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インタビュー時:63歳(2017年3月)
関係:次女(実母を介護)
診断時年齢:実母89歳、次女53歳
2001年頃、当時84歳の実母と同居していた兄弟の転居をきっかけに、自宅近くの軽費老人ホームへ母を呼び寄せた。脳梗塞の後遺症で認知症の兆しがあった母は、89歳で症状が悪化(アルツハイマー型と診断)し、介護老人保健施設に入所となる。以後、老健と在宅とを往復しながら、夫と協力して母の介護をしている。在宅のたびに状態が悪くなる母をみて落ち込み、在宅は無理だと悩む一方、勤めに出ていないのに老健を利用する葛藤も抱えていた。
語りの内容
まあ、ちょっと話も結構さかのぼるんですけれども、私が小学校の高学年ぐらいのときに、父と母と川の字になって寝てたときに、結構父も病弱な人だったもんですから、そのー、自分が死んだらお前はどうする?みたいな、そんな会話、よくしてたんですね。私は多分寝てたからそういう、寝てたからというか、寝てるだろうという前提の下の会話だったと思うんですけど、「俺が死んだらどうする? どうする?」って。そしたらどうするか、まあ、いろいろ、まあ、そのー、父も悩んでっていうか、うーん、まあ、その、長男は当てにならないし、そしたら姉のとこ、長女のとこへ行くか、ほれか、そのー、まだ小さかった私のところへ行くかとか、いろんな思いを、まあ、思いの丈というか、話をしてたのを私が、そのー12歳、13歳ぐらいの私がずーっと横でじって聞いてたときに、母は…何か情けないというか、わびしいというか、母の面倒は私が見るかなっていうか、そのころから何か、何ていうんだろう。まあ、使命感みたいなもんで、何か聞いてて。まあ、現実の下に、まあ、たまたま私が見ることになったんですけれども。
―― そういう昔の、そういう出来事もねえ。やっぱり運命みたいな感じですよねえ。
何か…。いや、私は運命だったんかなという思いはあります、ええ。結構、あのー、兄とも姉とも、まあ、行き来はあるんですけれども、兄は、あのー、難病で今寝たきりになってますし、姉も、まあ、弱いので、病院、入退院をしてますし。ほれで、まあ、私も元気かって言われたら、まあ、太ってはいるんですけれども、先日も大腸がんじゃないかとかって言われて、で、まあ、ポリープで済んだんですけれども。
あのー、母は結構、天真らんまんっていうか、AB型ってあんなもんかなあって思うんですけど。妙にテンションの高いときと、ふと。あのー、一番最初に入った、あのー、施設でもそうだったんですけど、私の顔を見ると、何ていうかな、ものを見通すというか、何か困ったときに母のところへ行くと、「何かあったんか」って。すぐに何か状況を察するというか、まあ、親子だからっていえばそれまでなんですけれども。何かすぐに、その場の雰囲気を読むというか、随分母には助けてもらいましたけど。
インタビュー家族39
- 自分の親を他人に預けることには葛藤があったが、自分がつぶれたら在宅も何もない。老健は在宅復帰を目指す施設なので、時間的に短くても在宅でみる努力を続ける気にさせてくれる
- 小学校高学年の頃父母と川の字になって寝ていた時に、病弱だった父が母に俺が死んだらどうする?と言っているのを聞いた。子ども心に母の面倒は自分が見るという使命感を抱いた
- 在宅復帰するとめまいがして転倒しやすくなる。老健ではアリセプトが出ていないのが、家に帰ると出されるので、薬の副作用かもしれない。特に増量すると吐き気が出るようだ
- 最初のケアマネは困っていることを一緒に背負ってくれる感じではなく、住宅改修業者も勝手に選定されて信用できなかったので、包括支援センターに穏便にケアマネを交替してほしいと頼んだ
- 在宅の時は週6日デイに行っていて2カ所3日ずつだったが、食事の内容や職員のスキルなど事業所ごとの差が大きい。いいと思うほうのデイに6日行かせたいが、空きがない
- 3年前、在宅に戻って4日目で転倒し大腿骨を骨折してから在宅で看るのが怖くなった。昨年の在宅期間も「魔の4日間」が過ぎて、1週間、10日過ぎたと思ったら下血が始まった
- 在宅での看取りは正直言って怖い。100歳を超えて今日は元気でも翌朝亡くなることも不思議ではなく、覚悟はできているが在宅でそれが来るのはつらい。施設に預けるほうが不安はない