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インタビュー時:51歳(2011年10月)
関係:妻・嫁(夫と義母を介護)
診断時:義母82歳、夫54歳(インタビュー本人07)で診断されたのは妻(嫁)46~48歳の頃
2007年に同居の義母が認知症となり、義弟と介護していたところ、大学教員の夫が2009年に若年性アルツハイマー型認知症と判明。当時、夫・義母・義弟の4人暮らし。妻(嫁)は保険薬局で医療事務フルタイムの仕事の傍ら認知症の2人(義母と夫)を自宅で介護。2011年義弟は再就職して独立し、義母はグループホームに入所。夫婦2人暮らしとなる。夫は精神障害2級認定を受け、1年半の休職中。家族会での情報交換が役立っている。
語りの内容
で、私は、あのー、フルタイムで仕事してましたので、朝、出勤してから義母を、えーと、デイサービスのほうに送り出して、仕事して帰ってきて。で、食事の支度をして。それがもう、ほぼ、まあ、あの、フルタイムですので毎日のようにあって、私のほうももうちょっと、すごくしんどくて。で、義母の面倒もとてもしんどくて、主人と話して、もうやっぱりグループホームに入所させたいっていうので、それで主人も一応オーケーしてくれたので、もう、その、えーと、グループホームを見つけて、予約っていうか、各場所にお電話、あと、あのー、えーと、入所の手続きをしたんですけれども、なかなか空きがなくて。それでやっと、今年の8月にお電話がかかってきて、義母がやっとの思いで入所。うん、義母を、ちょっと申し訳なかったんですけれども、入所させたっていう経緯があるんです。で、先ほど申し上げたように、義弟は8、えーと、7月に就職が決まって、で、今現在(夫婦)2人っていう形になっています。
―― うん。お母さまのほうの、その認知症の進み具合っていうのはどんな感じなんですか?
えーとですね、あのー…足がそういうふうに骨折しましたもので、車いすの状態で、で、自宅内では一応、あのー、杖歩行と、あの、誰かがそばにいて必ず手をかけて、トイレまで連れて行く、食事をするところまで連れて行く。そういう状況でしたので、もう、えーと、目が離せない状態だったんです。それで、まあ義弟が帰ってきたので、その、昼間の部分は義弟に任せて、で、夕方から私が職場から帰ってきたら、私と義弟とで見ているっていう形になったので。ちょっと本当にもう、私が一番しんどかったですね。
まあ、義弟は昼間は、えーと、義母はデイサービスにもうほとんど毎日のように行ってもらってたので、昼間、義弟は自由に過ごして、夕方から私と義弟と、交代交代で、まあ、見るとか。と、夜中にちょっと起きだし、義母が夜中起きたりして。そのー、夜中起きて1人で歩けないのにもかかわらず、歩こうとするので、そこでまた、あの、倒れたりしたら、また骨折の恐れがありますので、そういうものに、そういうことを気遣って、夜中起きることもしばしばありましたので、そういう状態だったんですね。
それで、ちょっともう、家族みんな、ちょっとしんどくなってたんですけど、でも義弟は自分が、その、就職がないまま家に居てるので、義母をあのー、グループホームに預けてしまったら、自分がちょっとやっぱり立場的にもちょっと困るみたいなこと、形で、ずっと反対はしてたんですけれど、まあ、でも、義弟が就職が先だったので、で、グループホームが後で決まったので、まあ、その辺りは仕方ないねっていうことで、義弟に一応許しを得て、それでグループホームに入所させたっていう経緯ですね。
インタビュー家族15
- 夫が突然メールを打てなくなり、うつっぽくなったので、心療内科を受診した。1年ほど経ち、うつではないと感じ始め、脳神経外科で検査を受けてもらうことにした(音声のみ)
- 大学教員の夫は休職して、社会とのつながりがなくなったら、目に見えて言葉が出にくくなり、会話が成り立たなくなってきた(音声のみ)
- 大学教員だった夫は、お金の計算ができなくなって、買い物でいつも千円札を出してお釣りをもらうので、財布の中が小銭でいっぱいになっていた(音声のみ)
- 夫の母は5年前から認知症で、後に夫が若年性認知症となった。その時期、同居していた夫の弟と交代で介護にあたったが、しんどくて義母のグループホーム入所を決めた(音声のみ)
- 家族会では2ヶ月に1回情報交換や勉強会がある。長い経過の患者さんや家族に会えるので、あらかじめ病気の進行が想像できて勉強になる(音声のみ)
- 夫もショックだったと思うが、私にはひと言も不安をもらさなかった。すぐにネットで病気のことを調べて、なんとか授業をやらなくてはという思いはあったみたいだ(音声のみ)
- まだ夫の病気の事は周囲に言っていないが、叔母だけには話した。ご近所には言っておいた方がいいと助言され、どのように話すか迷っている(音声のみ)
- とうとう仕事ができなくなり、大学から退職を迫られたが、患者会に相談すると休職扱いにしてもらうといいと勧められ、交渉の末、1年半の休職後退職ということになった(音声のみ)
- 今思えば、夫が「授業が面白くない」と言いだしたのは、大学の方針で教えたい授業ができなくなったこともあるが、以前のように上手に教えられなくなったこともあると思う(音声のみ)
- 精神障害者認定2級をとっている。夫(本人)は文字を見るとショックかもしれないが、自分はこういう状況になったと認識していると思う(音声のみ)
- まず経済的なことを考えた。夫が退職を迫られたら、どうやって生計を立てていくか、義母も認知症なので、仕事をしながら夫と義母の2人を1人で看れるか心配になった(音声のみ)
- 義母と夫の2人の面倒を見ていたときは大変だったが、仕事が息抜きになっていた(音声のみ)
- ついイライラして、夫と同じ立場で喧嘩したりすると嫌な気持ちになる。やはり認知症なんだとしっかり自覚しないといけないなと思う(音声のみ)
- 仕事から帰ってくると夫が話したがっているのがわかるが、自分は時間に追われ、まともに話を聞いてあげられず、寂しい思いをさせている(音声のみ)