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インタビュー時:49歳(2012年10月)
関係:次女(実母を介護)
診断時:実母78歳、次女49歳(インタビュー家族36 の次女)
2011年に実母がレビー小体型認知症と診断を受ける。父・母親と3人暮らし。次女は慢性疾患(線維筋痛症)があり、療養のため仕事を退職した。体調がすぐれない時がある。隣接市の姉夫婦も通い介護をしてくれている。母の希望もあり、近所に病名を伝えたが、受け入れられ、嬉しかった。母は介護認定3で週2日デイサービスに行っている。
語りの内容
それから、2010年の夏ですから、診断まで1年半ですか、その間に、やはりというか、その変化がありまして、すごく、こう、怒りっぽくなったんですね。うーん、感情が、こう、…あふれかえってきて、もう、ぎゃあっと声を出したり、あと、物にあたったり、……こういう、机と椅子とか壁とか、そういうところにも手を打ちつけて怒ったり、そういう時期がずうっと続いて。で、あまり、小まめに自分の感情を表現する、表現して発散するタイプじゃ、若いころからなかったものですから、わたしとしては、ちょっとためこんで、ちょっとヒステリックになって、そういうふうになることが若いころからあったもんですから。まあ、やっぱり、それもその延長線上で、年をとって、そういうふうになっているみたいな、感情が抑えられなくなって、あのー、極端なかたちで出ているだけなんだって。それでも、1年半ぐらい思っていたんです。……。
そうしましたら、えーと、…去年ですね、去年の、夏か秋か、これも、そのころですね、ですから、姉が、予約(注:一度専門医の予約を取ったがキャンセルしている)をとってくれたときから1年ぐらいしたときなんですけれども、やっぱり感情的に怒ったことがあって、そのとき、わたしが母に対して背中を向けているときに、背中から殴りかかってきたんです。で、わたしは、とってもそのとき驚いて、「人が背中を向けているときに、殴りかかってくるなんて、なにごと?!」って言って、母の両腕をこう正面からつかんで、目を見てもうすごく怒ったんですよ。そうしたら、母の、こう、何か、うーん、言い知れぬ感情を、こう…抑えて黙ってしまっているというか、…黙って、わたしのことを、こう、一生懸命見ている、わたしの目を一生懸命見ているんだけれども、自分の中にある感情を、とても言葉では説明できないっていうような感じの顔で、にらみつけるというか、すごい表情というより、形相ですね、形相で、人を、こう、…見つめたまま黙ってしまったんですね。
そのことが、わたしの中で、ちょっと…ずうっと気になってまして。やっぱり、おかしいんじゃないかって。で、姉と会ったときに、「いやあ、こういうことがあった」って言ったら、姉が、「やっぱり、わたしはそれはおかしいと思う」って「一度ね、専門家の方に、認知症の専門家の方に診てもらうべきだ」っていうことを、強く言いまして、わたしも、それに説得されて、「じゃ、…やっぱり、予約をお願いね」ってことで。
インタビュー家族35
- 診断の1年半くらい前から母は怒りっぽくなっていたが、あるときものすごい形相で後ろから殴りかかってきたことが気にかかり、専門家に診てもらうことになった(音声のみ)
- 医師は老人性のうつも疑ったが、CTで脳の萎縮がかなり進んでいることが分かり、これはうつではなくレビー小体型認知症だと診断した(音声のみ)
- 薬についてはいろんな考えの先生がいて、前の病院ではパッチ剤やアリセプト5ミリが処方されていたが、今の主治医は「アリセプト10ミリでもいいぐらい」と言っている(音声のみ)
- たくさんの食材を使って調理しようとすると疲れて座りこんでしまうこともあるが、夫にきちんと食べさせなくてはいけないという役割意識は強い(音声のみ)
- 母は、家族が認知症と気づく前に突然「車の運転が怖いのでもうやめる」と言い出した。これまで車で出かけていろんな楽しみを見つけていたのになぜだろうと思った(音声のみ)
- 母は手洗いで粗相をしても後始末をせず、黙って寝てしまう。「後始末をしたくないと言っても責めないから」と言ったら、失敗したことを言うようになった(音声のみ)
- 母の病気を近所の女性に伝えると、「わかっとるよ、うちのおじいさんもそうだよ」とからっと受けとめてくれ、それがとってもうれしかった(音声のみ)
- 母は感情表現が控えめで、診断名がついても自分で受け止めているようだった。その母が「死にたい」と言ったことがあり、母の気持ちをさぐるような会話を心がけるようにした(音声のみ)
- ご近所に母の病気を伝えるように医師やケアマネから言われた。レビー小体型認知症をどう説明するか悩んだが、「病名とよろしくお願いしますだけ伝えればいい」と教わった(音声のみ)