くなった」「あんたが盗った!」と、とくにT.T.さんに対して攻撃的に当たるようになり、加えて身の回りのこともどんどん出来なくなっていった。ある日、トイレにおむつを詰まらせるという騒ぎが起こり、「おむつを流さないで」と業者名義の張り紙をした。それから同様の騒ぎは無くなったものの、自宅での介護は難しいという思いが、T.T.さんの心中にますます強くなっていった。
そんなとき、ケアマネージャーから「ショートステイでお世話になっていた老健施設に入所できますよ」と伝えられ、夫と相談の上、義母に入ってもらうことになった。基本的に老健には3ヶ月間しかいられないので、3ヶ月ごとに翌ひと月は在宅となる。ケアマネージャーには、家族全員が働きに出ていることと、認知症であることを考慮してもらい、老健と在宅を往復する形をとり、在宅時のケアプランはショートステイとデイサービスを組み合わせ、実質的な在宅期間を1週間程度になるようにしてもらった。
義母が初めて老健から自宅に戻ったときは、様子はあまり変わらなかったが、数回目以降から住み慣れているはずの我が家を「ここどこ?」、30年一緒に住んだT.T.さんに向かって「あんた誰け?」と言い始めた義母をみて、T.T.さんは認知症の進行を感じた。お菓子の乾燥剤を食べようとしたり、おしっこで濡れた衣服をそのまま着用していたり、汚れた衣服をどこかに隠してしまうなど、目が離せない。お手洗いの問題は一番深刻で、臭いのためにT.T.さんが味覚障害になってしまうほどだった。血縁の親族の訪問もなく、あまり顧みられていない義母をT.T.さんは可哀想に思う一方、このまま在宅を続けたら自分が病気になってしまう、在宅時の介護者は自分だけというこの状況では、もう在宅は無理だとも感じた。今は、できるだけ老健に入所させてもらい、もし移転するように言われたら、次は特養を探そうかとも考えているが、できれば自宅から近いこの老健で、看取りまで居させてもらいたいと思っている。
義母と親しく、介護経験のある義母の姪が、T.T.さんともよく交流してくれ、仕事をしながら介護をしているT.T.さんに「大変だね」と理解を示してくれるので、とても助かっている。
インタビュー家族40
- 義母は3カ月老健にいて1カ月はショートステイとデイを組み合わせて、自宅に居るのは1週間程度。それを3年間繰り返してきた(テキストのみ)
- 老健に3カ月いて家に戻ることを繰り返すうちに認知症が進行してきた。何回目かに戻った時には自分の家も嫁の顔もわからなくなっていた(テキストのみ)
- ショートに比べ老健入所は意外とすんなり行った。面会に行くたび「迎えに来てくれたのか」と言うが「仕事で用事があるからもう一回来る」といってやり過ごす(テキストのみ)
- 施設に入れることについて親戚は皆理解してくれているが、母親が壊れていくのを見るのが嫌なのか、夫は姑の世話は自分に任せきり、夫の弟も一回も面会に来ない(テキストのみ)
- 姑のおしっこのにおいがひどく、味覚障害になってしまい1年くらい戻らなかった。姪御さんに話したら、自分も母親のときにそんな風になったと言われた(テキストのみ)
- 姑は通帳を自分で金庫にしまったことを忘れ息子が盗ったと何度も繰り返した。そのたびに一緒に探してあるのを確認したが、5分も経たずに盗ったと言っていた(テキストのみ)
- 姑が尿とりパットをトイレに詰め込んで、詰まらせてしまった。便器に「トイレットペーパー以外流さないでください」と業者の名前を書いたら流さなくなった(テキストのみ)