インタビュー時:76歳(2020年6月) 
関係:妻(夫を介護) 
診断時:夫67歳、妻65歳

共働きで夫婦2人暮らし。夫は50歳で1型糖尿病と診断され、56歳で退職した。67歳、糖尿病教育入院時にはアルツハイマー型認知症、翌年、画像診断で前頭側頭型認知症と診断された。血糖値不安定のまま、70歳前後で弄便(ろうべん)や不潔行為、昼夜逆転が始まった。親身になってくれたデイサービス施設が小規模多機能型居宅介護施設になったことを機に、看取りまでをお願いした。腎機能低下により76歳で逝去。

プロフィール詳細

Mさん夫妻は関東圏在住、子供はおらず共働きであった。夫は50歳の時に急に体重が10kgほど減り、1型の糖尿病と診断され、インスリン注射を日に4、5回打つ生活となった。通勤途中で低血糖を起こし気分が悪くなるなど、会社も次第に休みがちになり、56歳でやむなく退職した。

2009年、糖尿病の教育入院時に、67歳でアルツハイマー型認知症と診断された。これを機に、糖尿病も認知症も地元の病院で見てもらうことになった。神経内科のK先生は、「自分は話を聞くほかないんだよ」と言ってくれて、面談はほっこりできるありがたい時間であった。2010年には要介護1となり、画像で前頭側頭型認知症と診断された。糖尿病になってから起こった欝や妄想などはまさに認知症と同じ状態で、糖尿病と並行して認知症も始まっていたのではないかとY.M.さんは振り返る。その頃には、駅で切符購入時に鍵を差し込んだり、着替えもズボンを前後に履いたり、ジャケットに足を入れたりとめちゃくちゃな状態だった。

Y.M.さんは会社勤めをしていたため、夫の起床時の着替えや洗面などのケアにヘルパーを、昼食前のインスリン注射の見守りに訪問看護師の手を借りることにした。認知症の告知前には散歩によく出掛けたが、食後10分ほどですぐに低血糖を起こし、その頃、10数回も救急車を呼んだ。70歳を過ぎてCPK*や白血球数に異常値が出て入院した際に、一番打ちやすいおへその下辺りが硬くなっており、硬い表面に注射を打っていたため薬が効かなくなっていたことが判明した。夫は真面目な上に頑固な性格で、医師は認知症のせいだと言ってくれたが、インスリンの注射も誰にも手出しさせずに自分で打ち続けていた。
CPK* 酵素の一つであり、その値からどの臓器がダメージをうけているかを推測することができる。

弄便(ろうべん)という不潔行為もその頃から頻繁になった。部屋中がくさい。シーツは茶色、掛け布団も壁も汚れている。引き出しやゴミ箱、空気清浄機の隙間には丹念に便が詰めてあり、部屋中、洗濯物だらけという日々が続いた。2015年頃から昼夜逆転も始まり、夜中に部屋の中をうろうろし、冷蔵庫の生肉や柔軟剤からタワシまで口に入れていた形跡があった。マンション1階の新聞受けから新聞を取ってくるのを仕事と思い、日に何回も往復していた。真夜中、玄関のドアが開いた気配がして追いかけるとズボンをはいていなかったり、エレベーター前が失禁で濡れていたりと大変な時期もあり、K先生に「もう疲れてしまった」と伝えて、夫を3ヶ月間入院させてもらった。

デイサービスも長続きしない中、2012年、病院で評判を小耳に挟んだG施設(デイサービス施設)とその連携施設でお世話になることになった。G施設はオーナーを始めスタッフ全員の意識が高く、根気強い対応に頭の下がる思いだった。2018年9月に糖尿病専門医から最終ステージにあり透析を検討するよう伝えられたが、透析医からは反対され、「もって来年いっぱい」と告げられた。訪問診療を自宅で受けながらデイサービスやショートステイを受けてきたが、3月からは、G施設が小規模多機能居宅介護支援になったこともあり、特別養護老人ホームの予約をキャンセルして、看取りまでをG施設でお願いした。それまでの訪問看護や訪問診療、糖尿病、診療内科の専門医との関係はそのままに、ケアマネジャーを含めた介護保険サービスをG施設に移行した。ケアマネジャーは連絡網を作り、血糖値の異常一つにしてもY.M.さんにまず連絡が入り、それから医師や看護師に動いてもらうような流れを周知してくれた。最後まで足のむくみも見られず、痰の吸引もすることなく過ごすことができた。3月末、G施設ではみんなを花見に連れて行ってくれた。本当に気持ちの良い日で花見まで楽しめたのは奇跡のように思えた。2018年4月、76歳で夫は逝去した。

私は: です。

(アンケート結果の扱いについては個人情報の取り扱いについてをご覧ください。)

認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

ご支援
ご協力ください

モジュール一覧