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インタビュー時:58歳(2010年9月)
関係:次女・嫁(両親と義父を介護)
診断時:実母81歳、実父87歳、義父85歳(89歳で逝去)が診断されたのは次女が54~56歳の頃
2006年に実母、2007年実父、2009年義父がそれぞれ脳血管型認知症になる。次女は元中学校の教員。義父・夫・長男の4人暮らし。実母の診断時、両親は2人暮らし。しばらくして三女が同居。介護は長女と3人姉妹で分担した。次女は仕事を辞め、3年間遠距離介護を行った。実父が認知症になった後は、施設を数カ所利用後、両親は夫婦で有料老人ホームへ入所したが、2年後に実父が逝去。その間に義父が認知症となる。現在は、入所の実母と、デイケア利用の義父の介護中。
語りの内容
それとあと、うちのほうでは、その、主人にお姉さんが1人いるんですけど、そのお姉さんがうちから5分ぐらいのとこにみえるんですけど、あまり協力してもらえないんですね。で、もう、その、そのことですっごく、わたしはもうストレスが貯まって、ちょっとあの、心療内科に通うようになっちゃったんですけど。その、どういう、その、うちのね、おじいさんと、そのお姉さんとの人間関係がどんなふうなのか、どういう育ち方をしたのか、よく分からないんですけど、そのー、4月、今年の4月なんですけど、「もうおじいさんの面倒見るの、やんだわね」って、そういうことおっしゃる。で、どういうことって。もう、ほんとにその時にショックで。自分の親なのに、どうしてそういうこと言えるのってねえ。で、主人に言ったら、「うん。俺はその分、見るからいいわ」って言ったんですね。でも、そんなことできるわけないんですよね。で、そういうことで。
で、また、ちょうどそのころに、下の子が、あのー、結婚したもんですから。その、そこで主賓であいさつもしてもらわなきゃいけなかったので、何かあんまり関係を悪化させたくなかったもんですから、そこで、わたしがすごく我慢しちゃったんですね。で、もう、「じゃあ、わたしがやるからいいわ」っていうふうに思っちゃったもんですから。そこで、もうちょっと深く、どうしてそういうこと言うのか、話し合いをすればよかったんですけど、それ、やらなかったもんですから。すごく人間関係が悪化して、もうわたしはもう、お姉さんの顔も見たくないっていうような気持ちになってしまったんですね。
―― うん、うん。そうですか。
だから、もう全部、もう自分が一手に引き受けてやっちゃったもんですから、ちょっと疲れが出ちゃったんですね。
―― そうですね。逆にあのー、3姉妹の絆が強くなったり、ご主人とその、ご夫婦の関係が強まったともいえますね、きっと。
そうですね。そいで、あの、わたしが心療内科に通うようになったのは、もうすっごく些細なことでものすごい怒ったり、何かそういうふうで、妹がね、その、「ちょっとそれは、そんな怒り方は異常だから、医者行ってこい」って言ったもんですから。で、その時に、主人に「こういう人が突然自殺したりするから、気をつけてね」っていうようなことを言ってくれたらしくて(笑)。で、それからすごくね、あの、協力してくれるようになって、はい。だいぶ楽になりましたね。
インタビュー家族06
- 脳血管性認知症の母は、父が外出する際に声をかけて出て行っても「そんなこと聞いてない」と言ってすごい剣幕で怒ったりする
- 両親は同居の妹が仕事をしながら介護していたので、限界だった。施設に入ってもらうしかなく、それが父親の死期を早めたのでは、と思うと後悔が残っている
- 夫婦で暮らしている認知症の両親を姉妹3人で見ている。兄は一度同居したがうまくいかなかった経緯があり、認識のずれや気持ちのすれ違いで疎遠になっている
- 舅の介護を義姉に協力してもらえず、ストレスで心療内科に通っている。夫は協力してくれるようになったが、我慢して引き受ける前に義姉とも話し合えばよかったと思う
- 始めはデイサービスを嫌がっていたが、職員が好きなことや得意なことを聞いて対応してくれた。ショートステイでは、一日ぼーっとしていて預けるのが心苦しい
- 田舎では、母が認知症になったことで、人格まで否定するような発言をする近所の人がいて、会うのが嫌だった
- 両親の話し相手になろうと思って教師の仕事をやめたが、両親、義父までが認知症になり、のんびりと過ごす時間を持つことはできなかった