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診断時:51歳
インタビュー時:61歳(2016年2月)
システムエンジニアとして仕事に追われる中、1987年に体調不良で休職。その後、休職と異動を繰り返すうち、2005年配送先で道に迷う、台車を置き忘れるなどが増え、精神科でアルツハイマー型認知症と診断された。当初は、認知症に対する誤解と偏見から絶望の日々を送っていたが、今は、認知症は不便であっても不幸ではないと思える。講演活動や当事者会の活動を積極的に行う。2015年、61歳を機に、ケアハウスに転居するも、iPadなどのIT機器を生かし単身生活を続けている。クリスチャン。
語りの内容
―― 臨床美術っておっしゃいましたっけ。
はい。
―― なんか、絵を描いてらっしゃいますか。
はい、絵を描いています。
―― それは、あのー、いつも1週間に1回。
ああ、あのー、月に2回です。はい。
―― はい。描いていらっしゃるときはどんな感じですか?
ああ、無心で描いております。はい。これもそうです。
―― なんか、無心に描いてなんかこう。やり遂げたなみたいな、そんな感じ。
はい。あ、楽しく時間が過ぎればいいと思ってます。成否、作品は二の次です。あの、楽しく過ごせばいいと。はい。
―― はい。なんか作品展とか。
あ、まだ。あの、たまったら個展を開こうなと思っております。
―― 作品をお作りになるのと、他になにか楽しいことって。
あのー、花を見に行くと。えー、3月の末から桜を見に行ったり、チューリップを、千葉県の佐倉にチューリップを見に行ったり、あとは、あの、足利フラワーパークに、大藤を見に行ったり、あとで写真を見せますので、あの、見てください。
インタビュー本人14
- 診断後に長年かかっていた地元の医師の「本当に認知症なの?」という一言で主治医を変えることにした。主治医は患者とともに歩んでいく姿勢が大切だと思う
- 不安な時は、同じ病いを抱えている人と繋がることが大切。自分では解決策が思い浮かばないことも、皆が答えを一緒に考えてくれる
- 診断当初は、6年から10年で全介護状態になると書かれている本を読んで絶望していた。当時は自立して生活している今の状況は想像できなかった
- 認知症は神が与えた試練であり、信仰が認知症と生きる心のよりどころになっている
- 認知症の人に、自分の残された能力を信じて充実した人生を送ってもらいたい。そのお手伝いをすることが私の使命
- 楽しく時が過ごせればいいと、絵を無心に描く。春には、桜、チューリップ、大藤と花見を楽しんでいる
- iPadやパソコンが認知機能の低下を補ってくれている。高齢であっても、何回聞いても何回でも同じように教えてくれる人がいれば、使えるようになると思う
- 以前から糖尿病の診断を受けていたが、認知症になってからは認知症を進ませないためにも、生活習慣を改善して、1日の歩数の記録もきちんとつけるようになった
- インシュリンはお薬カレンダーに1週間に1回セットして、携帯のアラームと同時に何単位を打つかメッセージが出るようにしている