診断時:55歳
インタビュー時:58歳(2011年8月)
飲食店店長をしていた。1人暮らし。妻とは診断前に離別。子どもとも会っていない。兄に病気の事を知らせていない。2005年頃職場で物忘れやちぐはぐな言動を指摘されるようになり退職。2009年に若年性アルツハイマー型認知症と診断、ショックのあまりうつ状態となる。アリセプト内服中。医療費が払えず障害者認定、生活保護を受けた。週1回ヘルパーに掃除等依頼。現在はサポートセンターで週3日ボランティアをしている。
語りの内容
障害者の認定は受けてますわ、それは。はい。あれ、何でか分からへんのですけどね、あの、その、社協の人とかがね、もう、こうして、ああしてって全部段取りしてくれるんですよ。ものすごい面倒見てくれる。僕、あんな面倒見てもろうたの初めてですけどね、世の中で、生まれて。ほなもう、自動的にそういうヘルパーさんはつけるし、ほんで、その障害の認定も自分らで、ばあっと、先生と相談してであっと段取りするし。
もう、僕の意見関係なしに全部進んでいったいう感じですね。まあ、まあ、こんな言い方おかしいですけどね。それ、障害の認定までは僕はほんま受けとうは、受けたくはなかったんですけどね。ええ。また、それ障害者なんかいう頭なかったですから、そんなん、その時点でね、僕。結局、その障害認定の申請しますから、言うて、もう、そんときはもうでき上がってましたからね。「あらまあ」言うて、ええ、ええ。でもまあ、自分でもそういう認知症は障害者やなんか信じられへんかったですしね、ええ。
―― その、なぜ、そういう認定をするかということに対する説明とか、そういうことはあったんですか。
あのね、要はね、あの、1人でいてて、あの、これから生活が、あの、基本的に良くなることはないやろうと。ほんなら、まあ、あの、支援する形をもう周りでつくるしか、まあ、今はないからということで、こういう形で申請して、こういう形にしていきましょか、いうような感じですわ。そうやった思いますわ、説明は。
―― それに対してやっぱり?
その障害いう言葉がもう嫌ですやんか。要はもう…もうおかしいですやんか…。そやけど、もうみんな一生懸命やってくれるから、もう、断ることもできへんし。
インタビュー本人06
- 薬を飲んでも良くなっているのか全くわからないが、毎日規則正しく飲んでいる。治療の薬ではなく進行を遅くするだけだということはわかっている(テキストのみ)
- 週に1回は社協の人が来て、障害者手帳の申請やヘルパー契約の書類のことをやってくれるので、ありがたいと思わないと罰が当たると思う(テキストのみ)
- 診断名を聞いて真っ青になった。インターネットで調べても暗いことばかり書かれていて、うつのようになり、もう死のうかとそんなことばかり考えていた(テキストのみ)
- 自分たちに出来る仕事が少しでもあれば、目的が持てるように思う(テキストのみ)
- 身体障害のある人を対象にした作業所のような施設には違和感を覚えた。今、通っているサポートセンターは自分の生活リズムにも合ってありがたかった(テキストのみ)
- 病院で治療費や検査費がかかるので区役所に行くように言われ、区役所の人がいろいろな手続きをしてくれて、社会福祉協議会の人も紹介してくれた(テキストのみ)
- 障害認定申請は社会福祉協議会が段取りしてくれたが、自分の意見なしに進んで行った感じ。認定は受けたくなかったが、一人暮しなので周りで支援するしかないと説明された(テキストのみ)
- 自分はもの忘れしても困ることはないのに、障害者と言われたのはショックだった。身体障害だったらまだ格好いいが、精神障害ではまるできちがい扱いだ(テキストのみ)
- 目的も目標も責任も持つことがないから、もの忘れして困ることもない。認知症の診断を受けない方が良かったのではないかとそればかりを考えてしまう(テキストのみ)
- 認知症と診断されてからいいことは何一つないが、強いて言えば周りに家族がいかなったのは逆に良かったと思う。兄も自分がこういう病気だとは知らない(テキストのみ)