ここでは家族が認知症本人と接する中で、抱え込みがちな心の葛藤についての語りをご紹介します。仕事や家事など忙しい日常生活の中で、認知症の人のお世話をしていると、小さなイライラが次第に鬱積して、いつしか大きなストレスになっていくことがあります。インタビューでは多くの人がそうしたイライラを思わず認知症本人にぶつけてしまうことについて話していました。「病気なのだから」とわかっていても、つい責めたり、声を荒げたりしがちです。
認知症の人への接し方を専門的に学んできた人でも、実際に自分が家族の世話をするとなると、教科書通りには行かないようです。回想法を学び、お年寄りのためのボランティア活動をしてきたという女性(インタビュー家族29)も、ボランティア仲間には「病気だから何回聞かれても同じように話さなくてはいけない」と言ってきたのに、自分の夫に7回も8回も同じことを聞かれるとついつい「さっきも言ったでしょ」と言ってしまう、と話していました。次の女性も自身は看護職であり、姉も認知症サポーターの講習会に参加しているが、ついきつい言葉が出てしまい、兄嫁のほうが上手に間隔を取っているようだと話しています。
特に肉親に対しては遠慮がないことに加え、自分にとっての父や母の理想像が崩れていくことに冷静ではいられず、つい感情的になってしまう傾向が見られます。「子どもが親の面倒を見るのは当たり前」ということを普段は受け入れていても、口論する中で面と向かってそれを言われて反発してしまった、という人もいました。
しかし、中には夫婦間のほうが親子よりも遠慮がない、特に若年性認知症の場合は「もう年だから仕方ない」と割り切れないだけに、つい言ってはいけないことを口にしてしまう、と話す人もいます。
認知症の人と1対1で相対しているときだけでなく、家の外に出て世間の目にさらされることによって、家族のストレスが高まることもあります。周囲の人には理解されにくい奇矯な行動をとる認知症の人と一緒にいることを恥ずかしく思う一方で、そう思う自分を責めてしまう人もいます。外出先で大声を出す母を「静かにして」とたしなめた女性は、母が「ごめんね、ごめんね」と謝るのを見て申し訳なく思い、周囲の目を気にして畏縮してしまう自分を「ちっちゃいな」と思ったと話していました(「病気であることを伝える」のインタビュー家族19も参照)。次の女性もバス停で座り込む夫のことを、開き直って受け入れることができない心の葛藤について語っています。
このように認知症の人に対して感じるストレスについて話す家族の多くは、ストレスを感じていること自体にも罪悪感や自責の念を抱いており、そのことがさらに認知症の人を支える家族の心理的負担を増加させているようでした。
全てを一人で抱え込んでいると、こうしたストレスと自責の念をめぐる悪循環から抜け出せなくなって、次第に追い詰められていき、そこから暴力や虐待などにつながっていくことがあります。私たちのインタビューでも、つい手を上げてしまう心の動きについて、率直に語ってくれた人たちがいました。
現在の医学では、認知症の進行を遅らせることができても、良くなることは望めないので、先のことを考えるとどうしても暗くなってしまいがちです。私たちのインタビューに協力して下さった方々の中にも、気持ちが落ち込んで不眠になりお酒や薬に頼ったとか、無理心中を考えた、と語った人たちがいました。
このような介護ストレスと自責の念が生み出す負のスパイラルから抜け出す方法について語ってくれた人たちがいました。それらの語りに共通していたのが「自分が変わる、自分を変える」ということでした。
2021年7月更新
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