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診断時:59歳
インタビュー時:63歳(2010年9月)
インタビュー家族08 の夫
元脳神経外科医。妻と2人暮らし。2001年頃易しい漢字が書けなくなり下痢も始まり、体の衰弱が激しくなった。2006年に若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。2007年クリスティーン・ブライデンさんの講演を機にアルツハイマー型認知症であることを公表。ようやく自分の病気と自分自身を受け入れることができた。アリセプトと個人輸入のメマンチンとで病状は安定している。夫婦ともにクリスチャン。
語りの内容
―― 病気になってよかったなって思われることってありますか。
いや、もういい、いいですよ。あの、何て言うか、みんなが、あ、みんなっていうか、友人が、いろいろ来てくれるの、くれたり。あの、いろんなことを、でも、あの何て言うかな、あの、おお、何、あの…。
―― 応援?
え、いえ。あのー…友人、だから友人の中にこう、スッと入れるようにはなったんですね。で、いろんな人とも行ける、行ける、あの、行けるようになったし。で、それはすごく良かったですね、ええ。それで、あの…もうあのー、何だ、あそこのね。
友人の中にこう、スッと入れるようにはなったんですね。で、いろんな人とも行けるようになったし。で、それはすごく良かったですね、ええ。それで、あの…もうあのー、何だ、あそこのね……。
体操。体操はいつもしてるんですよ、毎日。で、そういう中でも、あの、いろんな人たちがいて、そこであのー、話をしながら、あのー、やっているの、その辺がすごくいいですね。誰でも一緒に行って、だ、あのー…エンジョイできるところであるんですね。
みんなに、あのー、もう、もう自分もアルツハイマーだっていうことをはじ、話しましたから。だからもう、平気で、皆さんも話してくれるんですよ。ま、それはすごく良かったですよね。
―― 話す前はあんまり外に行かれなかった。
うん、行かなかったですね。行け、行けなかったっていう感じですね。
―― その、行けなかったっていうのは、どういうこと。
いやあ…、うん。いや、こんなところで、わたしは自分を、自分に…一緒にできるだろうかっていうような気持ちがありますよね。あ、ありましたね。
―― その、ラジオ体操みたいなこと1つとっても。
ええ、そう、そう、そうです。ええ。もう皆さん、いろんな人がいますから、うん。で…もう皆さんがこう、来て、来ると、もういろんな人もいるので、ま、そういう中でこう、い、いると、すごくいいですね。ま、それが良かったんじゃないかなと思いますけど。
インタビュー本人05
- 最初に字が書けなくなっておかしいと思ったが、その後ものがはっきりと見えない、見えていてもそこにある感じがしないようになってきた
- アリセプトだけのときは頭痛がひどくて飲めなかったが、メマンチンができてよかった。併用するようになって、だいぶ認知症の症状も良くなってどこへでも行けるようになった
- アルツハイマーはもうなにもできないというイメージだったので、まさか自分がその病気になるなんて考えられなかった
- 一人ひとりの人格があって生きているということを絶えず自分に言い聞かせている。アルツハイマーであってもちゃんと生きていくことができることをわかって欲しい
- アルツハイマーであることを公表したことで、色々な人が気軽に声をかけてくれるし、自分も垣根なくみんなの中にスッと入れるようになった。それがすごくよかった
- 「どうして自分がアルツハイマーになったのか」そればかりだった。わたしの生き方が悪かったからではない、「わたしはわたしだ」とようやくわかった
- 最近はあまりけんかもしないが、以前は自分が何かしようというときに、妻が先回りして何かやったり言ったりするのが嫌で、「がっ」となって家を出て行くときもあった