※写真をクリックすると、動画の再生が始まります。
インタビュー時:60歳(2010年5月)
関係:夫(妻を介護)
診断時:妻50歳(インタビュー本人03)、夫52歳
2003年に妻が若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。夫婦2人暮らし。妻の介護のため、グラフィックデザイナーの夫は、仕事場を自宅へ移すことにした。現在は家事援助で訪問介護のヘルパー週3回、自立支援で週1回外出支援を活用して、自宅で仕事をしながら介護している。治験に参加し、八味地黄丸や個人輸入のメマンチンなど良いと言われることはいろいろと試している。
語りの内容
もう女房に言わせると、楽しくない、リハビリをね、一つ障害が出始めたら、その障害を少しでもね、ストップかけようかと思って。だから、その臨床心理士の方と、いろいろ相談しながら、だから、私もやっぱり、いろんな提案をするんですけども、いろんな調べた結果とか、あとまあグッズを買ったりとかして。まあ、例えばこういうグッズをこういうふうにリハビリに使えないかとか、そういうのを一応、いろいろ考えて、(臨床心理士の)先生に提案したりとかはしてました。
で、それを忠実に、女房はちゃんとまあ、やってたんですけども、そのうち、だんだんそれに対してやっぱ抵抗するようになって。「もうやりたくない」と、こういうリハビリは。「もうつらいから、したくない」ってことで。で、女房の方からもう、「やりたくない」っていうのはあって、もうけんかになって、毎日けんかになってて。「これ、やらないと駄目なんだ」っていうことでね、けんかしてて。それでもう、その、リハビリやってるときは、やっぱりいつも、けんかばっかりしてました。それもやっぱり、非常にその、まあ、それもやめて…、もうほんとにけんかの連続で、「やらないと進行するんだ」ってことでね、強制的にやらして。それをだから、1年ぐらい。1年ちょっと続いたのかな。
いろんな…いろんな、だから材料、まあ、その(臨床心理士の)先生と考えながら材料作りまして、(妻に課題を)与えて、訓練して。その繰り返しを、ずっと1年ぐらいやってました。それが一番苦痛だったらしくて、だから、(妻の)お母さんがやっぱ死んでから、本格的にリハビリ始めたんですよ。だから、お母さんの看病してるころは、やっぱりあの、なかなかそんなふうには、リハビリもそんながんがんはできなかったんで、亡くなってから、特に本格的にリハビリを始めました。まあ、でも1年間ぐらい、でも本当に、ギブアップしたんで。ついに、病気以上に病気(苦痛)になったんで、今度は。それで、やめました。
だから、そのリハビリをやめるにあたっての、なかなか(臨床心理士の)先生にもう言えなくて。それは、どうやって先生に言おうかなと思っていたら、何か理由をつけようと思って。で、転院を考えたんです、こっそりと。で、「リハビリをもうしたくない」ってことを、なかなかその臨床心理の先生に言うのもちょっと、あんなにもう、僕が提案した、先生もいろんなこと考えてくれて、一緒に頑張ってやってたのに、すごい言い出しづらくて、やめる手として転院を考えたのも、一つの手なんで。
インタビュー家族04
- 最初は妻自身が違和感を感じて精神科を受診した。当時は記憶障害などの症状はなく、「なんか変だな」という感じと気が滅入るということで、うつ病を疑われていた
- がんの母親の看病中にうつ症状があった妻は、精神科にかかっていたが、主治医である精神科医からうつ病ではないようだと専門医を紹介され、そこで認知症と診断を受けた
- 臨床心理士の協力のもと、妻のリハビリをがんばってやってきたが、1年ほどして妻が苦痛を訴えるようになり、心理士に言い出しにくくて転院することにした
- 診断から1年半くらいは高次脳機能障害者向けのリハビリを臨床心理士の指導のもとで週2-3日受けていたが、効果が見られず、本人にとっても苦痛になってきたので病院を替えた
- 脳に対するリハビリは本人に苦痛を与えるので断ち切った。スポーツクラブで運動したり、朗読絵本を読み聞かせたり、自分の得意分野ではまだ頑張れるようだ
- 漢字の書き取り、計算ドリル、パズルなどをやったが、全く効果がなく苦痛だけで終わった。できなくなっていくことは本人も自覚しているのですごくつらいだろう
- 診断前から妻の母ががんで入院していたので、診断後、車の運転はやめてほしいと医師に言われたが、しばらくは車で病院通いをしていた
- 妻が一人で外出して、道に迷ったりスーパーで他の人のものを間違えてバッグに入れたりしたときに助けてもらえるようにと、名前や症状を書いたカードをつくった
- 妻は発病後、落語絵本の読み聞かせボランティアを年に数回のペースで再開した。大きなところでは難しくなってきたので、小規模な集まりでも続けさせてあげたい
- 病院主催の家族会は医師も参加するので治験情報なども聞けて、普段の診療のときよりいろいろ質問ができる。病院で得られない介護の情報も他の家族から得られる
- 診断を受けて3~4年たった頃から家事ができなくなり、ヘルパーさんを使ったり、デイサービスを使うようになった
- 妻は家事ができないので、週3日ヘルパーさんに介助をお願いしている。障害者向け(自立支援医療)のガイドヘルパーさんにスポーツクラブや映画に連れて行ってもらう
- 義母の告別式で、妻は、自分が認知症になったことで、十分な看護ができなかったと挨拶し、兄弟・親戚一同とても驚いていた。その後、親しい友人には電話や郵便で病気を知らせた
- 最初は、本人としては「こんなに若いのに」と周囲に同情されることがショックだったらしく、そのせいでもっと外に向かうようになったのかもしれない
- ポップアップ絵本の立案とデザインをしていた妻は、早い段階で空間認識に障害が出てきて、一番最初に仕事ができなくなった
- 当時は情報も乏しかったので、妻が50歳で診断を受けたときは非常にびっくりしたし、どうしようかと思った。いろいろ調べてもよくわからないし、仕事も手につかなかった
- 妻の発症から8年、仕事の場を自宅に移し、24時間介護をするようになると社会性がなくなり自分が孤立するかもしれないと思うと怖かった
- 若年性アルツハイマー型認知症の妻は、診断後8年経つが、関節に力が入らず立ち上がれないという症状が出てきた。新たに薬を飲み始めてから一応収まっている