診断時:53歳
インタビュー時:57歳(2015年12月16日)
夫と子供の3人暮らし。2009年頃から、うつ病を疑いメンタルクリニックに2年半ほど通院した。幻視が見えるようになり、2012年1月に夫の勧めで認知症専門医を受診し、SPECTなどからレビー小体型認知症と診断された。数の違いがわからなくなり仕事に支障をきたすようになっていたため、診断直後に退職した。現在は、市のオレンジカフェでスタッフとして当事者支援にあたっている。活動を通じて社会の一員でいられる、まだ生きていていいんだと思うことができている。
語りの内容
私の中では足し算、引き算っていう考えでいるんですけど。今の状態が……動作が遅くなったりとか、物忘れがひどいっていうの。何を足したらば……普通の生活に近づけられるか。100パーセントは無理だと思うんですよ。そこに障害が、あるというか、病状が出てるわけですから。でも、30でも50でも70でも、努力次第では伸びると思うことをやれば、ちょっとの助けがあれば普通の生活が送れるっていうふうに、私は思ってるんですね。
だから、その、何かを……動作が遅いなら時間をかければいいじゃないですか。……で、あの、たくさん物があると混乱するんですね。だから、洗濯物も、これは、ひっ、かかってるときに「これは誰の分」っていうのだけを外すんですよ。で、それをたたんで、今度、「次、誰の分」っていうのでたたんで、片づけて、っていうような。その……いっぺんに全部山にしてしまうと、そ、そこから選び出すのが……できないっていうか。今まで普通にできてたことは全くできなくなるんで、じゃあ、その人の分だけをやればいいっていうような考え方に変えたんですね。そしたら、それをたたんで片付けちゃえば、減ってくるわけですよね、次の仕事が。
調子のいい日はまだよかったりとかするんですけど、そうでないともう、ほったらかしになってしまってあふれてしまうんで。だって、100枚あったら山だけども、20枚だったらちっちゃな山じゃないですか。だから、そこだったらいけるかな、っていうので。あ、それを引き算っていうふうに私の頭ん中で整理してるんですね。だから、あのー……台所の食器とか……お鍋とかも最低限……最低限のもんでいいかなーっていうふうな考え方に、変えたんですね。たくさんあるから、どれを使っていいか分かんなくなるし、整理ができなくなってくる。
で、書類なんかも、もう、必ずこう、どこにしまうかっていうのを、ファイルを作ったり、「これはこれ入れ用」っていうふうな、こう、区分けをしてる。で、必ずその日の、使ったらもう、使ったらその日にそこに収めとく。あのー、「あとでやるからいいや」が……ないんですね、意外とね。ないっていうか、そういう習慣を体で覚えさせたんですね。
何でかっていうと、後が忘れちゃったり、するんですよ。で、私はレビー小体型なんで、そんなに認知度はそれほど落ちないんだけれど、私の場合にはアルツハイマーもないとは言えないんですね。うん。ちょっとそっち系も少しあるので、あの、今、まだ、脳がしっかりなうちに体で覚えようと思ったんですよ。っていう、そういう勉強もしまして、あの、体で体験したことは忘れない、っていうのを教えてもらって。……進んでからじゃ、その行動が覚えられない。まず、初期の段階でその行動に自分を変えてかないと。
インタビュー本人13
- 最初うつ病を疑い、メンタルクリニックに2年半ほど通ったがよくならず、幻視が見え始め、夫がレビー小体型を疑い専門医を探してくれた(テキストのみ)
- 診断をした医師は、病状より生活面での不安に対応することを優先して、次の医師に引き継いでくれた。とてもありがたかった(テキストのみ)
- 時間の深さがわからない。夢で見たことも、現実に起きているのと同じように感じる。数も「1」と「10」の違いが分からなくなった(テキストのみ)
- 幻視や幻聴は見たり聞いたりしたが、父がパーキンソンで、幻視のことは知っていたので、怖いというイメージはなかった。疑って見ているので、案外冷静に捉えている(テキストのみ)
- パニック症状のようなものは改善されたが、いまは急に気分が悪くなったり、スポンジを踏んづけて歩いているようなフワフワ感が気持ち悪い(テキストのみ)
- 認知症になったら初期の段階で、悩む前に仲間とつながってほしい(テキストのみ)
- 50歳ちょっとで認知症となり、周りにばれたくなかったし、認知症のせいで辞めさせられるのはプライドが許さず、診断後早々に退職してしまった(テキストのみ)
- 認知症になったからといって受け身ではいけない。いずれできなくなる日まで、できることを精一杯がんばろうという気持ちを捨ててはいけない(テキストのみ)
- できなくなったことも現実、これから先のことも現実。落ち込んでいる自分と、前向きな自分、どちらを見たいのかは自分が決めることだと思う(テキストのみ)
- 本人の声が一番響くとということで、認知症サポーターの講習も受け、市の運営するオレンジカフェでスタッフとして参加している(テキストのみ)
- 認知症である自分が、本人や家族の支援をすることで、「社会の一員でいられる」「まだ生きていていいんだ」と思うことができる(テキストのみ)
- 夫も当事者支援活動に理解を示し、息子も赤ペン先生をしながら、講演の手書き原稿をパソコンで打ち直し、応援してくれている。私が元気でいるからだろう(テキストのみ)
- 家族は手伝いすぎないこと。代わりにすることが依存を生む。見守って、本当に出来そうにないときだけ手伝うようにして欲しい(テキストのみ)
- 認知症になったら、第二の人生と考えて、状況を受け入れ、まずは今までの人生を切り離すことをお勧めしている(テキストのみ)
- 動作が遅くなるなら時間をかけて、道具は最低限のものを残してと、今の状態に対して足し算引き算で考えていく(テキストのみ)
- レビー小体型認知症は薬に敏感なので、医師と相談しながら何度も薬の種類や量を調整した。今は、アリセプト5ミリで落ち着いている(テキストのみ)
- うつ病の治療薬は精神を安定させる薬のなかでも軽い薬だと説明を受けたが、夫は服薬が症状の進行を早めたのではないかと今でも疑っている(テキストのみ)
- 飲み忘れや飲み間違いが続いた時に、「なぜ、できないのか? 何のために飲んでいるのか」と、自分に問いかけた。意識を集中することで、飲み忘れをしなくなった(テキストのみ)
- 相談に乗ることが、自分にとっても良い結果につながっていく。何かを伝えるためには、心を整理しなくてはならず、それは脳の活性化にもつながっている (テキストのみ)
- 認知症になったことをカミングアウトして、本音で愚痴を言えるパートナーが1人でもいたらいい。そこから仲間の輪が広がっていくと思う(テキストのみ)