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診断時:51歳
インタビュー時:61歳(2016年2月)

システムエンジニアとして仕事に追われる中、1987年に体調不良で休職。その後、休職と異動を繰り返すうち、2005年配送先で道に迷う、台車を置き忘れるなどが増え、精神科でアルツハイマー型認知症と診断された。当初は、認知症に対する誤解と偏見から絶望の日々を送っていたが、今は、認知症は不便であっても不幸ではないと思える。講演活動や当事者会の活動を積極的に行う。2015年、61歳を機に、ケアハウスに転居するも、iPadなどのIT機器を生かし単身生活を続けている。クリスチャン。

語りの内容

―― 洗礼を受けられたのはいつですか?

えーっと。20、39歳のときですから、今から22年前です。

―― じゃあもう、その認知症の診断を受けたときにはクリスチャンでらっしゃったので、

はい、はい。

―― その受け止めっていうのは、そのー、神様が自分に与えた。

試練、試練。

―― 試練。

だから、耐えられないような試練は遭わせられないという、聖書の御言葉がありますからね、必ず脱出の道があると。だから、試練は人間の人格を磨くためにあると思ってますからね。この、何でこんな試練に遭わされるんですかじゃなくて、この試練から何を学ばせていただきますかというふうに、前向きに取ると。この試練で何を学べばいいんですかというふうにお祈りをすると。不平不満を言わない。何でこんな試練に遭うんですかというような、そういう受け止め方をしなくて、この試練から何を学べばいいんですかというふうに受け取ると。

―― 信仰といいますか、そういうものと、こう、日々の生活っていうのは何かこう、関連がすごくあるんですか?

はい、ありますね。やはり心のよりどころは持ってますからね。私たちは、あの、すぐ目先のことに、注意、あの、注意がいくようですけど、私たちはもう永遠、永遠のことを考えてますからね。死んでもまだ、あのー、天国に行けるという保障がありますから、将来に対する不安はありません。ただ、やる気力がなくなることはあります。

―― その、まあ信仰が本当になんかこう、落ち込んだときのやっぱり支えになっているっていうことがありますか?

はい。私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛してる、「私」というのは神のことですね。神様が、取るに足らない私をこんなに愛しているという、その、あー、高価で尊いと。私のようなつまらん人間を、神様は作品として、製品じゃなくて作品として、えー、かけがえのない、オンリーワンの存在として見てくださるので、全然、あの、人の、人の価値というのは、あれができるこれができるという、有用性ではなくて、beingの世界ですね。存在するだけで、えー、そこに意義があるということを、そういう信念を持っていますからね。だから人と比べたりはしない。相対評価の中で生きるんではなくて、絶対評価、神様は、絶対者があなたは高価で尊いと言ってくださるので、私はそれだけで、えー、尊い存在だという自己肯定感が強いので、そういう…、だから、あの、んー…、自己肯定感が強いので、皆さんも自分の嫌なところは目をつむって、自分にはこんないいところがあるということで、毎日自分の悪い点を探すんじゃなくて、感謝することを三つ探しなさいと。例えば今日だったらば、頭痛が起きないだけでも幸せですねと、朝起きられただけでも幸せですねということで、えー、毎日生きてるんだけど、今日が、あのー、最後の、生かされてる最後の日だということを、毎日そう思って感謝の気持ちを持って生きれば、それで充実した生活が送れると思います。

私は: です。

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