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インタビュー時:60歳(2011年9月)
関係:夫(妻を介護)
診断時:妻52歳、夫51歳
2002年に妻が若年性アルツハイマー型認知症と診断された。アリセプト服用中。妻・義母の3人暮らし。働きながら自宅で介護していたが、2005年ヘルニアになり、妻の病気を会社と同居の義母に打ち明けた。その後、配置転換となり、介護に時間を割けるようになった。妻は、2006年頃より週3回のデイサービス、週2回のデイケア、週1回ボランティアによる訪問口腔ケア、訪問リハビリ、月2回の訪問看護を利用している。
語りの内容
今まで、何でもこなしてた女性が、何度か私に、その、銀行のカードをなくしたとか、銀行のカードを切ってしまったとか、通帳をなくしたとか、もうしょっちゅうそれを言う毎日で、これはちょっと尋常じゃないなということで、駅近くにある、その、脳神経外科に一度行かしてもらって、で、そこの脳神経外科の先生が、理事長さんが、ちょっとこれ、ひょっとしたら、認知症のそういう病気になってはる可能性もあるから、精神科の専門の先生行ってくださいということで。で、2002年の3月ごろに、その精神科の先生に、受診に行かしてもらったんです。
そのときには、まあ、「何も別に変わったことないよ」という形で、(妻が)帰ってきました。私ちょっと、一緒に送っていったはいいんやけど、私、仕事行ってて。1人で帰って。で、家内がもう、1人で病院で受診して帰って。その日の晩に、家内に、「病院どうやった?」言うたら、「うん。先生、何もない、言うてるよ」って、まあ気楽に(笑)、えー、言うてたんで、ま、別にさして問題はないんかなと思って。
だけど、それはちょっとおかしいなと思った。それからの後の行動がね、やはり、あの、おかしいんですわ。通常、今までの生活と違って、1人でぼおーっとしてるのが多くて。暗い部屋で1人でいてたり、返事に答えな、こっちが言ったことに対して答えないとか、そういうことがたびたびあったので、やはりこれは病気やということで、また別の精神科の先生、行かしてもらって。 で、そこの先生いわく、2、3回診察を受けさしてもらったら、奥さん、長谷川式の試験を3回目のときに受けさしてもらったら、先生の答えは、「奥さん、間違いなく認知症や」と。
インタビュー家族14
- 妻がたびたび物を失くすので、脳神経外科を受診したところ、精神科を紹介された。そこで問題ないと言われたが、やはりおかしいので、別の精神科を受診して認知症とわかった
- 妻のてんかん発作は脳の萎縮だけでなく、薬の影響もあるかもしれないという。しかし、抗認知症薬をやめると脳に悪い変化が起きるのが心配で、抗てんかん薬を常時服用している
- 妻が手足が冷たいというので、血行をよくするため朝晩マッサージしていたら、脳に変化があったのか、表情がよくなり、体重にも変化が出てきた
- 診断を受けてから1年半ほどすると、若年性認知症の妻は家に変な人が来た、お金を盗られたと言ったり、家のごみをガレージにため込んだりするようになった
- 妻は日本画を描くほど絵が好きで、フェルメール展に行った翌日は絵の話で笑顔が見られた。最近は歩くこともやや困難になってきたのでプール歩行を始めた
- お化粧を習いに行き、妻に化粧をしている。ふだん素顔を見せなかった妻にとって化粧はとくべつな意味があると思う。ほほえみがよく見られるようになってきた
- 妻の介護と仕事の両立は、仕事を辞めて協力してくれた義母の助けなしに成り立たなかった。高齢の義母は、最近では持病が悪化し、もう体力的に無理な状況だと話している
- 従来、介護は男性がするものとは思われていなかった中で、男性介護研究会が発足した。行政改革に時間を割く人も多く、自分も介護者をサポートする活動に関わっている
- 認知症の妻の介護で義母の負担が重くなってきたので、今はデイサービスとデイケアを合わせて週5回利用。その他、月1回訪問歯科、週1回訪問リハビリを利用している
- 妻が認知症であることから逃げていたが、介護と仕事を両立させるために、上司と同居していた義母に話さざるをえなくなり、妻の病気としっかり向き合う覚悟ができた
- 妻の下の世話をしているときに頭をなでてくれるのはありがとうの意味だろう。妻は言葉には出せないが、自分が介護で愛を注いでいることはわかってくれていると思う
- 1人だけ診察室に呼ばれ、医師から52歳の妻が認知症で治らないと宣告を受けた。ものすごくショックで違うやろと逃げてきた
- 家のローンがあるし、妻の介護費用もかかるので働かざるを得ない。介護と仕事の両立は大変なことというより、そうしないと成り立たない状況にある
- 妻の病気が1ヶ月で治るのなら介護休暇を取るが、そうではないので、今の状況を維持することが大切
- 「負けないで」という歌が好きだが、この先どうなるのかと不安になると、お酒や入眠剤を飲んでしまう。「人生やめたいな」と思うこともあるが、家内の笑顔で考え直す
- 妻の病状の進行を感じ、不安しかなかった。もとは根暗な性格だったが、自分が気持ちを改めないと病気に取り組めないと思い、いろんな会に出て人前で話をするようになった
- てんかん発作は診断後8年くらいして起きるようになったが、それまでも足が動かず転倒することがあった。なるべくてんかん発作を引き起こさないよう気をつけている