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インタビュー時:65歳(2011年3月)
関係:長女(実母を介護)
診断時:実母75歳、長女51歳
1998年に実母がアルツハイマー型認知症と診断される。長女はもともと実母・息子と3人暮らし(実父死亡、夫と離婚)だったが、息子の独立を機に、自営の仕事をするために母と離れ、遠方で独り暮らしをしていた。母が診断されてから遠距離介護を2年したが、身体がもたず母親を呼び寄せて同居する。その4年後にはグループホームへ入所、一時退所させて同居、現在は介護老人保健施設を利用。
語りの内容
―― 今は、そのグループホームに、まだ同じグループホームにいらっしゃる?
いえ、あの、去年の8月の末に、あのー、老健施設の方に移ったんです。っていうのは、1つのことがきっかけで、あ、ここに置いといても、違うかもしれないって思ったんですね。それは、母がだいぶ足腰弱ってきたんですよね。で、あのー、歩き回るんだけど、座ってることも多くなってっていうときに、やっぱり便秘がひどくなってて、で、下剤をね、飲んでたんですけども、そのー、下剤をこう、何で、口開いたから放り込むっていう、そういうことがあったんです。で、それを母は口の中にずっと入れてて、あのー、もう途中で、途中でっていうか飲み込まずに、こう、うえって吐き出してたんですよね。それで分かったんですけども、で、それがちょっとね、あの、納得させて飲ませなくちゃいけないのに、そういうことをしてたら、ちょっと肺炎とかになっちゃうかもしれないしっていうことで、あの、注意されて、それから、液体のね、検査用の強い下剤を飲まされるようになったんですよね。で、それもかわいそうだなって思って。
あと、何て言うのかな、こう、車いすにね、なっちゃったときに、どういう対応になるだろうかって、本当はそこにね、あのー、動けなくなったらどうするって言われてて。で、病院に入れるか、ここでも看れますよって言われたんですよね。で、確かに寝たきりの人は何人かいるんです。でも、何か車いすに移したりとか、そういう作業見てたときに、すごく何か、あのー、プロっぽくないんですよね、やり方が。服を引っ張ったり、とか、うーん、何か、あれはちょっと体にくるんじゃないかとか思って。
で、そうしたときに、もっとちゃんとお医者さんもね、あの、かかってないっていうか。あのー、毎月、定期検診があるんですけども、あのー、あなたのお母さんは拒否だからって、一度も受けてないとか。それからあと、お風呂もですね、拒否してたら入れてもらえないから、1カ月以上も入ってないときもあったりとか。あの、口をね、あの、歯を磨くのも自分でできなくなって、で、やりましょうって言ったら、ぷいってするから、もう駄目とか、それからあと、パジャマにも着替えないで、お風呂に入って着替えるまで同じ物を着てるとか。
で、あと、一番だったのは、あの、夏にね、あの、みんな靴下はいてるのに、うちの母だけ裸足だったの。で、すごい、足冷たくなってむくんでるんですよ。どうして?って言ったら、歩き回るから鍛えてるのっていうことなんです。うん。それで、あれって思って。で、それをそのー、あの、老健の所に相談に行ったら、いじめかもしれないって言われて。うん。だから、その辺はどうかよく分かんないですけど。…それで、ちょっとあの、もっとね、あのー、本当にお医者さんが必要なときは診てもらえるとか、そう、その、パジャマにね、着替えるのもそんなに、お風呂に入って着替えるとき以外は、同じ着たきりスズメっていうことがないように、そういう所選んだ方がいいなっていうときに、見つかって。もう、運よく入れたんですよね。
インタビュー家族11
- 自分が旅行に出かけているうちに、母が弟に電話をして、自分が家のお金を全部持って逃げたと言ったことが、決定的な大事件だった
- 精神科にかかっても母の攻撃性が収まらなかったとき、糖鎖のサプリが脳にいいと聞き、取り寄せて毎日飲ませていたが、飲みにくいうえ高いので続かなかった
- においがするものが嫌いな母には向かないと思ったが、植物系のアロマが気に入って、それで気分の浮き沈みが激しかったのが安定した
- 以前は母が警察官だった父の給料が安かったという愚痴を繰り返すのが嫌だったが、次第に父のことも忘れて法事にも行かないと言うようになったのはちょっと悲しい
- 母は娘の家にいても自分のうちと思えないらしく、父のご飯を作らなくちゃと言って出て行ってしまう
- 母はどんどん外に出ていき、疲れて倒れるまで歩く。娘が「帰ろう」と言っても帰らないが、知人がたまたま通りかかったように装って「送ろうか」というと素直に帰る
- アルツハイマー型認知症の母は何をしていてもいつ怒りだすかわからないので、腫れものに触るように過ごした時期が3~4年はあった
- 母がお店でアラ汁が出たときに怒りだしたのは、どうやって食べればいいかわからなくなってしまったからではないかと後から気づいた
- 何度もけがを繰り返し、片時も目を離せない、何をやるかわからない状態になったため、もう限界だと思った。ケアマネージャーに相談し、少しでも母の気に入りそうな施設を探した
- 母がゆったり過ごせる、居心地の良い施設を探した。グループホームはこれまでの生活の延長線上で暮らせることを大切にしていて気に入った。老健施設は病院的で母が嫌がった
- 母が入所したグループホームは薬の飲ませ方や車いす移動に疑問を感じた。拒否するとはいえ検診や入浴等しておらず、老健に相談するといじめかもしれないと言われて移ることにした
- 施設に入る日、これ以上一緒に暮らせないことを説明し、写真を撮ったら、母は決死の覚悟の顔をしていた。施設に入ったら、母は自分から「よろしくお願いします」とあいさつした
- 施設に泊まったのは入所半年で一度だけ。毎日でも泊まれるのかどうかはわからないが、家から遠いので、移り住むということも考えてみたが、仕事もあるので難しい